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矢島誠+松井計対談

 きたる3月4日、ミステリ作家の矢島誠さんと私の合作名義、松島京作名で「本所深川謎解き控え 一番手柄」徳間文庫)が刊行されることは、既に昨日の記事で記しておりますが、本作品について、読者の皆さんにより深く知っていただくために、私の事務所のスタッフを聞き手として、矢島誠さんと対談を行っております。本日は、以下にその模様を記します。

tamekichi.jpg

■日時……2011年2月18日
■場所……上北沢・松井計事務所

――いよいよ、「本所深川謎解き控え 一番手柄」の刊行が近づきましたね。おめでとうございます。
■矢島・松井 ありがとうございます。
――やはり、まず最初にお伺いしたいんですが、この作品はお二方の合作という形式ですね。珍しい形だと思うんですが、これはどういう経緯で?
■松井 私は、以前から捕物時代小説が好きだったんですよ。俗に言う5大捕物帳がありますね。岡本綺堂の「半七捕物帳」、佐々木味津三の「右門捕物帖」、城昌幸の「若様侍捕物手帖」、野村胡堂の「銭形平次捕物控」、横溝正史の「人形佐七捕物帳」ですが、「半七」「右門」「人形佐七」は全作を読んでいました。「銭形」は今、全作を読むのはなかなか難しいので、3分の1くらいでしょうかね。「若様侍」については、ちょっと好みから外れて、4~5作読んだだけでした。でもまあ、基本的に好きなジャンルだったんです。
――で、ご自身でも書きたくなった?(笑)
■松井 そう、そう。そうなんですよ(笑)。小説家というのは不思議なものでね、ある程度キャリアを重ねてくると、どうしても書きたくなるジャンルが二つある。時代小説と恋愛小説ですよ(笑)。で、矢島さんとお会いした時に、何気なく、そんな話をしてみたんです。
■矢島 そうだったね。で、たまたま、僕も時代小説をやりたいと考えていた。松井さんが言うみたいに、小説家は年を取ったら、必ず、時代小説か恋愛小説を書きたくなるものなのかどうかは、僕は知らないけど(笑)、時代小説に関心があったんです。
■松井 そこで私が、じゃあ、一緒に書いてみませんか? とお誘いしたわけです。
――でも、二人で一つの作品を書くというのは、なかなか難しいでしょう? そういった不安とか迷いはありませんでしたか?
■矢島 僕も松井さんも、昔、他の人と合作したことがありましたからね。その点では、やり方に不安はなかったですね。
――どこの部分はどちらが書く、みたいに、最初から決めておくわけですか?
■松井 いやいや、違います。まず最初に、登場人物をきちんと決めておいて、全体のストーリーも二人で決めるわけです。それに基づいて、まずどちらかが書き始め、ある程度できたところで、もう一人に渡す。で、その先を書き進めるわけです。
■矢島 相手が書いた部分にも、自由に手を入れていい、という条件でね。
――あ、そうすると、ご自身が書いたところが、書き直されていることもあるわけですか。それで、腹が立ったりはしないんですか。
■松井 全然(笑)。それよりもむしろ、「おー、こうきたか」とワクワクすることのほうがずっと多いですよ。
■矢島 そうだね。その意味では、楽しみも大きいし、真剣勝負の緊張感もあって、充実した面白い仕事でしたよね。
■松井 そう思いますね。合作というのは、二人で書いたほうが原稿が早く仕上がるからとか、一人で書くより量産が効くから、みたいな理由でやるのは邪道だと思うんです。作家にはそれぞれ特質があるわけで、二人で書くことによって、それらが融合してある種の化学反応が起こる。で、新しいものができる。そこが合作の魅力だと思うんですよね。
■矢島 今度の作品は、本当にそういう作品になったよね。
■松井 なりましたね。まあ、自画自賛になりますけどね(笑)
――具体的に言うと、その特質の部分は、どういう分担になるわけですか?
■松井 それは企業秘密ですよ(笑)
――ま、そう仰らずに(笑)
■松井 矢島さんはミステリ作家としてのキャリアがありますから、やはり、トリックとか、その辺りは矢島さんが強いわけですよ。トリック集の本もたくさん出されてますしね。
■矢島 松井さんのほうは、人間関係の綾とか、そういう人間ドラマの部分に力が発揮できわけです。
――では、そういうお二方の特質を生かしながらプロットを作り、作中での人物の動き方などは、それぞれが自由に書き進めるわけですか。
