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アーカイブ原稿⑨「家に帰らない男たちのホンネ」

「家に帰らない男たちのホンネ」
■初出……「週刊文春」2008年3月20日号

「今週は忙しくてね。まったく家に帰ってないんですよ」
 新宿の駅前で待ち合わせた横田努(仮名・42)は、疲れた表情でそう言った。背広には皺が寄っており、気のせいなのか、少し汗臭い匂いがする。
 昨年の秋の、ある金曜の夕刻のことである。私は、古い友人の横田から酒の誘いを受けて新宿へ出向いた。
 ここしばらく、会社での仕事が終わるのが、早くても一〇時過ぎで、ひどいときには深夜零時を回ることもある。それではとても帰宅する余裕がないから、ずっと会社の近くのサウナに泊まっていたのだ、と横田は言った。
 彼の自宅は神奈川県内の私鉄沿線。通勤には、電車とバスを乗り継いで約一時間半かかる。むろん、横田は妻帯者で、子供も二人いる。


「だってね、遅い時間に無理をして帰宅しても、翌日はまた早く起きて出勤しないといけないから睡眠不足になりますよ。それよりは、会社の近くに泊まってゆっくり英気を養ったほうがいいですからね」
 と横田は言った。
 私には不思議だった。この一週間、そういう生活を強いられたのであれば、早めに仕事が終わった今日ぐらいは、私を酒に誘ったりなどせずに、まっすぐに家に帰ればいいではないか。ところが、彼にはそうする気配は全くない。
 遅くまで私を引き止め、結局、この日は深夜の二時過ぎまで二人で酒を飲み、彼はまた、サウナに泊まると言って夜の街に消えていった。
 この出来事が、私が「家に帰らない男たち」に興味を持つきっかけになった。
 膨張を続ける首都圏にあって、通勤に長時間を費やしているサラリーマンは多い。そういう人たちが、仕事が遅くなったときなどにサウナやカプセルホテルに泊まることがよくある。
 私は、彼らは、仕事が多忙であるがゆえに、不承不承、そういう生活をしているのだろうと考えていた。
 ところが、横田の例を見ると、そうとばかりも言えないようである。彼は、私を酒に誘いさえしなければ、久しぶりに家に帰って、家族とゆっくり夜を過ごすことが出来たはずである。
 が、彼はそうしなかった。となれば、少なくとも彼にとっては、家に帰らないのは多忙だけが理由ではないことになる。
 ひょっとしたら、ほかの家に帰らない男たちも同じなのかもしれない。そんな人たちの話をじっくり聞いてみたいと思った。

 そのような動機から取材を始めてまとめたのが、二月の終わりに刊行された拙著「家に帰らない男たち」である。
 この本は、六人の家に帰らない男たちの経験を中心にまとめたが、実際に私が話を聞いた人は、二〇人に近い。そのほとんどが、定住する家があり、妻子もいる人たちである。
 彼らの家に帰らない生活ぶりは多彩で、その原因・理由、自分の日々の生活の受け止め方もそれぞれだった。ここで私が話を聞いた「家に帰らない男たち」の生活ぶりを少し紹介したいと思う。

