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ツイッター

 昨日は久方ぶりに暖かかったのに、今日はまたひどく寒い。予報によると、明日の東京は最高気温が20度を越えるそうな。三寒四温という言葉はあるけれど、これでは一寒一温で、気分が落ち着かないこと夥しい。早く本格的な春になって欲しいものだ。私は、基本的には秋や冬が大好きなのだが、どういうわけか今年は春が待ち遠しくてしかたがない。心が弱っているのだろうか? いけませんね。

 ところで、昨日、仙石、前原、原田の3大臣が参院本会議に遅刻したことをきっかけにして、政治家のツイッター使用が話題になっている。そこで試しに、私もツイッターに登録してみた。私の〈つぶやき〉のアカウントは、

@matsuikei

 である。お暇なときにでもぜひ、覗いていただきたい。

 ただまあ、登録してはみたものの、まだ、どういう使い方をすると価値があるのか理解できてないのが実状である。しばらくは騙し騙し、やってみようとは思うけれども、なかなか難しそうだ。私はふだん、あまり〈つぶやく〉習慣もないし。というか、人間というものは、本来はあまりつぶやいたりはしないですよね。

 私の小説作品などでも、時折、

『俺が勘違いしていただけかも知れない……』
 雄策はハンカチで首筋の汗を拭いながら呟いた。

 なんぞと表現することがある。しかし、これは作中人物の心理を描写するための便宜的表現である。つまりは、小説特有の表現法であって、現実には人間は、あまりこういう形でつぶやいたりはしないものである。まあ、ツイッターを使ってみるに当たって、あまり〈つぶやく〉ということに拘泥っても仕方がないとは思うけれど。

 『週刊文春』の先週号に載った井上トシユキさんの記事などを見ると、どうやらこのツイッター、中高年層に利用者が多いらしい。その理由が那辺にあるのか、私には解らないけれども、中年ということで言えば、私も間違いなく中年男だから、使っているうちにだんだん面白くなってくるのかも知れない。

 それにしても、政治家というのはヒマなのだろうか? 今日、登録後にツイッターでの発言を見ていたら、参議院議員の某と某の2人が、極めて頻繁につぶやいているのを見つけた。つぶやきだから、大した内容を期待するのも野暮というものだけれど、それでも、政治家たるものが、なにゆえあって、あんなに内容のないことを頻繁につぶやきたくなるのか、その点だけは私の理解の外だ。
[ 2010/03/04 14:11 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

ガラが悪い

 先日、テレビで国会中継を見ていて、久方ぶりに大笑いしてしまった。国会を見て、呆れたり腹が立ったりするのはいつものことだが、こんなに笑ったのは本当に久しぶりだ。既にニュースや新聞でもさかんに取り上げられているけれども、与謝野馨の代表質問である。

 なんたるガラの悪さ! 『おっかさん』『ヤクザ映画』なんぞという単語もそうだけれど、物腰、喋り方、どれをとっても極めてガラが悪い。しかも、妖しげな雑誌まで手にしている念の入れようだ。

 与謝野馨といえば、さすがに文人の家系らしく、自民党議員には珍しく品があり、かつイヤミのない人である。そういう人物が、唐突にあのガラの悪い姿を見せてくれたのだから、これはもう意表を突かれて大笑いするしかなかった。

 しかし、それにしても自民党のセンスはいったいどうなっているのか。与謝野さんみたいな人に、あんな役割をやらせてはマズいだろう。その程度のことさえ、もう分からなくなっているのだろうか。あの世で鉄幹・晶子夫妻が泣いているぞ。自民党執行部の良識を疑う。

 与謝野は記者からの質問に対し、
『野党だから』
 と応えていたが、政権を失ってからの自民党のガラの悪さは目に余る。少し前にも町村信孝が国会で亀井静香に向かって、
『おい亀井、お前、何を言ってんだ?』
 と怒鳴っている姿を見た。60を過ぎた大の大人が、仮にも大臣を捕まえて『おい亀井』『お前』はないだろう。まあ、言われた亀井のほうもガラの悪さでは政界で1、2を争う人物ではあろうが。