■松井 そうです。で、前にも言いましたように、「これはちょっと違うだろう」と思えば、相手が書いた部分でも、遡って書き直していいわけです。
――それだと、かなり手間もかかるし、精神的にもきついんじゃないんですか?
■矢島 それが不思議なものでね、全然、きつくないんですよ。原稿を受け取ってみて、「なるほど、こう動くのか」と感じたり、「これだよ、これだよ、これが読みたかったんだよ」と感じたりして、新鮮な発見が多いし、勉強になって楽しかったですよ。
■松井 同感ですね。私もものすごく勉強になりました。
――なるほど。二人の息がぴったり合っているようで、これからの展開が楽しみですね。では、具体的な内容について聞きたいんですが……。
■松井 具体的な内容というのは難しいね。ミステリですから、あまり細かな内容については話せませんよ(笑)
――いやいや(笑)、今、松井さんの口から、<ミステリ>という言葉が出ましたけれども、これは時代小説というよりもむしろ、ミステリとしての部分が大きいんですか?
■矢島 うーん、時代小説かミステリか、というよりも、江戸時代を舞台にしたミステリ、という位置付けですよね。
■松井 私も江戸時代という要素が大きいと思います。しかも、場所も江戸ですね。その要素が大きい。その意味では、時代小説というよりも、江戸小説。江戸の雰囲気、魅力をきちんと書き込んだ上で、ミステリとしての骨格もしっかりしている、そういう作品を目指しました。
■矢島 現代を舞台にしたミステリでは、科学捜査などが発達していますから、どうしても扱えないトリックもある。しかし、舞台を江戸に設定すると、それが可能になりますね。そうすると、トリックの解決も、科学技術などに頼らず、論理的な推理が中心になる。この辺りが捕物帳の魅力だと思いますね。その面白さを狙っているわけです。
――第一章の「二人亡骸」の事件なんかはまさにそうですね。
■松井 ですね。ミステリである以上、詳しくは話せませんが、江戸時代ならではの事件にできたと思います。あれは、現代では設立しない話ですね。
■矢島 指紋採取技術もないし、DNA判定もない。そういう時代だからこそ、成立する話だし、解決には論理的推理が必要になってくるわけですよね。そこは上手く作れていると思います。
――なるほど。で、先ほど、松井さんが仰った江戸の雰囲気、魅力の部分ですが、特に力を入れられた部分はありますか?
■松井
 まあ、全体的に、江戸情緒を出すことを心がけましたが、特にといわれれば、作中人物たちの会話部分。そこに江戸ならではの掛け合いの面白さ、それを出せるように努力したつもりです。
■矢島 後は、盛り場の雰囲気かな? 両国広小路辺りの賑わいの部分で……。今の東京にはないよさがありますからね。
――江戸に対する郷愁のような……。
■松井 その部分を、読者に感じてもらえれば嬉しいですね。
■矢島 江戸時代というのは面白いもので、今の我々の生活の中にあるものが、原初的な形でほとんど存在するわけですね。「天が下に新しいものなし」というけれども、もちろん、大きく変化してはいるけれど、江戸の生活と今の生活が、完全に隔絶しているわけではない。だからこそ、現代人は江戸に郷愁を感じるわけで、その部分には特に、力を入れたつもりでいます。
――読んでみて、私もそういうふうに感じました。
■矢島・松井 ありがとうございます。
――今度の徳間文庫から出る「一番手柄」は、「本所深川謎解き控えシリーズ」の第一作と考えていいわけですね?
■松井 そうですね。シリーズとして、何作か書き続けられればと考えています。
――矢島さんと松井さんの合作、松島京作名義で、ほかのシリーズをお書きになる予定もあるんですか?
■矢島 ええ。今、松井さんとプロットを作っている最中なんですが、「本所深川謎解き控え」を含めて、3つくらいシリーズを作りたいと考えています。
――それも、江戸時代を舞台にしたミステリ、ということですか?
■松井 今、考えているのは、ある旗本の子息を主人公にしたシリーズと、盗賊を主人公にしたシリーズです。「本所深川謎解き控え」のシリーズのように、いわゆる捜査官を主役にしたものとは毛色が違いますが、こちらのほうも、ミステリ風味のあるシリーズにしたいと考えています。
■矢島 我々が合作で書く以上、そこが特徴になってくると思いますからね。
――ありがとうございました。今後の展開を楽しみにしています。

