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未発表原稿特別公開「立ち上がる人たち」第4・5話『ひきこもり』

【解説】
 2008年刊行の拙著、「立ち上がる人たち」(世界文化社)は、第1話『始まりの歌』、第2話『〇勝〇敗〇セーブ』、第3話『みにくいアヒルの子』、第4話『水槽の底』、第5話『オーディション女優』、第6話『推定有罪』、第7話『風のゆくえ』の7つのエピソードからなるオムニバス小説です。

 ところが、実は、原稿の段階では第4話のあとに、第5話として『ひきこもり』というエピソードがありました。本作を刊行する際に、諸般の事情からこの第5話『ひきこもり』を削除、当初は第6話として予定していた『オーディション女優』を改めて第5話とし、全7話のオムニバス小説として刊行したのでした。

 本作が文庫化される際には、『ひきこもり』も第5話として収録し、コンプリートな形で刊行したいと考えておりましたが、底本刊行元が文庫を持たないこともあり、いまだ文庫化の予定が立っておりませんので、まず、このブログにて、本作『ひきこもり』を公開したいと思います。

 原稿段階では、第5話として執筆したものですが、すでに公刊された書籍にて、第5話を『オーディション女優』としてありますので、便宜的に第4・5話として公開したいと思います。些か大仰な言い方になりますが、<幻の作品>をお楽しみください。

 「立ち上がる人たち」は、各話の主人公や主要な登場人物が、ほかのエピソードにも関連を持ち、それぞれのエピソードを併せて読むことで、全体が長編小説として成立する形の構成です。本作『ひきこもり』にも、ほかの各話に登場する人物が多く出てきます(主人公の田辺良の父は、第4話『水槽の底』に主人公の主婦がほのかな思いを寄せる人物として登場、高崎隼一は第2話『〇勝〇敗〇セーブ』の主人公、ジョージ竹原は同話の主要人物、フーミンは第5話『オーディション女優』の主要人物)。従いまして、「立ち上がる人たち」所収の第1話から第7話も併せてお読みいただきますと、より、本作の背景がご理解いただけることと思います。

 また、既に「立ち上がる人たち」をお読みいただいた方には、本作『ひきこもり』をお読みいただきますと、第2話に登場した人物のその後や、第4話のほのかな不倫の背景、第7話におけるフーミンの行動の理由などがよくご理解いただけ、ある種の<ミッシングリンク>をつなぐことにもなると思います。


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「立ち上がる人たち」第4・5話
ひきこもり

         1

 階下で玄関の開く音がした。父が帰宅したらしい。スリッパが階段を叩く音が聞こえ、やがて足音は僕の部屋の前で止まった。僕はパソコンの画面を見つめたままだ。ドアのほうを振り向くこともしない。父がまた、階段を降りていく音が聞こえた。
 僕はやっとドアを開ける。コンビニの弁当と、ポテトチップスが二袋、コカコーラの一リットル入りペットボトル、それから、今日発売になったばかりの格闘技雑誌が置いてある。すべて、僕が父に買ってきてくれるように頼んだものだ。といっても、直接、僕と父が口を利いたわけではない。昨晩遅く、これらの商品を記したメモをドアの前に置いておいた。こうしておくと、朝食を運んできた父が、その日の会社帰りに、頼んだものを買ってきてくれるのだ。
 しばらくして、ガレージから車が出る音がした。今夜も父はまた、出かけるらしい。この家にいるのが息苦しいのだろう。こんな生活が、既に三年も続いている。

