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侍ニッポン

 与謝野元財務大臣平沼元経産大臣を中心とする新党は<たちあがれ日本>という名前になったという。これは、新党の応援団だとかの石原慎太郎都知事のアイディアによるものらしい。うーん、まあ、私は、未来永劫この党に投票することはないだろうから、そういった相手の名前に対してどうこういうのは野暮だけれども、あまりゾッとしない名前である。ただ、政党史上初の<命令形>の政党名だというところが、命名者の石原知事らしいとは思うけれども。

 ところで、朝日新聞電子版の報道によると、党名を決める際に、藤井孝男元運輸大臣は、<サムライ>を主張したということである。ほかのメンバーは<日本>という言葉を付け加えることにこだわり、これだと<サムライ日本>になる。かつて似たタイトルの流行歌があったということで、この案は退けられ、石原知事が主張した<たちあがれ日本>が採用された、という流れらしい。

 このニュースを読んで、私は大笑いしてしまった。藤井さんには申し訳ないけれども、とてもではないがマトモな人の発想ではないと思った。藤井さんが主張した名前によく似た歌謡曲というのは、1931年(昭和6年)にビクターから発売された西条八十作詞、松平信博作曲の「侍ニッポン」のことである。これは、同年4月に、郡司次郎正が『大衆文学』5月号に発表した小説「侍ニッポン」を日活が映画化した際に、その主題歌として作られ、徳山がレコードを吹き込んでいる。

 「侍ニッポン」の主人公は新納鶴千代といい、大老井伊直弼が芸者に産ませた日陰の子である。彼は、勤王派に加わって孤立したり、佐幕派と交わったりしながら、激動の時代の波に弄ばれ、やがては桜田門外で、実父・井伊直弼を襲撃することになる。鶴千代は、その生い立ちもあってか、一貫して、ニヒルな浪人として描かれている。激動の幕末にあって、彼にとっては、勤王派と左幕派の激しい闘争など、無意味なものにしか見えないのである。

 昭和6年という年は、金融恐慌の余燼がまだまだくすぶり、都市部には失業者が溢れ、農村部では娘の身売りが大きな社会問題になっていた。日本全体が巨大な社会不安に苛まれていた時代である。

 こういう時代には、軍部がキナ臭い動きをしやすい。三月事件、十月事件の二度に亘り、軍部のクーデター計画が発覚している。桜会や大川周明を中心とする勢力が、クーデターによる軍部主導内閣の樹立を画策していたのである。9月18日には関東軍がついに暴走、奉天郊外柳条湖の満鉄線路を爆破し満州事変が始まる。政府は不拡大方針を決定するが、単なる出先機関に過ぎぬ関東軍はこれを無視、事変は拡大していく。その後の戦時体制の起点になったのが、この年である。

 こういった重苦しい世相にあって、閉塞感や敗北感を抱えていた若者や左翼、インテリ層が「侍ニッポン」の主人公、新納鶴千代のニヒルな生き方に共感し、映画も主題歌も大ヒットしたのである。

 さて、では何故、私が藤井案に大笑いしたかである。「侍ニッポン」はそういった主人公を歌った曲であるから、勢い、歌詞もニヒリズムを帯びている。著作権の関係もあり、歌詞の全文をここに引用することはできないが、以下に重要なフレーズだけ書き写してみよう。

 <きのう勤皇、あしたは佐幕。その日その日の出来心>
 <どうせおいらは裏切り者よ>
                    (ともに2番)

 どうだろう? 与謝野は郵政民営化法案を取りまとめた人間である。平沼はそれに反対し自民党を飛び出した人間だ。与謝野はリベラルよりの保守であり、平沼は徹底した国家主義者である。思想や政策が違うにもかかわらず、協力して新党を作る。人によっては、これを野合と呼ぶ人もあるだろう。また、民主党の支持率が急落した現況にあって、次期参院選は自民党にとって、<最後の正念場>というべき選挙である。そんな時期に、与謝野らは党を飛び出したのである。

 そういう新党が、もし、

 <きのう勤皇、あしたは佐幕。その日その日の出来心>
 <どうせおいらは裏切り者よ>

 という歌詞を持つ流行歌のタイトルと同じ党名を名乗っていたとしたら、これほど馬鹿馬鹿しい冗談もそうあるものではなかったろう。シャレにならんゾ、という奴である。

 ライトの人というのは、どうも<サムライ>といえば自分、ないし自分の支持者だと脊髄反射的に考えてしまうようだが、「侍ニッポン」を支持した層、すなわち新納鶴千代を支持した層は、決して与謝野平沼新党を支持する層とは重ならない。いや、むしろ逆の立場の人々である。また、郡司次郎正が「侍ニッポン」で描いたものも、与謝野平沼新党的なものではない。新党のためにも、「侍ニッポン」のためにも、<たちあがれ日本>が<サムライ日本>にならなくてよかった、と私は心から思う。

 それにしても、昭和6年は、現在の日本によく似ている。長引く不景気、多数の失業者、幸にして農村部での娘の身売りという事態にまでは陥っていないが、それでも、若い女性が職を求めて風俗に走るケースは多いと聞く。社会不安が蔓延し、国民が閉塞感を抱えている状況が非常によく似ている。

 軍部の暴走にしても、自衛隊の一佐が鳩山首相を揶揄する発言をしたり、三佐がその一佐の発言を擁護するメールを防衛大臣に送ったりする事件が相次いでいる。そのほかにも、尉官が隊内で<首相はいい加減>と発言して、厳重注意処分を受けてもいる。ちなみに、今、日本では100円ショップが大流行である。実は、昭和6年には、高島屋が全商品が10銭均一の10銭ストアを始めているのである。

 歴史は繰り返すというが、私は、この国がまた戦火の中にその身を突進させるのは、何があっても厭である。次の世代に、平和で豊かな国を残す義務が、我々にはあると思う。ひょっとしたら、今がそのための正念場なのかもしれない。      
 
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[ 2010/04/09 22:11 ] 政治 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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