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[ 2011/02/22 01:16 ] 書籍 | TB(0) | CM(-)

対談本刊行中止の顛末

taidan.jpg

 元々、夏は弱いほうなのだが、ここ数日、極めて体調が悪い。身心ともに、疲労が濃く、体がだるくて仕方がない。昨日から新しい小説のプロットを作り始めているのだけれども、なかなか頭が働かない。困ったものだ。しかし、我々自由業者は、仕事ができなくなったら、直ちに飢え死にである。そうなるわけにはいかないから、疲れ果てた体に鞭打つほかない。

 先ほどまで、少し体を休めて、頓挫した対談本のゲラを読んでいた。金森重樹君と私の連名でアスコムから出す予定だった対談本である。この本については、既報のとおり、再校まで終わっていたのに、結局、刊行が中止になった。金森君のエージェントと、アスコムの担当者から聞いた話だと、刊行中止は<金森君の強い意向>とのことである。

 ざっと読んでみて、決して悪い本ではない。むろん、形式が対談本であるし、単著ではないから、私にとっても、金森君にとっても代表作になるようなタイプの本ではない。しかし、充分に読者の要望に応える内容だと、私は思う。それはそうだろう。最後の最後まで、エージェントもアスコムも、この本を出したがっていたのだから。

 実は、私が仲間内での集まりのときなどに、よく話す、教育を巡る、ある感動秘話がある。私の母の教え子のエピソードだ。その話を聞いた仲間からはよく、
「松井さん、それ、身内だけに話すのはもったいないよ。あんたはモノカキなんだから、どっかに発表しないと」
 といわれたものだ。そのエピソードも、この対談本で、初めて公にするつもりだった。

 まあ、対談本であれなんであれ、共著である以上、片方の著者が刊行を渋り始めたら、なかなか世に出すのは難しい。しかし、普通の常識ある人間なら、共著であるからこそ、相手に迷惑をかけないように、自分勝手に刊行を中止したりはしないものである。

 それでも、どうしても出したくない、というのなら、本人が、きちんと私に事情を説明するべきだ。で、自分の意向で私に迷惑をかけるわけだから、その部分については、虚心坦懐に詫びればいいではないか。

 菓子折でも持って、私の事務所に詫びにくれば、私は、会ってきちんと話を聞く。それで双方が納得してこそ、大人のビジネスというものだろう。

 なのに、あたかも、私が関っていようがいまいが、そんなことは預かり知らぬ。自分で刊行の中止を決めるのは当然のことだ、とでもいうかのように、私は一切無視されているから、哀しくもなるし、腹も立ってくる。

 金森君のエージェントから、理由らしきものは聞いている。いわく、この対談本の進行中に、金森君がほかで出した本が、彼が期待していたほどは、評価されなかった。なので、次に出す本は、代表作になり、高く評価されるものでなければならない。この対談本では、それは望めないから流す――というのが、理由だそうな。こんな身勝手な話が、果たして、あっていいものかどうか。

 これは、エージェント経由で聞いたことだから、金森君の本意とは違うかも知れぬ。しかし、仮に、私が彼の本意とは違う受け止め方をしていたとしても、それは、金森君の責任である。一切の事情説明を抛棄するから、そういうことになる。

 自分ひとりで書いた本なら、それでもよかろう。しかし、この本は、半分は私の本なのである。それを、このような事情で流すなんぞ、<大人の常識>ではありえない。当たり前の話だ。いろんな人が絡んでいるビジネスを、たった一人の都合で流して、ほかの人に迷惑をかけてもかまわない、というのは、とてもではないが大人の思考法ではないですよ。誰がどう考えても。