 私は基本的には、ガラの悪い人を見るのは嫌いではない。むしろ、面白がるほうである。しかし、そうではあっても、国会があまりにもガラが悪くなってしまうと、それは政治の劣化に繋がるのは間違いない。私はそれを恐れる。ま、もう少し上品にやって下さいな。

 ガラが悪いといえば、旬の話題はスノーボードの国母ということになるが、私は何故、国母のあの服装が大騒ぎになるのか理解できない。スケートボードやスノーボードというのは、元々がストリート系のスポーツで、プレイヤーがああいう格好をするのは当たり前だろう。むしろ、国母はスノーボード選手らしい格好をしていたと言える。それがダメだと言うのなら、そもそもスノーボードをオリンピック種目にしたIOCが悪いのである。ヒップホップダンサーにネクタイをしめた背広姿を求めるようなもんだ。そんなもの、最初から整合しないのが分かりきっていると思うのだが……。
[ 2010/02/14 14:58 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

親父の言語美学

 今年は寅年である。今週の土曜はうちの娘の誕生日なのだが、彼女は平成10年――寅年の生まれだから、初の年女ということになる。もう12歳か。早いものだ。ところで、実は私の亡父も寅年。生きていれば、84歳である。彼は、昭和元年と重なる大正15年に生まれ、昭和の最終年、64年と重なる平成元年にみまかったから、昭和とともにきて昭和とともに去った男である。その意味で、私にとっての昭和史とは我が親父の人生そのものでもあるわけだ。

 さて、その親父が生前、ひどく嫌がった言葉がある。一つは〈現場〉で、もう一つが〈文化人〉だ。父の妻――こういう気取ったつもりの持って回った表現はプロの文筆家としては厳に避けるべきですね(笑)、ま、私の母である――は、教員だった。その母が家族で飯を喰っているときなどに、
『学校の現場では――』
 なんぞと口にすることがよくあった。そういう時は、彼女は教育委員会や文部省(当時)は学校のことを分かっていない、といったような愚痴を言いたいのである。すると、父がこれをひどく嫌がるのだ。学校を〈現場〉と表現することを。
『君んとこの学校は改築工事中か?現場というのは工事現場のことで、最前線や第一線をなんでもかでも現場というべきではない』
 というのが彼の意見だった。これはほかの職業についても同じで、とにかく〈第一線〉を〈現場〉と表現することを親父は嫌った。〈現場〉という言葉の定義が親父が言った通りなのかどうかは、私にはよく分からない。しかし、彼の言語美学的には〈工事〉を伴わない〈第一線〉を〈現場〉と呼ぶ感覚が受け入れがたかったのだろう。

 〈文化人〉のほうはもっとハッキリしていて、
『何をやっているのか分からない表現をするな。小説家なら小説家、音楽家なら音楽家、学者なら学者とハッキリ言えばいいじゃないか』
 ということだった。つまりは、〈文化人〉という言葉が、内容がない上に妙に気取って聞こえたのだと思う。ただ、これには少し時代的背景も考慮する必要があるだろう。当時は長嶋茂雄氏が読売ジャイアンツの監督を解任されて、定職につかず浪人生活を送っていた時代である。そこで各メディアが仕方なくというかムリクリにというか、〈長嶋の文化人活動〉などという表現を使っていた。親父としてはそういう風潮が気に入らない、ということもあったのだろう。

 彼が今、生きていれば、かなりの〈頑固爺さん〉になっていたろうなあ。そんな親父を見てみたかった。
[ 2010/01/11 18:52 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

面白いなあ

 最近報道されたニュースについて、どうしても物申したいことがあるから、今日はそれを記す。

 まず、今年は国がやることになった年越し派遣村。就職活動のための資金として2万を支給したところ、その金で酒を呑んだり、金を持ったまま施設に戻ってこない人が何人もいるとのことで大騒ぎである。これに対する意見は、概ね、その金は税金から出されているわけでひどい話だ、というところに落ち着いているようである。