 IT関連企業に勤務する山崎聡(仮名・38)は、妻と合意の上で、週末婚を選択している。ウイークデーは家に帰らず、金曜日の夜から月曜の朝までを自宅で過ごす生活だ。
 妻は同い年で、子供は小学四年生の女の子と一年生の男の子の二人。山崎は、今の生活を、「これが一番自然な形」だと断言する。
 就職してすぐに今の妻と知り合い、同棲を経て結婚。週末婚を選んだのは、妻に対する小さな違和感がきっかけだった。
「結婚してすぐの頃から、妻と口論することが多くなったんです。口論といっても、つまらないことです。テレビを見ていて、どのタレントが好きとか嫌いとか、ドラマが面白いとかつまらないとか、そんな程度です。ただ、そんなことがあった後、妻が『どうして私たちはこんなに気が合わないんだろう』と泣くんですよ。気詰まりでした」
 不思議だったのは、数年間の同棲時代には、まったく喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったのに、正式に結婚したとたんに口論が増えたことだったという。
「自分の知らない妻を見たような気持ちでしたよ」
 山崎の妻は、女子御三家といわれる私立の中高一貫校を卒業している。が、最終学歴は短大卒である。
「これも結婚してから気づいたんですが、妻は、自分のそんな経歴にコンプレックスを抱いていたんですね。それも彼女に対する違和感につながりました」
 そうこうするうちに、山崎は大きなプロジェクトの責任者に選ばれ、仕事が深夜にまで及ぶことが多くなった。
 そこで、彼は妻とも相談の上で、勤務先と自宅の中間地点に当たる笹塚にマンションを借り、週末婚を始めたのである。家賃は月七万円。
 その仕事も一段落つき、最近では、以前よりは早い時間に会社を出ることができる。が、山崎は今でも週末婚を続けている。私が驚いたのは、そうでありながら、彼がマンションを引き払ったことである。
「会社の部下に誘われて、飲み会の後、サウナに泊まったんです。これが落ち着くんですね。それなら、わざわざ高い家賃を払うこともないと思って、マンションは引き払いました」
 今では、山崎は仕事が終わると、近くの居酒屋で食事がてら酒を飲み、ウイークデーはサウナかカプセルホテルに泊まる生活である。
「週末婚を選んで正解でした。金曜日に家に帰るときは、恋人に会いに行くみたいでワクワクしますよ」
 笑いながら山崎は言う。以前、妻に感じた違和感は、今ではすっかり影を潜めているそうだ。

「こんな生活を続けていると、いつか必ず手痛いしっぺ返しを受けると思います」
 と暗い表情で話してくれたのは、デザイン事務所に勤務する木村耕一(仮名・46)だ。彼はなんと、二一歳の女性と半同棲生活をしている。
 ふだんは、その若い愛人、風間美樹(仮名)の部屋で過ごし、週末だけ三多摩地区にある自宅に帰る生活だ。彼も妻帯者であり、子供も二人いる。
「もう三年前になりますかね。美樹が勤めていたキャバクラに、同僚に誘われて入ったのがきっかけです」
 その頃、美樹は同棲していた恋人と別れたばかりで、住む家がなく、ネットカフェを転々としていた。
「たまたま、彼女と私は同郷でした。別れた恋人からストーカー行為を受けていたこともあり、私が店に行くたび、相談を受けるようになったんですよ」
 当時の美樹はまだ未成年。水商売でもあり、自分で部屋を借りるのが難しかった。そこで、木村が自分の名前で部屋を借りてやったのが、半同棲生活の始まりだったという。
「私は名前を貸しただけです。部屋を借りる資金や家財道具を揃えるための金は全部、美樹が自分で出しました。私は、引っ越し祝いにカウチソファをプレゼントしただけです」
 この部屋が、木村と、親子ほども年の離れた美樹との、半同棲の場になったわけである。
 木村の妻は、現在でこそ、子育てのためもあって、第一線を離れてはいるが、もともとは、木村と同じデザイン事務所に勤めていた同業者である。もちろん、彼女は木村と美樹の関係を知らない。
「妻は、私が仕事が忙しくて、なかなか家に帰ることができないと考えているようです」
 だからこそ、妻に対しては罪悪感を覚える。何度も、美樹との関係を清算しようと考えたが、どうしてもできなかったそうである。私が、
「では、どうしても奥さんか美樹さんのどちらかを選ばなければならなくなったらどうしますか?」
 訊くと、彼は迷わず、
「もちろん妻です。美樹とのこんな生活が、いつまでも続けられるとは考えていませんから」
 と断言する。そうではあっても、今は美樹と離れられない。男女の関係は、なかなかに難しい。