 もう一ついえば、金森君は、私の対談本を読みたいと思っている、私の読者からも、自分の意向で楽しみを奪ったのである。彼がもし、自分を<文筆家>と名乗るのなら、決してやっていいことではない。

 もうここまできたら、私は、この本を世に出すことは諦めた。しかし、金森君には、私に対する事情説明の義務があると考えている。事務所で待つ。エージェントを通してでもいいから、いつ、うちの事務所へ事情説明にきてくれるのか、連絡して欲しい。

 私は、対談を終えてゲラを戻したあと、ただ刊行を待っていただけではない。ゲラを戻した後、今年の2月になって、エージェントを通じ、
「金森君がこの本に不満を持ち始めているので、松井さんのほうで、色々と追加の案を考えてくれないか」
 といわれた。彼としては、金森君の意向に沿った内容の対談をもう一度行い、それを最終章に付け加えることで、問題を解決したいようだった。
「しかし、もう再校ゲラも返してるよ」
 私が渋るのへ、
「折角の本ですから、いい形で世に出したいので、そこをなんとか――」
 とエージェント。ここまでいわれれば、私としても無下にはできぬ。金森君はどういうふうにしたいといってるのかを訊くと、エージェントがあらましを伝えてくれた。

 私は、それに応じて、新たな対談のために、53項目もの対談案を、<金森君の意向に沿って>作ったのである。しかし、その最後の対談にすら、金森君は応じなかった。こうなると私が、アゴで使われた、と感じても無理はあるまい。

 私は、金森君より、年齢で一回り上、文筆業のキャリアは3倍、著書数も3倍を越える。そういう人間に対して、少しくらいの敬意は払ってくれてもいいのではないだろうか? アゴで使った上で、自分の意向で本を流し、その理由説明もなければ、挨拶一つない。

 私はそんなチンピラか。私が、こんな感情的な文章を書くのは、極めて珍しいことである。金森君には、その意味を、少しは理解して欲しい。
[ 2009/07/28 16:47 ] 書籍 | TB(0) | CM(-)

お詫びとお知らせ

読者の皆様、長期間このブログを放置する形になってしまいました。申し訳ありません。

今月末を目処に、コンテンツを整理してブログのリニューアルをする予定です。しばしご猶予ください。

尚、11月18日には、双葉社より書下し長篇小説『連帯保証人』が刊行予定です。

本ブログリニューアル後には、上記作品についての特設コンテンツも計画しております。

乞う! ご期待。
[ 2008/10/11 00:23 ] 書籍 | TB(-) | CM(-)

<活字離れ>という幻想

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    ■新刊「立ち上がる人たち」(世界文化社)発売中! 購入は●こちら●

 現在は、活字離れの時代であるそうな。特に、若年層に、その傾向は顕著だとよく言われる。それを裏書するかのように、今、出版業界は非常に厳しい状況にある。日本の出版マーケットは、1996年の2兆6,564億円をピークに、毎年、漸減状態が続いている。

 出版界だけではない。活字離れの影響は、他の分野にまで広がっている。先だっても、映画の字幕が読めない若者が増えていて、国内で洋画が上映される際、字幕版ではなく、吹き替え版が作られるケースが増えている、と新聞で報じられた。これも、若年層の活字離れと無縁ではない――というようなことがよく言われる。

 ここまでくると、日本の文化も既に末期的であり、文筆を業とし、活字文化を信奉する私としては、重い気分にならざるを得ない。

 が、果たして、本当に、この国で<活字離れ>なるものが進んでいるのだろうか? 私は、どうしてもそれを実感することができないのだ。モノカキや編集者など、この業界にいる人間は、一般の人よりは活字の消費量が多いのが普通だろうから、除外して考えなければならないとしても、業界外の私の友人たちが、最近、本を読まなくなったという話は、寡聞にして知らない。