 高校三年生のとき、僕は大学受験に失敗した。志望校に合格できなかったばかりか、滑り止めのつもりで受けた中堅の大学にも、ことごとく落ちた。最後の不合格通知を受け取ったときの、両親の落胆ぶりを、僕は今でもはっきりと憶えている。
 公平に言って、僕は両親に最高の教育を与えてもらったと思う。子供の頃は、多くの書物を与えてもらったし、中学からは、中高一貫教育の私立校に通わせてくれた。小学校だけは近くの公立校に通ったが、それは、両親が地元での友人関係も大切なものだと考えていたからである。
 そんな教育熱心な両親だったから尚更、僕の受験失敗には落胆してしまったのだろう。父は、
「お前は、俺が考えていたより馬鹿だったのかも知れないな。まあいい、来年、きちんとした大学に入ればいいんだ。頑張るしかないんだぞ」
 と言った。母は、
「お母さん、もうがっかりしたわ」
 と言って泣き、僕に、
「どこにも受からないなんて可愛そうに……」
 と言った。
 卒業後は予備校に通う毎日が始まったが、僕はどうしても受験勉強に熱中できなかった。予備校をサボって、駅前の喫茶店で時間を潰すことが多くなった。
 時々、高校時代の友人から、大学での生活ぶりを聞かされると、尚更僕は、受験勉強への意欲を失った。やがて、
「田辺さんのところも大変ねえ。教育熱心で、とてもいいご家庭だと思っていたのにねえ……」
 という、近所の人の声が耳に入るようになった。そのたび、母が僕を詰る。やがて僕は、自室にこもったまま、一歩も外に出ない生活を始めるようになった。自室で受験勉強に集中していると考えたのか、両親はそんな生活をとがめることはなかった。と言うよりもむしろ、至れり尽せりと言いたい待遇で、僕にとって微温的で幸福な毎日が始まった。
 食事はいつも母が、
「良ちゃん、まだ頑張ってるのね。偉いわよ」
 と、ねぎらいの言葉と共に部屋に運んでくれる。僕は、パソコンで遊んでいるだけだったのに。そんな母の善意に充ちた誤解は、僕たちの家族に、穏やかな時間を与えてくれた。父も母も、そして僕も、この時期が最も心安らぐ毎日だったのかもしれない。

 母が、これはおかしいのではないか、と考え始めたのは、僕が何日も風呂に入っていないことに気づいたからだろう。共稼ぎの両親は、二人が職場に行っている日中に、僕が入浴をすませていると考えていたらしい。ところが、ある日、バスルームがまったく濡れていないことから、母は事実に気がついた。
「良ちゃん、あなたお風呂は?」
 部屋に食事を運んできたとき、母がそう言った。
「うるさいな。風呂なんか入んなくていいよ」
「まさか、ずっと入ってなかったの?」
「どうでもいいだろう。いちいちうるさいな」
「ちょっと部屋の中を見せてちょうだい」
 異変に気づいたのだろう、母が言った。僕は、両手を開いて母を制し、
「うるさいんだよ、クソババア」
 と叫んでいた。
 あのときの母の顔が忘れられない。まったく理解不能な、何か得体の知れないものを見るような、恐れのこもったあの目。あのときから僕は、家族にとって異物になってしまったのだろう。その日の晩、帰宅した父が、
「おい、良、開けろ」
 怒鳴りながらドアを叩いていたが、僕は内側からドアを強く押して、父を中に入れなかった。