 準大手のゼネコンを退職して脱サラした多田野道夫(仮名・50)は、見るからに豪放磊落なタイプの男である。薄い頭髪に、でっぷり太った堂々たる体躯。表情の豊かな赤ら顔で、話す声は大きい。
「全国を転々とする根無し草のような生活に飽き飽きしたんですよ」
 ゼネコン時代は典型的な転勤族で、福岡、広島、高松と全国を転々とした。中東への海外赴任も経験している。こういう生活に嫌気が差して、ゼネコンを退職。友人と一緒に健康食品販売業を始めたのが、三八歳のときのこと。
「私は家族を大切にしたほうだと思います。でも、仕事の忙しさを理由に、遅く帰宅してから家で食事をしたり、逆に、妻が食事を準備してくれているのに、外で飯を食って帰宅して無駄にしたり……。これでは家内もたまりませんよ」
 新事業も何とか軌道に乗り、生活にもゆとりが出てきた四十五歳のとき、一人息子が大学に入学した。
「人生に一区切りがついた気がしました。これから先は、もっと自由に生きたいと思いました。家内に対しても同じです。わがままな私や倅の面倒ばかり見て苦労したんだから、妻にもこれからはもっと自由に生きてほしかったんです」
 そこで多田野は、これからは基本的には自分の食事は作らなくていい、と妻に告げた。逆に、今日は自宅で食事をする、というときに、事前に妻に電話で伝えるというルールを作った。
「最初は妻の負担を軽くするために決めたルールでした。ところが、実際に始めてみると、楽になったのは私のほうでしたよ」
 と多田野は笑う。
「家内も私の帰りを気にせず、気楽に暮らしていると思うと、こちらも肩の力が抜けたというか、楽な気持ちになったんです」
 そういう心境になると、仕事の後、部下を連れて飲んだときなど、わざわざ遅い時間に自宅に帰るのは無駄なことだと思えるようになった。
 以来、彼は、仕事が遅くなったり、酒を飲んだりしたときにはサウナやカプセルホテルに泊まるようになった。気が向いたときだけ、自宅に帰る生活である。
「私には、こういう生活が一番、合っていますね。楽しいです」
 彼は、現役で仕事をしている間は、ずっとこういう生活を続けるつもりだそうである。

 多田野とは逆に、ある種の難行苦行として、家に帰らない生活を受け入れているのが杉下岳司(仮名・48)だ。
 彼は、金融機関に勤めていたのだが、会社が破綻。外資に買収されることになった。幸い、杉下はリストラされることなく、引き続き新会社に勤められることになったが、数年後にまた、新たな問題にぶつかる。
 会社が、本社を横浜市内に移転することになったのだ。その頃、杉下は埼玉県の狭山市に、自宅マンションを購入していた。バブルの頃に買った物件だから、仮に売却しても、ローンが残るだけ。
 さりとて、横浜市内に単身赴任のための部屋を借りるのもばかばかしい。そこで、仕方なく、杉下は仕事が遅くなると、自宅へは帰らず、横浜市内に泊まる生活を始めた。
「給料日の後で余裕があるときはサウナでゆっくりしたりもしますが、小遣いが苦しくなると、ネットカフェで仮眠を取る程度になることもあります。それでも、終電で狭山まで帰って、朝早く、また横浜へ出勤するよりは楽ですよ」
 杉下は、疲れ果てたような表情で、私にそう言った。まさに、定住の場なき単身赴任者である。
「でも、仕方がないですよ。会社が破綻したときには、絶望しかけましたが、幸い、こうして新会社に勤められ続けてます。これで通勤が遠すぎるなんていったら罰が当たります。これから、子供たちも大学に進んで、今まで以上に金がかかるようになるんです。仕事があってありがたいと思わなきゃ。所詮、我々はサラリーマンだから、会社にしがみついて生きるしかないんです」
 彼はもはや、諦めの境地に達しているようであった。

 ところで、私は、取材中、家に帰らない男たちに密着して、一緒にサウナやカプセルホテル、ネットカフェに泊まったことがある。ところが、私は、どうしてもそういう場所では落ち着いて眠れないのだ。
 が、私に話を聞かせてくれた男たちは、みんな口を揃えて、サウナやカプセルホテルは落ち着く、と言った。
 この辺りが、家に帰る男と、家に帰らない男を峻別する、大きなハードルなのかもしれない。今夜もまた、東京の盛り場では、さまざまな男たちが、それぞれの理由で家に帰らず、サウナやカプセルに泊まっているに違いない。

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[ 2009/02/11 01:19 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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