 若年層に限るとしても、たとえば私の子どもたちは、私の子どもの頃と同様、読書生活を楽しんでいる。私が、子どもたちに買ってやる本は、ひとり当たり月に3~5冊だが、これ以外にも彼らは、学校の図書館などで本を読んでいようから、それほど少ない読書量だとも思えない。

 本当に、<活字離れ>という現実があるのだろうか?――それが私の疑問だった。で、色々と調べてみると、面白いデータにぶつかった。

 実は、毎日新聞が、毎年、読書世論調査を行っている。それによると、総合読書率は、調査開始以来、70%から75%の間で安定しており、読書率が下がったというデータはない。昨年の同調査では75%で、これは、前年度の調査から3%上がっているほどなのだ。

 この数字は総合読書率であるから、雑誌などを読んだ人も含むデータである。では、書籍に限ってみるとどうか。昨年度調査の、書籍読書率は49%。これも、総合読書率同様、前年度比3ポイントのアップであり、調査開始以来、ずっと50%前後で安定している。

 いやいや、それは大人のデータであり、若者や子供の活字離れは確実に進んでいるはずだ、という声が聞こえてきそうだが、残念ながらそうではない。小中高生を対象にした、同じく毎日新聞の「学校読書調査」でも、子供たちの読書率は、むしろ上がっているのである。この背景には、朝の10分間読書運動や、講談社が展開している<全国訪問おはなし隊>の成果もあるのかもしれない。

 これらの数字を総合すると、以下のことが言えそうである。

①活字離れが進行しているというのは幻想に過ぎない。
②全人口の半分程度が、書籍を読む層であり、国民の4人に3人が、なんらかの形で活字を読んでいる。
③その数字は、何十年間も、ほとんど変わっていない。
④学校や版元の努力もあり、子供の読書率は上がっている。

 これらのことは、私の実感にも近い。では何故、<活字離れ>などという言説が、まことしやかに語られるのであろうか。それはひとえに、今、出版業界が不況だからである。本が売れにくい時代だからである。むろん、その他にも、元々、書籍を読まない層である50%の人たちの声が大きくなって、自分が本を読まないことを、必要以上に一般化して語るようになった、という背景もあるだろう。が、それはひとまず措くことにする。

 本が売れにくい理由は、流通の問題も含めて、色々とあるのだろうが、その中でも、一番、大きいものは、個人の可処分所得が、以前より少なくなった、ということだろう。本の購入に回す金が、なかなか出しにくい、ということである。このことは、むろん、不安定労働者層が増えたこととも関る問題である。喰っていくのが大変な状況下で、本に金をかける、というのは、望んでもなかなかできることではない。出版業界がもっとも元気があったのが、バブル経済の時期であったことを思えば、このことがよりよく理解されるはずだ。

 つまり、今の日本では、<活字離れ>などはまったく進んではいないが、本を買う人が減っている、ということである。これが、日本経済の実相であり、日本文化の実相なのである。<活字離れ>などという、一見するとつい頷いてしまいそうな言説に惑わされてはいけない。まずは、個人の可処分所得を減らさない努力を、政府や政治家がやらないと、日本文化はやせ細っていく、ということである。

 私が2月に出した「家に帰らない男たち」は、都内の各市区町村の図書館が、それぞれ2~5冊ほど入れてくれている。しかし、今、都内の図書館で、この本を読めるのは大田区、稲城市、三鷹市の図書館だけである。他の市区町村の図書館では、全冊が貸し出し中であるばかりでなく、何冊ずつか予約が入っている。

 つまり、図書館で本を読む人が増えているわけだ。著者としては、わざわざ図書館で予約をしてまで、拙著を読んでくださる方がたくさんいらっしゃるのは、非常に嬉しいことである。しかし、その背景に、「本は買いたいけれども、なかなかお金を出すのが難しい」という状況があるのだとすれば、それは、日本文化のために哀しいことである。

 読みたい書物くらいは、そう悩むことなく購入できる社会が、正しい社会であることは、論を待たない。最近、声の大きな政治家たちが、<日本の文化>という言葉を口にするのをよく聞く。<文化>を云々したいのであれば、まずはこの辺りから手を付けてみてはどうか。
[ 2008/05/30 03:29 ] 書籍 | TB(-) | CM(-)