               2

 父は、僕が大学受験に失敗して拗ねている、という程度に考えていたらしい。この生活を変えさせるために父が取った行動は、母に食事を僕の部屋まで運ばせない、ということだった。ある朝、父が僕の部屋の前まできて、
「おい、食事ができてるぞ。早く下へ降りて食べなさい」
 と言った。
 僕は、それに応じなかった。夕食時にも父はまた、同じことをしたが、やはり僕は階下へは降りず、ずっと二階の自室にこもったまま、一日中、何も食べずに過ごした。翌日も同じことが繰り返された。が、夜の八時頃になって、母がこっそり食事を僕の部屋の前まで運んできた。
 それに気づいた父が、
「そういうふうにお前が甘やかすから、こんなことになるんだ。こんな調子じゃ来年もまた、大学に落ちてしまうぞ」
「だって、何も食べないと、良ちゃんが体を壊してしまうわ」
 両親の言い争う声が、僕の部屋まで聞こえてきた。翌日から、彼らの諍いは、日常的な出来事になった。僕への悪影響を恐れていたのか、両親は、僕が子どもの頃から、僕の前では一切、言い争ったり喧嘩をしたりしない人たちだった。
 小学生の頃、僕は、
「ねえ、お父さんとお母さんはどうして喧嘩をしないの? 夫婦喧嘩をして見せてよ」
 と、無邪気に言ったことがある。そんな両親が、僕のことで毎日、言い争うのだ。その原因が僕にあることは、充分に理解している。が、僕は、そのことに耐えられなかった。
 ある晩、いつものように両親の言い争う声が聞こえてきたとき、僕はひっそりと部屋から出て一階へ降り、
「うるさいなっ、何時だと思ってんだよ」
 両親を怒鳴りつけた。母は、例の恐れのこもった目で僕を見つめながら、言葉を失っている。父は、
「何を言ってるんだ? 誰のせいで、こうなってると思ってるんだ」
 と、僕を怒鳴りつけてくる。僕の中で、何かが弾けた。僕は父に飛び掛り、
「うるさい、バカヤロー」
 叫びながら、父を殴りつけていた。何度も何度も、僕は父を殴った。母が、半狂乱の状態になり、
「止めて、止めてちょうだい良ちゃん。止めて。お母さんたちが悪かったから」
 叫びつづけている。
 僕は、自分で自分をコントロールできなかった。父を憎んでいるわけではない。が、どうしても自分を押さえられない。
「謝れ、手を突いて謝れ、バカヤロー」
 僕は、自分でも何発殴ったか判らないほど、父を殴った。やがて、顔を腫らし、鼻血をたらした父が、床に手を突いて、
「悪かった。お父さんたちが悪かった」
 と言った。
「そんな謝り方じゃダメだ。申し訳ございませんでしたと言え、どうか許してくださいと言え」
 父はしばらく黙っていたが、やがて床に頭を擦りつけて、僕が命じたとおりの言葉を口にした。背後では母が、
「どうして、こんなことになるの……」
 と所々、嗚咽で言葉を詰まらせながら呟いていた。僕たちの家族が、崩壊し始めた瞬間だった。