 まあ、それは間違いではあるまい。国から〈ある目的〉を限定して支払われた金を、別目的に使うのがいいとは私も思わない。ただ、ここで考えておかなければならないのは、〈たかだか2万くらいの金で逃げないといけない人がいる〉という現実である。私もビンボーなことでは人後に落ちぬが、ま、それでもたかだか2万の銭では逃げませんよ。

 私はこのニュースを、自宅で酒を呑みながら聴いた。そんな男に、いかなる事情であれ〈酒を呑んだ〉ということを理由に他者を批判する権利がないのは自明のことである。確かに、公費を無駄に使われるのは困る。金を持って逃げるのもよくない。しかし、それを理由に弱者を非難すればよいというものではない。今回のことで言えば、国のシステム、都のシステムを再検討する必要が、まずあるだろう。公費を無駄にしないためにも、そういう姿勢は必要である。そうではなく、自分よりビンボーな奴を非難すれば事足りるという姿勢は、ビンボー人のガス抜きに過ぎぬ。

 次に貴乃花親方が相撲協会の理事選に出馬するために、二所一門を離脱したニュース。まあ、改革派貴乃花の気持ちはよく分かる。若さからくる情熱も高く評価したい。しかし、彼は確かに大横綱ではあったが、親方としては駆け出しも駆け出し、あれほど華やかだった二子山部屋を継承しながら、関取はゼロ、取的しかいない部屋の親方である。相撲協会の改革も必要だろうが、まずは自分の部屋を固めることから考えてはどうか? 今回の彼の行動は、例えてみれば、昨日一昨日デビューしたばかりの無名の新人さんが、日本の文芸界は改革が必要だから、俺は文藝家協会の理事になる、と言っているのと同じことのように私には見える。貴乃花よ、まずは関取を一人作ってくれ。私はそれが見たいよ。

 それにしても、財団法人の理事選が〈一門〉なんぞという非近代的システムを元に行われているのも恐ろしい話だ。こんなのは貴乃花の出馬を待たずとも、文科省が改革できるはずなのだが……。
[ 2010/01/09 08:08 ] 日常生活 | TB(1) | CM(-)

大晦日

 あと8時間もすれば今年も終わりである。部屋の大掃除も含めて、年内にやらなければならないことはすべて終えたので、あとはもう、テレ朝のビッグダディや魔裟斗の引退試合、唐突に紅白に出ることになったスーザン・ボイルなんかをテキトーにザッピングしながら眺める以外は、年内は何もやることがない。なんだか久方ぶりにのんびりした気分である。

 ところで、私はテレ朝のビッグダディが存外、好きである。ご存知ない方のために少しだけ説明しておくと、各局がこぞってスペシャルでOAしている大家族モノの一つである。大家族モノというのは総じて、辟易したりイライラしたりするものだが、ビッグダディだけは驚いたり呆れたり、笑ったりしながら楽しく見ることができるから不思議だ。

 つまるところ、これは登場するキャラクターの問題だということなのだろう。ハッキリ言えば、ほかの大家族モノの登場人物とは間違っても友達付き合いはしたくないし、もし彼らがご近所に住んでいたら、私はそれだけでも迷惑に感じるかも知れない。しかしビッグダディとなら、いっぺん経堂か三宿辺りの小体で静かな居酒屋で、一緒に酒でも呑んでみたいと思う。

 むろんこれは液晶画面を通じてのイメージである。テレビ局や制作会社の制作姿勢が、私の感覚にフィットしたということなのかも知れぬ。では何故、そう感じるのかを私なりに分析してみると、ビッグダディには他の大家族モノにありがちな〈暴力的イメージ〉が薄いからかも知れない、と思い当たった。ここでいう〈暴力的イメージ〉〈暴力性〉とは、『フーテンの寅さん』を観て感じるそれと同等の意味である。

 ほかには元日に、これもまたテレ朝でやる『相棒』の2時間スペシャル「特命係西へ」以外は、これといって見たいテレビ番組もないから、正月もいつも通り、本を読んで過ごすことになりそうだ。『相棒』はシナリオにツイストが効いているし、特に今シーズンは今までタブー扱いされていたようなテーマも扱っていて、私はこのドラマの大ファンである。

