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首都大学の事件

 なんとも厭な事件である。首都大学東京のシステムデザイン学部4年の学生が、「ドブスを守る会」の活動だと称して、一般の女性の動画を取り、動画投稿サイトで公開していた事件のことだ。学生に限らず、若者の愚行に対しては、私は寛容なほうである。何故なら、自分の若い頃を思い出してみても、それほどマトモな生き方をしていたとは思われないからだ。幸にして、私は、自分が<馬齢を重ねた>というだけの理由で、<過去の若者>である自分の愚かしさを忘れ、<現在の若者>を無意味に批判することを抑制する冷静さだけは与えられているようだ。

 そういう私ですら、今回の事件の報道を見たとき、<この国の若者は、これほど愚かになってしまったのか>と、憤りよりもむしろ、やり場のない哀しみ、諦観のようなものに苛まれた。首都大学東京といえば、かつての都立大であり、俗な言葉を使えば、まあ、名門である。そこの学生が、このような愚行を平気で犯すとは、若者全体が劣化してしまったのか、それとも、都立大――首都大が、教育機関としての能力を失ってしまったのか、そのどちらかだろう。

 何故、<教育機関としての能力>なんぞと大仰な言葉を使うかというと、学生はこういった行動を、芸術活動の一環だと見なしていた、と発言しているからである。
「不道徳なものから生じるおかしみを追求することで、何かしらの表現ができると思った」
 ということであるらしい。

 しかも、しかもである。なんとそれは、どうやら首都大のある教官の影響によるものらしいのだ。この教官は、ツイッターで、
「嫌われることをする人を僕は信頼している。嫌われることをするのは芸術家の役割」
「倫理性とか道徳性とか世の中一般の尺度と照合してダメとされるもの。ARTはそれを『美なるもの』としてすくい上げる」
 などと発言した上で、ほかの学生が撮った似たようなテーマの<ドッキリ動画>を、「素晴らしい」と誉めるなど、まあ、学生を煽るようなことをやっていたらしい。つまりは、そういう教育をする学部になってしまっているわけだ。

 愚か者。

 また、「ドブスを守る会」のバカ学生は、身体障害者の女性と健常者の女性の反応の比較や、低所得者への悪辣なインタビューも企画していたらしい。首都大学東京は、都立の大学である。すなわち、税金で運営されているわけである。こんなことを教育の一環みたいに考えているのなら、もう、税金は払わないぞ。考えてみれば、この教官の一見、高邁な芸術論も、結局は税金で生活と身分を保障されている人間の芸術論である。現実の創作の場とは無縁だ。仮に、彼が現実の創作を行っているとしても、税金で生活を安定させている事実は動かない。

 さて、私のブログを読んでくださっているような方は、「ドブスを守る会」の学生の行動が、芸術などとは全く無縁であることをご理解されていると思う。従って、本来は私が言葉を重ねる必要もないのだけれど、蛇足を承知の上で少し記しておくと、確かに、芸術などというものは、その内側に<悪徳>を抱えているものである。この教官が言うように、倫理性や道徳性から外れるとされるものの中から、<美>をすくい上げることもまた、芸術の大切な役割のひとつである。

 しかし、そのことと、学生が、彼らが言う<ドブス>であるとか、身体障害者であるとか、ビンボー人であるとかの<弱者>をからかう愚行とは、なんの関わりもないことを知るべきだ。こんなのは、単なる<上から目線>での<弱者>への侮蔑であって、彼ら学生の歪んだエリート意識のなせる業だとしか思えない。

 芸術活動に当たるかどうかは別として、もし、この企画をやるとしたら、嫌がる<弱者>にインタビューするのではなく、歌舞伎町辺りへ行って、カメラを向けたまま、ヤクザ者にインタビューすればよかった。
「刺青はあるんですか? 唐獅子牡丹? 昇り龍?」
「小指を見せてください、詰めてるんでしょう?」
「ムショには入ったこと、ありますか?」
 なんぞとインタビューするわけである。それをカメラに収める。そうすれば、むろん、ヤクザ者は怒るだろう。学生はヤキを入れられるかもしれない。そこをずっと撮影して、動画をアップすればよかった。

 この企画なら、動画を見た人は、
「なんと馬鹿な学生だろう」
 と、笑いながら見たはずだ。
 それであれば、この学生たちが言う、「不道徳なものから生じるおかしみを追求することで、何かしらの表現ができると思った」というテーマと、まさに合致するではないか。ヤクザ者にインタビューする学生も愚かで不道徳なら、それにヤキを入れるヤクザ者も不道徳の極み。ましてや、歌舞伎町は<不道徳>を具現したような街である。そこまでやる覚悟はなく、自分たちが手前勝手に、<自分たちより下>と判断している相手に対して強硬に接し、嘲笑うような態度は、<芸術>とは全く無縁である。

 芸術の不道徳性を語るなら、まずは自分の内側にある、暗くて深い穴――心の闇を凝視しなければならない。それは辛く苦しい、己との闘争である。そして、そこから生まれてくるものは、他者への愛であったり、思いやりであったり、共感であったりするわけである。自分が持つ暗い穴を見つめれば見つめるほど、そういう心境が生まれてくるから不思議だ。私は、芸術の役割とは、そんなものだと考えている。

 ただまあ、この学生たち、<芸術>だの<不道徳性>だのと小利口ぶったことを口にしているけれども、やっていることを見れば、これは明らかにテレビでよくやっている三流のバラエティ番組の影響ですよね。それならばそう言えばいいものを。まあ、その辺りが、若さということか。ま、4年生ということは、もう20歳は過ぎた大人だし、来年は社会人になるんだろうから、今度のことをいい経験にして、<自分の内側にある深くて暗い穴>を見つめ直してみてくださいな。
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[ 2010/06/24 11:10 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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