 その後も、僕は何度も父に手を上げた。一週間に一度は、僕の内側にある制御し難い何物かが破裂し、そのたびに僕は父を殴った。特に何かきっかけがあるわけではない。突然、自分でも抗うことのできない激しい感情が湧いてきて、そのはけ口として父への暴力に走ってしまうのだ。
 そのたびに父は床に手を突いて僕に謝り、母は声を殺して泣いた。まるで儀式のような、そんな狂騒の時間が終わると、僕はやっと、自室でゆっくりと眠りに就けるのだった。
 父を殴るために階下に降りるとき以外は自室から出ない生活を続けたまま、二度目の春を迎えた。
 二階にもトイレがあったから、用はそこで足せたし、僕には、階下へ降りる理由は、父を殴ること以外になかった。
 そんな状態が続いているのだから、二度目の大学受験など無理な話である。形の上では二浪ということになるが、僕の頭の中には、もう大学受験のことなど、欠片すらなかった。
 あれは、そろそろ春も終わろうとする時期のことだったと思う。また、僕が父を殴っているとき、たまりかねた母が、後ろから抱き付いてきて、僕を止めようとした。
「離せよ!」
 僕は無意識のうちに、母を突き飛ばした。母は壁に頭を打ちつけたが、たいした怪我をしたわけでもなく、床にしゃがみこんだ身体を壁に凭れかけさせたまま泣いていた。
 翌日から、母は家に戻らなくなった。数日後、父が、
「お母さんには、近くのアパートに引っ越してもらった。お前は、いつ会いに行ってもいいんだぞ」
 と言って、僕に、母の新しい住所を記したメモを渡してくれた。僕たちの家から歩いて十分くらいの場所だった。父は、このときも僕に殴られると覚悟していたのだろう。
「判ったよ」
 言って素直にメモを受け取る僕を見たとき、父は拍子抜けしたような顔をしていた。 
 父が言い出したことなのか、母から申し出たことなのか、僕には判らない。いずれにしても、父にだけ向けられていた暴力が、母にも向かってしまう危険を感じて、緊急避難的に母は家を出た、ということなのだろう。
 もう一つは、母が離れたところに住んでいれば、そこを訪れるために、僕が部屋から出るかもしれない、という期待もあったのかもしれない。が、僕は母のアパートへは、まだ、一度も行ったことがない。実質的に、僕が無意識のうちに、母を突き飛ばしてしまったときに、僕は母親を失ったことになる。
 その日以来、父が僕の部屋に食事を運んでくるのに合わせて、買ってきて欲しいものをメモした用紙をドアの外に置いておく生活が始まった。父への暴力は、その日を限りに止んだ。僕はまるで<外部>を拒絶するかのように、自室からまったく外に出ない生活を始めた。
 僕にとっては、既に父も<外部>と呼ぶべき存在だったのだろう。であれば、もはや父への暴力は、自分でも抗い難い何物かを発散するための行為ではありえなかった。
 身の安全だけは確保した恰好になった父だったが、やはり、部屋にこもりきりのままの、二十歳に近い息子と二人きりの生活は、息が詰まるような毎日だったのだろう。それまではあまり趣味らしい趣味も持っていなかった父が、男女混声サークルに参加して、帰宅後、頻繁に出かけるようになったのは、この頃からだ。
 あれから、もう三年が過ぎた。僕は、二十歳の誕生日も部屋にこもったまま迎えた。痛々しかったのは、その日の父の行動だ。
 父は、僕の部屋に食事を運んでくるときに、コンビニの弁当と一緒に、バースデイケーキと、缶ビールを一本、置いていった。彼なりに、僕の誕生日を祝いたい心境だったのだろうし、成人した記念に、二人で一緒に酒を呑みたかったのかもしれない。
 バースディケーキの包みを見ると、<アリスの寄り道>と書いてあった。子どもの頃、僕が好んだ洋菓子店だ。<アリスの寄り道>は、僕たちの家の最寄駅から、新宿方向に快速電車で三つ目の駅前にある。週末などに、両親と一緒にここに寄って、ケーキやクッキーを買ってもらうのが楽しみだった。
 親子三人で、新宿に映画を観に行った後、帰りに途中で電車を降りて、ケーキを買ったり、あるときなどは、家の側の公園で、父親とキャッチボールをした後、どうしても<アリスの寄り道>のケーキが食べたくなり、父にせがんでわざわざ、連れて行ってもらったこともある。
 父は仕事の帰り、わざわざ途中下車して、この店に寄ってくれたのに違いなかった。おそらくは彼も、僕が子どもの頃の、幸福な時間を思い出していたのだろう。僕にしても父にしても、もはや、帰ることのできない時間。帰りたくても、帰れない、そんな時間だ。