 2日には、娘と倅を、箱根駅伝を見せに連れて行ってやりたいのだが、これはまあ、子供たちがイヤがるだろう。子供が見て面白いものとも思えない。なので、ま、実現しないでしょうな(笑)

 ということで読者諸賢よ、今年も1年、ご愛読ありがとうございました。。新年もまた、宜しくお願い申し上げます。明年が皆様にとって、実り多い1年でありますように。よい年をお迎え下さいませ。
[ 2009/12/31 15:34 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

ちょっとイヤな感じがする

 今日報道された2つのニュースに触れて、少しイヤな感じがした。今はただ単に漠とした〈イヤな感じ〉を覚えるだけだが、この状況が長く続けば、我々が住むこの国は危険水域に入るのではないかと不安になった。

 ひとつは某版元の児童雑誌が〈読者からの指摘〉を受けて販売を中止したという報道。その指摘というのが〈爺さんが子供の前で煙草を吸うシーンが四カ所ある〉ということだそうな。それが子供に喫煙を奨励しているのではないか、というのがこの読者の主張だということである。いっておくが、この〈読者〉は児童ではない。小児科医で、待合室か何かに置いておくために当該雑誌を購入している人である。

 で、某版元はこの〈読者〉の指摘を受け入れて雑誌の販売を中止。子供の前で煙草を吸うシーンを著者に書き直させた上で、改めて刊行するそうな。よろしいか? 子供に煙草を吸わせているのではないのですよ。いい年をした爺さんが煙草を吸っているんです。子供たちは煙草を吸いながら話す爺さんの話を聴いているだけ。さて、これをどのようなムリをして読めば〈子供に喫煙を奨励している〉ということになるのか。ノイジーマイノリティの主張に、言論機関が簡単に応じるようになったら、その国の民主主義などは終わりである。この道はいつか来た道、そうだキノコ雲が咲いてた…である。

 こういう問題でコワいのは、指摘した読者も指摘に応じた版元も〈正しいことをした〉と疑っていない点である。〈正義〉とは元々、暴走しやすい性質を持っている。だからこそ、正しいことを行うには悪いことをする以上の冷静さが必要なのである。今回はそれが欠けていたのではないか? 少なくともこれはファシズムの第一歩である。

 もうひとつは元光ゲンジの赤坂某が執行猶予中にもかかわらず、また覚醒剤で逮捕されたニュース。覚醒剤から抜け出すことの難しさ、覚醒剤の怖さを痛感した。ノリピー事件が最近、美談になりかけていたところだったので、特にそう感じた。ところが某テレビ局だけは、赤坂のことを〈元光ゲンジの〉と言わず、〈元アイドルグループの〉、と曖昧に誤魔化すのである。これでは光ゲンジが所属していて、今でも芸能界に強力な力を持つという芸能事務所への遠慮と考えるしかないじゃないか。報道機関がこうなったら終わりである。ニュースなんか作るのはもう止めたほうがいい。この2つのニュースは私には言論の危機にしか見えぬ。だからこそイヤな感じがするのだ。
[ 2009/12/29 20:56 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

年末

20091226015222
 日付が更わって12月26日になった。今年1年もそろそろ終わりか。いやあ、今年はなかなかハードな1年でしたよ。特に仕事の面で。しかし、そんな年ももうじき終わる。潮目もいっぺんに変わると信じたい。

 ま、それはそれとして、先週、なんとかかんとか長編小説を脱稿したので、今は多少、気が楽である。この作品については、追って詳細を本ブログでも記したいと思うが、私としても新しい展開の一つのつもりなのである。

 今宵は仕事を終えた後、本を読みながら自室で一人、ゆっくりと酒を呑んだ。なんとも至福の時間である。こういう時間があるから、人間はなんとか生きていけるのではないかと思った。

 しかし、読んだ本というのが島田一男、小林信彦、岡本綺堂、ジョン・アップダイクだということになると、その選択の支離滅裂ぶりを呆れられても仕方がない。まあ、面白い本を楽しく読む――それが読者の基本と思う故、これでいいと思っている。

