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肩書き

 少し前の話になるが、雑誌に原稿を発表したとき、校了の直前に編集者から電話がかかってきた。
「松井さんの肩書きですが、作家だけでいいですか?」
 と相手がいう。私は、一瞬、意味が飲み込めなかったので、
「えーと、それはどういうことですかね? イケメン作家とか、男前作家とかにするということ?」
 携帯電話の向うで、明らかに溜息を吐く気配があった。
「違いますよ! 肩書きにウソは書けないでしょう、ウソは……。松井さん、取材してルポなんかも書いてるじゃないですか。だから、作家、なかぐろ、ジャーナリストみたいにしたいのかなと思って」
 <なかぐろ>というのは<・>のことである。だから、相手がいうのは、<作家・ジャーナリスト>という肩書きにしましょうか? という提案だった。

 まあ、<イケメン作家>とすれば、ウソになる、という意見には同意する。哀しいけど。私だって、たまには鏡を見ますからね。しかし、<ジャーナリスト>という提案は意外だった。私は確かに、雑誌に何本かルポルタージュを発表しているし、そのジャンルの著書もある。しかし、それはあくまでも小説家の立場として、小説家的感性から興味を覚えたことを取材して纏めたものである。その意味で、私はジャーナリストではないし、そういう肩書きで呼んでもらうべき資格もない。そこで、肩書きは<作家>だけにしてもらった。

 我々自由業者にとって、肩書きというのはなかなかに難しい。私の場合だと、確定申告の用紙には<文筆業>。これは、最初から、税務署が<文筆業用>という申告用紙を送ってくるから、ほかに記しようがない。今、手元にある『文藝年鑑』を捲ってみたら、「文化各界名簿」の私の肩書きは<作家>となっている。ほかのデータベースの類も、ほとんどは<作家>である。私の名刺には、肩書きは刷っていない。所属している団体の名前と、事務所の住所、電話番号、それから携帯の番号とメールアドレスだけを記してある。考えてみれば、肩書きのない名刺というのも、自由業者ならではだろう。まあ、私は、そのまんまなんとかから肩書きと名前しかない名刺をもらって、辟易したことはあるけれども。

 では、自称するときはどうかというと、仕事先などに電話して名乗る場合は、「作家の松井計ですが」ということが多い。編集者の携帯など、出る相手がわかっている場合は、「松井です」のみ。これが親しくなってくると、「俺だ、俺だ」なんぞと詐欺犯みたいなことになる。私を知らない人に、「お仕事は何をされてるんですか?」と訊かれるような場合は、「モノカキです」と答えることが多い。

 ここまでお読みになった方の中には、
「おい、違うじゃないか。このブログのタイトルには、<小説家・松井計>となってるぞ」
 と仰る向きもあると思う。そのとおりである。このブログでは、<小説家・松井計>としてある。ところが、ご記憶の方もあるかも知れないが、以前は、ブログのタイトルでも<作家・松井計>となっていたのである。それを昨年だったかに、<小説家・松井計>に変えたのだ。

 何故、そうしたかというと、私の感覚の中には、<作家=小説家>という基本概念があったのだが、最近、どうもそれが通用しなくなっているように思えたからである。

 三省堂の大辞林第二版で<さっか>を引くと、次のように出ている。

さっか さく― 【作家】
(1)詩や文章を書くことを職業とする人。特に、小説家。
「放送―」「流行―」
(2)美術・工芸など、個人の表現としての芸術作品の制作者。
「映像―」「陶芸―」

 つまり、私は、<作家>の意味を、(1)、しかも、付記してある<特に、小説家>という部分で捉えていたわけである。この用法は、おそらく、出版界で共通のものだったと思う。だからこそ、ノンフィクションの人などは、わざわざ作家の前にノンフィクションという言葉を入れ、<ノンフィクション作家>と称することが多かったわけである。<小説作家>という表現はない。辞書の定義にある詩を書く人は<詩人>、文章を書く人については、その仕事の範囲によって、<評論家>とか<ライター>と呼ばれていた。