             3

 パソコンでゲームをしたり、インターネットの掲示板に書き込みをしたりしているうちに、一日は終わる。特に、それが楽しいわけではない。ただの時間つぶしだ。ゲームやネットで遊んでいるうちに長い時間が過ぎ、いつか歳を取って、そのまま死んでしまえれば、どんなに楽なことか。考えてみれば、僕の生活は、<緩やかな自殺>なのかも知れない。
 でも、一度も、部屋から出ようと思わなかった、というわけではない。何度か僕は、部屋から出てみようと考えたことがある。
 一度は、インターネットの掲示板がきっかけだった。僕の趣味は、今は表舞台から消えてしまった有名人の消息を探ることだ。同じ趣味の連中が集まるサイトがあって、僕もそこの掲示板の常連だった。たいていのメンバーは、かつて人気のあった芸能人に興味の中心があるのだが、僕の好みは少し変わっている。
 昔、ベストセラーを出したものの、今では著書を見かけなくなった作家や、引退したスポーツ選手が僕の守備範囲だ。
 その掲示板に、フーミンというハンドルネームがあった。普通のメンバーと変わらず、消えた芸能人に興味のある女の子だった。あるとき彼女が、
「ヒポクラテスさんの専門分野はシブイですね」
 と、僕の書き込みにレスをつけてくれた。<ヒポクラテス>というのは、僕がその掲示板で使っていたハンドルネームだ。
 それがきっかけで、彼女とメール交換するようになった。僕は、自分が部屋にこもったままの生活をしていることは知らせずに、メールやメッセンジャーで彼女と話をした。
 やがて、一度、外で会わないかという話になった。僕のほうから持ちかけたのだ。彼女も同意してくれ、会う日を決めた。が、結局、その日、僕は約束の場所に行かなかった。どうしても部屋を出る心境になれなかったのだ。
 最初から、彼女を騙したわけではない。彼女と話しているときには、本当に会いにいくつもりなのだ。僕が引きこもりの生活をしていることも、すっかり忘れている。が、その約束が、現実の世界に侵入してくると、僕はどうしても部屋から出て、約束を果たすことはできないのだった。
 その日の晩、彼女から、
「どうしてこなかったの? 何かあったの? 心配してます」
 というメールがきたが、僕は返信しなかった。メッセンジャーにも呼び出しがあったが、出なかった。メールアドレスも変え、彼女と知り合ったサイトにも、出入りしなくなった。 また別のメールアドレスとハンドルネームで、ほかのサイトへ寄れば、話のできる女性はいくらでもいる。それでいい、と僕は思った。

 そろそろ本格的な梅雨になり、雨ばかりの鬱陶しい季節になったある日、一度、帰宅した父が、僕の部屋の前に食事を置くと、またすぐに車で出かけていき、深夜近くになって戻ってきた。
 やがて、階段を上ってくる音が聞こえた。もう食事は運び終えているわけだから、普段ならそのまま一階にある自室で眠るはずである。
「おい、良――」
 ドアをノックしながら、父が言った。僕は、インターネットの巨大掲示板に、ある格闘技選手の悪口を書き込んでいるところだった。
「まだ、起きてるか?」
 僕は返事をせずに、書き込みを続けた。
「たまには、お父さんと話をしないか」
 ここのところ、父は食事を運んでくるときも、僕に話し掛けることはなかった。何かあったのだろうか。
「お母さんのことだけれどね……」
 言って父は、しばらく黙っていた。やがて、
「ひょっとしたら、お父さんとお母さんは離婚するかもしれない」
「えっ」
 思わず僕は、書き込みの手を止めて、声を出していた。父が階下へ降りるまで、黙っているつもりだったのに。
「聞いてたのか、良。驚くのは判る。でも、お前は今までと何も変わらないんだからな。お前とお父さんとの関係も、お母さんとの関係もだ。だから、お前は何も心配しなくていいんだ。ただ、お前には話しておくべきだろうと思ってな」
 それだけ言うと、父は安心したのか、一階へ降りていった。父と母の離婚――そんな事態は、一度も想定してみたことがなかった。考えてみれば、母がこの家を出て行ったのは、僕が十九歳のときだ。あれからもう三年。父と母の生活にも、様々なことがあったのだろう。
 長期間、別居していた二人の心は、いつか遠く離れてしまったのかもしれない。そう考えて、僕は苦笑いした。その原因を作ったのはほかでもない、僕自身だということに、改めて気づいたからだ。
 僕はもう、二十二歳で成人しているから、父と母のどちらかを親権者に決める必要もない。母は既にこの家に住んでもいないのだから、離婚してもどちらかが出て行く、という話でもない。
 父がいう通り、何も変わらないのに違いなかった。別居していた両親が、夫婦から他人になるだけのことだ。でも、それでいいのだろうか。別居の原因を作った僕が、その後、母とは一度も会わないまま、父と母の離婚を傍観していていいのだろうか。