 読者中というか飲酒中というか(笑)には、ヘッドフォンをつけて音楽を聴いた。それほどガタガタのマンションに住んでいるわけでもないので、特にヘッドフォンを使わなくても隣室に迷惑になるということはないのだろうが、『ひょっとして、隣に聴こえてうるさいのではないか?』と気になるのがイヤなので、音楽を聴くときは、最初からヘッドフォンを使うことにしているのである。

 聴いたのはストーンズを中心とするロック。私はティーンエイジャーの頃からロックファンだけれども、若い頃は、まさか50を過ぎてもまだ、ロックを聴いているとは想像もしていませんでしたよ。むろん、60代も半ばになったキース・リチャーズが現役でギターを弾いているなんてことも想像がつかなかった。いや、いい時代です。こうなったら爺さんになってもロックを聴いていようと思う。

 ところで、私は今、会いたくて仕方がない人がいる。が、双方のスケジュールの都合がつかず、なかなか会う機会が作れない。会えれば話してみたいこともたくさんあり、有意義な時間になると思うのだが……なんとか年明け早々にでも実現したいものだ。

 さて、と。明日は倅に焼き肉屋に連れていけと言われている(彼は、『肉』というと異様に反応するのである(^_^;))。あと、もういっぱいだけ呑んで、そろそろ明日に備えて寝ることにしよう。
[ 2009/12/26 01:49 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

個人情報

 年末になり、そろそろ来年度版の改訂作業に入る時期なのか、ここのところよく、新聞社その他から、各社が作っている人物データベースの掲載プロフィールを更新して返送するように記した書類が届く。

 先日も某新聞社と、文藝年鑑のデータ更新の書類がきたので、チェックして返送したばかりなのだが、今日も一件、同じような書類が郵送されてきた。と、ここまで書いて、あれ、今日は日曜なのに郵便の配達があったのかな?と思って確認してみると、クロネコメール便だった。

 最近、経費削減のためもあってか郵送ではなく、メール便にするところが増えましたね。いいことだと思うが、まあ、些か不便もあり、各版元から送っていただく雑誌など、郵送の頃は発売日当日に届いたのに、メール便になってからは翌日になることが多い。メール便は通常の宅配便と違い、翌日配達は保証していないのですね。

 話が横道にそれてしまった。データベースである。早速、チェックしてみたが、新刊などはすべて先方で更新してあるのであまりいじるところもなかった。

 ただ、数年前から、この手の人物データベースは、各項目について、掲載される人物が、公開の可否にチェックを入れて送り返すようになっている。個人情報保護法の影響だろう。

 さて、そうなるとちょっと迷ってしまった。どの項目を公開可とし、どの項目を不可とすればよいのか、判断がつかないのだ。

 むろん、私も個人情報のすべてを一般に詳らかにするつもりはない。しかし、かといってデータベースに掲載されているような基礎データ――生年月日、出身地、出身校、住所、著書、経歴など――のうち、何かどうしても非公開にしておきたいものも見当たらない。

 よくよく考えてみたら、以前はデータベースに登録された情報は公開が原則だったわけで、それで何か不都合が生じたこともない。

 そこで今回は、〈すべて公開〉にチェックを入れて、さきほどネタ出し散歩に出かけたついでに投函してきた次第。

 個人情報の問題については、今、様々なところで、色んな問題が起こっているようである。中には過剰反応もあって、学校などで連絡網の電話番号を在校生の間でも非公開にしたり、甚だしきは卒業アルバムの写真に名前を入れないケースもあったと聞く。それは明らかに過剰反応というべきだろう。

 しかし、ま、それはそれとして、昔の言い方をするなら、文士、芸人、政治家は基礎データ程度は、一般に公開すべきだと私は考えている。
[ 2009/12/13 22:36 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

人形佐七

 ここのところ、横溝正史さんの『人形佐七捕物帳』をまとめて読んでいる。今までも『佐七』は光文社時代文庫の一巻ものや、角川文庫から出ていた傑作選集全3巻ほかで読んではいたのだが、今回、やっと春陽文庫版全14巻が読めるようになったのである。