 ところが、最近はどうも、そうではなくなっているようなのである。そう気づいたきっかけは、あるパーティでもらった名刺だった。その中の3枚ほどに、<作家>という肩書きが記してあった。申し訳ないが、私はその方たちの作品を知らなかったので、帰宅後、ネットで調べてみた。そうすると、小説を書いている人は皆無で、3人とも実用書などを刊行している方だった。

 実は、私はパーティがあまり好きではない。招待状をいただいて、お断りの返事を送るのは非常に心苦しいし、申し訳なく思いもするのだが、よほど義理のあるもの意外は失礼させていただいている。なので、上記のパーティも、かなり久々のパーティ出席だったのである。昔はパーティなどで名刺をもらっても、<作家>という肩書きが刷ってあることは、ほとんどなかった。

 そのときに、
「なるほど。今は、作家=小説家ではないのだな。本を出している人を、作家と呼ぶ傾向になったのだな」
 と気づいた。そこで、一般にも私が何を書いているのかよく分かるように、このブログだけ<作家>を<小説家>に変更したのだ。ただ、ブログ以外は、肩書きは変えていない。それは、私が仕事をする範囲では、まだまだ作家=小説家という概念が生きていると思うからである。

 私がデビューしてすぐの頃だから、もう15年以上昔の話になるけれども、ある版元で著名な作家とお会いした。たまたま、来社しておられたその方に、担当編集者が私を紹介してくれたのである。もう高齢の、大先輩だった。そのときに、これから頑張るように励ましてもらった後、
「でもね、松井さん、我々はね、小説家なんですよ。作家なんてエラソーなものじゃありません。そういう気持ちを忘れずに、仕事をしてください」
 といわれた。その言葉の真の意味をお尋ねする前に、その方は身まかってしまわれたので、私がその意図をきちんと理解できているかどうかは疑わしい。

 そうするうちに、小説家のことをそのまま、作家と称する出版界の傾向もあって、私もいつの間にか作家と呼ばれるようになり、この大先輩の言葉の真の意味を考える機会も減ってしまった。今にして思えば、おそらく、<小説家>という言葉には、<小説を書くことを生業としている者>という意味以上のものは含まれないが、<作家>にはそれ以上の社会的意味が含まれている――というようなことだったのかも知れない。既にご本人は亡く、推測の域を越えないけれども。こんなことなら、もっと早く、ご本人にお尋ねしていればよかった。

 さて、<モノカキ>という言葉である。この言葉には、ある種の臭みを感じる人も多いようだ。些か、気取って聞こえる、という人もいる。しかし、私が、未知の人に職業を訊かれてこう応じるとき、全くそんな意識はない。別段、筆一本で生きてるんだ、みたいな覚悟をその言葉に込めているつもりもない。むしろ逆で、
「いやあ、マトモに勤めもせずに、モノを書いて暮してるんですよ……」
 という卑下とまではいわないまでも、そういう、ま、思いを込めているわけである。

 私は、これに似た表現に、<ブン屋>という言葉があると思う。新聞記者が、こう自称するとき、少しへりくだった意味が発生する。私は、「新聞記者でござい」といわれるよりは、こっちのほうが好きである。「プランナーですよ」「アドマンですよ」よりは、「広告屋ですよ」のほうが好きだ。また、弁護士さんなんかも、ご自身のことを「社会正義と人権を守る弁護士だ」と考えているより、「俺は三百代言だ」と考えているほうが世の中は平和なように思える。

 あまり杓子定規に考えるのもおかしなものだが、我々自由業者は、勤務先とそこでの役職――といったような分かりやすい肩書きがないゆえ、ついつい色々と考えてしまうのかもしれない。
 
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[ 2010/04/11 23:06 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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