              4

 あれから三月ほどが過ぎ、もう秋だった。僕はまだ、部屋から出ることができず、引きこもりの生活を続けている。あの晩以来、もう父は僕に、母との離婚の話をしてくれることはなかった。もちろん、僕から訊くこともない。
 ひょっとしたら、既に両親の離婚は成立してしまったのかもしれない。そう思うと、焦燥感に駆られる。早く母に会いたいと思う。でも、僕はどうしても、部屋から出ることができず、階下へ降りて父と、母の話をすることもできなかった。生活が何も変わらないまま、時間だけが過ぎていく。
 そんな頃、僕はインターネットで、あるブログを見つけた。『白球を求めて』というタイトルで、今年の春、プロ野球を引退した高崎隼一が運営しているものだ。きっかけはやはり、僕の趣味だった。<フーミン>のことがあって以来、サイトには出入りしないようになっていたが、僕は消えた著名人の探索は続けていた。
 こういう趣味を持つ人間は、次第によりマイナーな存在に興味を持ち始めるもので、それは、僕も例外ではなかった。
 父に買ってきてくれるように頼んだ野球雑誌に、各球団の今年引退した選手の一覧が載っていた。その中から、僕が探索してみたくなったのが高崎だった。甲子園出場歴もなく、ドラフト下位指名での入団。しかも一軍出場はなし。こういう存在にこそ、マニア心は惹かれるものなのだ。
 インターネットで、高崎隼一を検索してみると、意外にも彼のブログがヒットした。それが、『白球を求めて』だった。驚いたことに、高崎は引退後、アメリカに渡っているのだという。アメリカから、毎日、ブログを更新しているのだ。
 しかも、肩と肘を壊した彼は、もうプロ野球選手としては復活できないことを知っていながら、アメリカのチームで、裏方として働くのだという。初めてブログを見たときの、彼の記述は以下のようなものだった。
『九月二十八日。ビザの問題で、色々と苦労しましたが、今日からやっとチームと合流しました。ジョージさんには感謝です。チームは、バッファローにある「マーベリックス」という独立リーグの球団です。俺は、チームスタッフという形で働きます。
 独立リーグのチームだからスタッフも少なく、球拾いからグランド整備、アトラクションの準備までなんでもやります。給料も安いです。でも、みんな野球が好きな奴ばかりで、楽しく働けそうです。新しい俺のスタートです』
 過去の記述に遡って読んでみると、日本のプロ球団を首になって以降のあれこれが、細かく記してあった。トライアウトに参加したときに知り合った、メジャーリーグ球団の極東担当スカウトを務めるジョージ竹原という人の尽力で、高崎はアメリカへ渡ることができ、独立リーグ球団の一員になったのだ。
 読み進めて行くと、かなりの苦労があったことが判る。が、高崎の文章からは、苦労の重さは微塵も感じられず、そこには溌剌とした若さと、喜びが充ち充ちていた。ブログには何度も、ジョージさんという名前が登場し、彼がこの人物に心酔していることが読み取れる。
 高卒後プロ入りして、三年での退団だから、高崎は僕より一つ年少のはずだ。ほぼ同世代である。僕は、一度はプロ野球を首になって辛酸を舐めた男が、どうしてここまで明るく振舞えるのか、それが不思議だった。その日から、毎日、『白球を求めて』を読むのが、僕の楽しみになった。
 引きこもって以来、僕は毎日、長時間、インターネットをやっている。外部を拒絶していた僕が、それでもインターネットを通じてほかの人たちと交流を持てたのは、インターネットが<架空の世界>だからである。
 <フーミン>とのことが、いい例だ。ネットやメールで話している彼女は、僕にとって、架空の存在なのだ。だからこそ、僕もひきこもりではない架空の<ヒポクラテス>になって、彼女と会う約束もできる。が、会う日が近づいて、<フーミン>が徐々に実在の人間としての姿を現し始めると、僕はもう、逃げ出したくなってしまうのだ。