新作小説刊行のお知らせ

 些か早い気もいたしますが、5月刊行予定の書籍の告知をしておきます。

 ここのところ、ノンフィクション作品の刊行や雑誌へのルポルタージュの寄稿といった仕事が多く、小説家だかなんだかよく判らない状態になっておりましたが、私は、小説家であります(笑)。

 この点、少しだけ説明をさせていただきますと、私の<私ドキュメント3部作>である「ホームレス作家」「ホームレス失格」「家族挽回」は、昔ながらの言葉でいえば、<私小説>です。純然たるノンフィクションとは、些か、趣を異にするものだと私は考えています。

 このことは何も、<私ドキュメント3部作>が、実際にあったことだけを記したのではなく、作中にフィクションが含まれている――ということを意味するのではありません。これらの作品を執筆するに当って、私は、実在の人物の名前を仮名にする手続き以外は、すべて<実際にあったこと>を、<ありのまま>に記しました。従って、ノンフィクションであるといっても、決して間違いではありません。

 私がここでいうのは、あくまでも<手法>の問題であります。私は、これらの作品を、<私>という主人公を語り手とした、小説の手法で書きました。従って、<実際にあったこと>を、<ありのまま>に記すとしても、そこには自ずからノンフィクション作家が書くノンフィクションとは、違った味わいが生じるわけです。

 具体的にいえば、<私ドキュメント3部作>では、すべてが<私>(作中の主人公)の視点で語られており、<私>がいない場所での出来事は、一切、記されていません。これは、常に作品の視点が主人公に固定されているという意味で、明らかに小説の手法です。作中に登場する人物を、<私>以外の視点で記すという手続きは、これらの作品では取られていません。純然たるノンフィクション的手法であれば、そういった人たちの話も聞き、それを作中に反映させるわけです。

 しかし、私はそれをしませんでした。何故かといえば、それは、作中の主人公である<私>にはできないことだからです。作中の<私>は、自分が見聞したこと、経験したこと以外は、まったく知り得る立場にないわけですから。これらの作品が、小説的手法で書かれており、<私小説>というべきものである、と私が主張する所以です。

 純然たるノンフィクションの手法であれば、作中の主人公である<私>以外の人が書き手となって、<私>以外の作中人物も、心象風景も含めて、より綿密に書かれるべきであったでしょう。しかし、<一市井の人物の個人的な体験>が、そういったノンフィクション作品の執筆対象になることは、ほぼないといっていいと思います。

 私の場合は、たまたま、そういう経験をした人間が小説家であったから、実際にあったことを、ありのままに<小説の手法>で発表することが可能だった――ということになると思います。従って、私は、<私ドキュメント3部作>も、私の小説作品であると考えています。

 ただし、些かくどいようですが、それは、作中に嘘がある、という意味では決してありません。この点だけは、念を押しておかないと、<松井計が「ホームレス作家」はフィクションだと告白した>みたいな誤解が広まってもいけませんので。私がいっているのは、視点も含めた、あくまでも手法の問題です。

 <私ドキュメント3部作>以外の、雑誌に発表したルポルタージュ、<家族問題シリーズ4作><街シリーズ3作>と、新刊「家に帰らない男たち」は、正当なノンフィクションの手法で記したものです。しかし、そこにも、私が小説家である、ということが、多少なりとも影響しています。これらの作品は、すべて、私が自分でテーマを選んだものですが、そのテーマの選び方の背景には、必ず、<小説家としての好奇心>がありました。些か口幅ったい言い方を許していただければ、<小説家でなければ興味を持たなかったテーマ>といえるかもしれません。

 その意味では、これらの作品も、<小説家が書いたノンフィクション><小説家が書いたルポルタージュ>というべきものであったろうと思います。その確信がありましたから、私は、「家に帰らない男たち」の場合などは、作中に私自身を登場させることを躊躇しませんでした。まあ、ノンフィクションにおいても、こういう手法は沢木耕太郎さんの前例がありはしますが。