 とはいえ、新刊本での入手はなかなか難しく、古書店でもあまり見かけないから、図書館を利用することにした。検索してみたら、世田谷区立中央図書館の書庫に、全巻が揃っていることが分かった。そこで、早速、予約して借り出してきた次第。

 ところで、私は図書館とはこういうふうに利用するものだと考えている。読書諸賢にも、新刊(新刊書店で入手できる本)は図書館で借りて読むのではなく、できるだけ購入していただき、それと合わせて、なかなか新刊の入手が難しい本も図書館を利用して読んで欲しい。そうすれば、出版文化そのものも痩せなくてすむし、個人としての読書文化も豊かになると思うのだが、いかがだろう?

 さて、横溝さんが捕物帳を書き始めるとき、岡本綺堂の『半七捕物帳』を強く意識したことはよく知られている。横溝さんの捕物帳の第1作目は、謎の浪人を探偵役に据えたものだが、これは岡っ引きを主役にしたのでは『半七』を超えることはできない、と考えてのことであったそうな。

 が、それが必ずしも成功せず、次作として岡っ引きを主役とした『佐七』の登場となるのである。この『人形佐七』という名前にしてからが、『半七』シリーズの中の1作「津の国屋」に出てくる若い岡っ引きの〈人形常〉にヒントを得たものである。

 だから、『佐七』には至る所に『半七』へのオマージュが出てくる。「三河万歳」のように『半七』のシリーズと同じタイトルのものも多いし、「梅若水揚帳」の最初の小見出しである「春の雪解け」も半七の中の1作にタイトルとして使われたものであ。また、同作の雪だるまの中から裸の死体が出てくるエピソードは、明らかに『半七』の「雪達磨」へのオマージュである。

 それはむろん、横溝さんが『半七』を模倣しているということではない。むしろ逆で、同じタイトル、テーマをわざわざ違った形で扱い、
『私ならこうやりますよ』
 と主張しているわけであって、まさにこれは『半七』や岡本綺堂への愛情溢れるオマージュである。そういうことを考えながら読むのも読書の醍醐味の一つだろう。

 今週いっぱいは、仕事を終えた後、いっぱい呑みながら『佐七』の世界を楽しみたいと思う。
[ 2009/12/10 00:17 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

キーボード

 うーむ、また、仕事用のPCのキーボードがイカれてしまった。仕方がないので、事務所近くのヤマダ電機東京本店にキーボードを買いに行く。

 私の仕事用PCは、おそらくは臨終間近だと思われるかなり旧いものなのだが、これで原稿が打ち続けられる限り、私は使い続けるつもりでいる。

 昔の文士が原稿執筆用の万年筆に愛着を持ったように、私は、PCほか私の執筆を支えてくれている道具に愛着を持ち、使える限り使い尽くしたいのである。

 とはいえキーボードだけを変えたのは、今度で5回目である。これは私がキーボードを酷使し過ぎているということなのだろうか?

 そういえば……私は、出先などでたまにインターネットカフェに入ることがある。そういうとき、店の兄ちゃんが、
『すみません。もう少し静かにキーボードを叩いてもらえますか』
といってくることが、よくある。

 私は普段通りの打ち方をしているだけなのだが、人に迷惑をかけているとすると申し訳ないから、
『あー、すみません。気をつけます』
 と詫び、意識的にカチャ、カチャ、カチャ、と穏やかに打つことになる。

 事務所で仕事をするときには、そんな気配りをする必要はないから、遠慮なく、私のやり方でキーボードを叩く。その結果が、5回目のキーボード使用不可、新キーボードの購入である。

 考えてみれば、私の両手の中指は慢性的に、かなり腫れている。ここ何年も腱鞘炎を患ってもいる。

 うーむ、その辺りを総合的に判断すると、どうやら〈私のキーボードの打ち方は穏やかではない〉という話になりそうだ。これは改善の必要があると思う。

 でも、このやりかたが、私の原稿執筆のテンポにマッチしていることもまた、厳然たる事実なんですよね。難しいなあ。
[ 2009/12/07 01:00 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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