 そういう意味では、『白球を求めて』も同じといえば同じである。極端なことを言えば、このブログを開設している高崎隼一が本物の高崎隼一だとは限らないのだ。誰かが、高崎を装ってブログを開設している可能性もないではない。それがインターネットというものだ。
 しかし、『白球を求めて』は、今まで僕が接してきたインターネット上のどんなサイトとも違っていた。そこには、激しい現実感があった。最初のうちは、趣味の、消えた著名人探索の興味からこのブログを読んでいたのだったが、そのうちに僕は、高崎という人物に惹かれるようになった。
 彼が記す独立リーグでの生活は、僕の目から見れば、それほど幸せなこととは思えない。むしろ、過酷で、苦しい日々のように感じられる。しかしそれを、高崎は極めて明るく、楽しそうに記す。僕にはそれが不思議でならなかった。何故、高崎はそうできるのか。僕はそれが知りたかった。
 十月の末近くになって、高崎はブログに、
『もうすぐ、シーズンも終わります。選手たちはシーズン終了と同時にちりぢりになります。来年、ここに戻ってくる奴もいるし、運のいい奴は、メジャーや傘下のマイナーに移ります。
 もちろん、野球を止める奴もいる。半分くらいの選手とは、これでお別れでしょう。俺たちスタッフには、シーズン終了後もまだ少し仕事が残っていますが、十一月に入ったら、もう今年の仕事はありません。
 その間、ベネズェラのウインターリーグに行ってみないかとジョージさんに誘われてます。当分、日本には帰らないつもりです』
 と記していた。独立リーグといえば、アメリカのプロ野球の最底辺である。それが判っているからこそ、高崎もメジャーや傘下のマイナーリーグに移る選手のことを、<運がいい>と表現しているわけだ。しかも、高崎はシーズン終了後の賃金は保証されていない。それなのに何故、ここまで生き生きと毎日を暮らすことができるのだ。
 『白球を求めて』には、メールフォームが設置されていた。僕は、思い切って高崎にメールを送った。
『始めまして、高崎さん。いつもブログ読んでます。いつも楽しそうで羨ましいです』
 期待していなかったのだが、翌日、高崎から返信があった。
『ブログ読んでくださってありがとう。短い間でしたが、いい経験をしました。ウインターリーグでも、もっともっと、いい経験をしてきたいと思います』
 ブログの記述と変わらない、前向きで清々しい内容だった。僕のほうからもまた返信し、やがて我々は、頻繁にメールを交換する間柄になった。
 彼とメールのやり取りをしてみて判ったのは、『白球を求めて』の記述が、まったくの彼の本心だということだった。メールに綴られた言葉の端々から、彼が今の生活を楽しみ、生き生きとした毎日を暮らしていることがよく理解できた。
 彼にメールを送った時点でもまだ、ぼくはどこかで、『白球を求めて』の記述は、虚勢を張っているのではないか、と考えていたのだ。そんな思いが打ち砕かれるとともに、僕は更に、高崎という男に惹かれていった。
 しばらくして、僕は高崎に、自分がひきこもりの生活を、もう四年も続けていることを告白した。両親が離婚するかも知れず、母に会いたいと思っているが、部屋を出て、彼女のところに行く勇気が出ないことも。そして、そのメールの最後を、
『高崎さんは強い人ですよね。僕は弱い。高崎さんみたいになりたいですよ』
 と結んだ。いつものように、すぐに返信があった。
『僕が強い人間だなんてとんでもない。日本でチームを首になった後は、人には言えないような、とんでもない生活をしていたんですよ。ブログにも書けないようなひどい生活でした。
 でも、色々とあって、気づいたんですよ。僕はピッチャーでした。野球はボールを投げてみないと始まらないことを、僕が一番、よく知っているじゃないかって。
 じゃあ、これから先の人生も同じじゃないか。後はどうなるか判らないけど、そんなことは考えず、とりあえず、ボールを投げてみようって。そうしてみてよかったです。今は、とても楽しいですから』