 しかし、そういった経緯の中で、私が、<ノンフィクション><ルポルタージュ>に強く興味を持ったということもまた事実であり、今後は、小説を中心に作品を発表していくにしても、それと併行して、ノンフィクション作品も発表することになると思います。こういう執筆姿勢は、あるいはどっちつかずに見える可能性もあり、賛否両論あることとは思いますが、私は、<小説家の積極的な社会参加>という意味で、価値があると考える者です。

 さて、前置きが長くなりました。本日は、何が書きたいのかといいますと、上記のように、ここ数年も、私は常に小説家として活動していはたのだけれども、表象的には、<小説>から離れていたように感じられていただろう、ということであります。で、来月、一切のノンフィクションを含まない、純然たるフィクションとしての小説が刊行されるので、それを告知したい、ということであります。

 以下に、現時点で公表できる限りの、詳細を告知いたします。 

5月16日刊行予定
立ち上がる人たち世界文化社

                     ■この本を予約して下さる方は●こちら●

【詳細目次】

「始まりの歌」
「0勝0敗0セーブ」
「みにくいアヒルの子」
「水槽の底」
「オーディション女優」
「推定有罪」
「風のゆくえ」

○発行元 世界文化社
○編集担当 岡田知也
○装幀  中 直行
○刊行年月日 2008年5月16日
○版型 四六版ハードカバー
○定価 1500円+税
○エージェント 栂井理恵(アップルシードエージェンシー
ISBN978-4-418-08514-9
[ 2008/04/12 00:32 ] 書籍 | TB(-) | CM(-)

新刊情報&雑誌掲載のお知らせ

 多忙にかまけているうち、このブログの更新を怠ってしまい、気がつけばもう1月も下旬である。読者の皆様、申し訳ございません。

 さて、本日は、新刊の予定と、雑誌掲載情報の告知です。

【雑誌掲載情報】

 2月4日(月)発売の『週刊現代』(講談社)に、松井計のインタビュー記事が掲載されます。

【新刊のお知らせ】

 東京23区内の大型書店は2月28日、その他の地区は3月1日、扶桑社から書下ろしルポルタージュ「家に帰らない男たち」が刊行されます。この作品は、扶桑社新書創刊1周年記念ラインナップの1冊として書下ろしたものです。
※定価、詳細な章立てなどは、後日、改めて告知致します。

 尚、5月には書下し小説の刊行も決定しており、今年は例年にも増して多くの作品を読者諸賢にお届けする予定です。また、本ブログも頻繁に更新し、私の日常生活や折りに触れて考えたことなどを、広く皆様にお伝えしたいと考えています。それでは皆様、本年もなにとぞ、よろしくお願い致します。
[ 2008/01/25 13:58 ] 書籍 | TB(-) | CM(-)

二次使用について

 松井計の全著作における二次使用についてのお知らせです。同件につきましては出版(著作の文庫化、アンソロジー等への収載)、映像化を除き、すべて(社)日本文藝家協会に委託しております。許諾申請手続き等は、同協会のサイトをご参照ください。尚、作品の映像化窓口は、各著作の版元となっております。

 また、目の不自由な方向けの朗読テープの作成、点字訳書籍の発行など、非営利目的の二次使用は、無条件でお受けしておりますので、許諾をお求めになる必要はありません。
 ただし、この場合、事後でかまいませんので、各書籍の版元を通じてご一報頂戴できればと存じます。これは、無償の福祉目的二次使用を妨げるためではなく、松井計の著作物が、どのような形で二次使用されているのかを本人並びに松井計事務所が把握しておく必要があるためです。ご一報頂戴しても、福祉目的二次使用をお断りすることはありません。どうぞご理解下さい。
 松井計の著作の、現行の点字訳書籍、録音テープについては●こちら●をご参照下さい。

【二次使用許諾申請窓口】
●映像化……各著作の版元
●出版(著作の文庫化、アンソロジーへの収載等)……松井計または松井計事務所
●その他……社団法人・日本文藝家協会
●非営利の福祉目的二次使用……無条件。許諾申請の必要なし。
[ 2006/10/21 09:52 ] 書籍 | TB(-) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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