 『ボールを投げなければ野球は始まらない』という言葉が、僕の胸を打った。
 翌日、また、高崎からメールがきた。今度は、写真を貼付してある。中南米系とおぼしい大柄な選手と高崎がキャッチボールをしている写真だった。高崎は、楽しそうに笑っており、真っ黒に日焼した顔に、白い歯がよく目立っている。 
 メールの本文は、
『昨日は偉そうなことを言ってごめんなさい。田辺さんは、頭がいい人なんですよ。だから、必要以上に考え込む。俺はずっと野球しかやってこなかったから、根が単純なだけです。「マーベリックス」での今年の仕事がすべて終わり、明日、ベネズェラへ移動することになりました。
 インターネット環境があるかどうか、まだよく判りません。ネット環境が整ったら、またメールします。それまでお元気で』
 僕は、パソコンの電源を落とした。部屋を探してみると、クローゼットの奥のダンボール箱に、グラブが二つしまってあった。一つは僕が小学校の頃に使っていたもの。もう一つは、父が使っていたグラブだ。中学校に入った頃、子供のときのグラブが小さくなって、父のを僕がもらったのだ。
 とは言っても、中学に入った後は、勉強が忙しくて、このグラブを使ったのは一度か二度だったが。もう何年もダンボールの中に入れたままだったから、黴臭い。
 玄関が開いた。父が帰宅したのだ。階段を上がってくる音がする。僕はドアを開けた。いつものように、コンビニの弁当を手にした父が、一瞬、驚いた顔をした。
「ねえ、お父さん、これ、憶えてる?」
 僕は訊いた。父はまだ、戸惑い顔だ。
「ああ。よく取ってあったな。昔はよく、キャッチボールをしたなあ」
「小学校の頃だよね。中学に入ると、もうやらなくなった」
 僕は、子供の時に使っていたほうのグラブをはめてみた。さすがに窮屈で、掌の半分くらいまでしか入らない。
「ねえ、お父さん、キャッチボールやらない?」
「今からか? もう暗いぞ」
「庭に電気を点けて、少しだけやろうよ」
 父は嬉しそうに笑って頷き、
「判った」
 と言った。外はもう、かなり寒かった。秋が深まって、冬が近づいている。久しぶりに出てみた庭は、昔とほとんど変わっていなかった。
 軽くボールを投げてみる。心地のいい音を発てて、ボールが父のグラブに収まる。父が投げ返そうとするのへ、僕はグラブをはめた左手を示しながら、
「こんなだから、あまり強く投げないでね」
 と言った。父が頷き、緩いボールを投げてくれた。両手で包み込むようにして、僕は受け取った。また、そのボールを父に投げ返す。父とキャッチボールをするなんて、いったい、何年ぶりのことだろう。
「お父さん――」
 ボールを投げながら、僕は言った。
「お母さんのところへ行ってみたいんだけど、いいでしょう」
 父もボールを投げ返し、
「もちろんだ。自由にしていいんだぞ」
 と言った。
「まだ、離婚してないんでしょう?」
 しばらく考える間を置いてから、父が頷く。
「もう一度、お母さんと仲良くしてよ。また、三人で一緒に、この家で暮らそうよ」
 僕は言った。父はまた、しばらく黙っていたが、やがて、笑みを浮かべた顔で、大きく頷いた。父が僕に、少し強いボールを返してきた。僕はこれを、グラブの土手に当てて、取り損ねてしまった。
「どうしたんだ? やっぱりグラブが小さいのか? それとも、身体が鈍って下手になったのか」
 父が言う。僕は、ボールを拾って、父に投げ返したが、受けそこなった本当の理由を、父には告げなかった。
  
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[ 2011/07/23 23:33 ] 書籍 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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