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カラオケ

 たまに妻子と4人でカラオケに行くことがある。そういった時に、子供たちが歌うのは、最近のヒットナンバーで、私が知っているのは半分くらいだ。AKB48とか、嵐とかいわれても、メンバーの半数くらいの顔を見分けるのがやっと。思わず「エーケービーよんじゅうはち」とか、「アキバフォーティエイト」なんぞと口走って、子供たちに笑われるのもこんなときである。

 妻は、昔から松田聖子のファンなので、彼女のものを中心に、中森明菜など、当時のアイドル歌手のナンバーをよく歌う。年齢相応の選曲ということになるのだろうが、実は、彼女はかなり歌が上手い。子供たちが生まれる前のことになるけれども、後輩の作家のI君と3人でカラオケに行ったら、妻は採点機で99点を取り、でっかい縫ぐるみの賞品をもらったことがある。聞いてみると、10代の頃、何かのオーディションの地方予選だかに合格したことがあるらしい。むろん、私と出会う前の話なので、私は詳しいことは知らない。

 妻がそれらのナンバーを歌うと、娘がよく、
「昭和の匂いがする」
 と口にする。私にはこれが不思議で、平成も10年になってから生まれた彼女が昭和の匂いを知っているはずもなく、何故、そう感じるのかがよく分からない。ナンバーそのものに、どこかしら郷愁を誘う雰囲気があるのかもしれないが、まあ、この辺りはテレビなどの影響と考えたほうがいいだろう。

 私は英語のナンバーを歌うことが多いのだけれど、娘にはこれが少し不思議に思えるようだ。
「なんで外国の歌ばかり歌うの?」
 などと聞いてくる。実は、これは娘の間違いで、私は英語のナンバーは歌っているけれども、必ずしも、それが海外のナンバーとは限らないのだ。

 最近はカラオケの収録曲も飛躍的に充実してきて、紫の「Double Dealing Woman」や「Devil Woman」まで入っている。むろん、海外のアーティストのナンバーも歌うけれど、私はこういった、日本人による英語のナンバーもよく歌うのだ。沢田研二の「Mon Amour Je Viens Du Bout Du Monde(邦題・巴里に一人)」もよく歌う。これはフランス語だけれども、私のいい加減な発音では、娘には英語との区別はつくまい。

saeada_paris.jpg

 で、娘への返事である。
「パパはさ、昔からロックが好きだったんだよ」
 娘、私のいいたいことがよく分からないらしい。また親爺は何を妙なことをいい出すんだ、といいたそうな顔をしている。
「昔はね、日本語のきちんとしたロックがなかったんだよ」
 こう説明しても、彼女には理解できないようである。当たり前の話だ。今の日本では、テレビのスイッチを入れさえすれば、日本人のアーティストが、日本語できちんとしたロックを歌っている。

 些か余談だけれども、今の若いアイドルバンドですら、演奏テクニックはかつての『ミュージックライフ』誌の人気投票でトップ3に入るくらいのプレイヤーに勝るとも劣らない。いい時代である。それだけ、日本にロックカルチュアが定着したということだから。

 そこで私は説明するのである。かつての日本では、日本語ではロックは成立しない、と思われていたこと。ロックのリズムにきちんと日本語を乗せられるアーティストはほとんどいなかったことなどを。娘、不思議な顔をするばかり。

 私は年齢的に、ロック世代の尻尾に属する。ビートルズ世代にはほぼ10年遅れている。若い頃に中心的に聴いたのは、そろそろミック・テイラーが辞める頃のストーンズや、ヴォーカルがデイビッド・カヴァーディルに、ベースがグレン・フューズに代わったばかりのディープ・パープル、奥さんが日本人だったとかで、ヴォーカルのポール・ロジャースがおかしな日本語でテレビドラマの挿入歌まで歌ったバッド・カンパニーなどのブリティッシュロックである。ザ・フーはあまり好きではなかったが、ギタリストのピート・タウンゼンドは好きだった。晶文社から出た彼の小説集の翻訳も読んでいる。

 逆に、イーグルスやシカゴ、ちょっと毛色は違うけれどエアロスミスなどのアメリカンロック勢は好みじゃなかった。少しだけ気に入っていたのは、ニューヨーク・ドールズくらいか。イギリスのバンドでもイエスとかピンク・フロイドとかのプログレッシブ系は苦手だった。私は、<難しい>ロックは性に合わないのだ。やはり、ギターのリフがよくて、ついつい体がリズムを刻み始めてしまうようなナンバーがいい。

 ところで、では、日本のバンドが今のように日本語でのロックをきちんと成立させたのは、いつのことだろうと考えてみる。はちみつぱいだとか、はっぴいえんどだとかいう声もあるだろう。あるいは、村八分、頭脳警察といったところを上げる人も多いかもしれない。しかし、私は、もう少し時代を上って、サザン・オールスターズではないかと考えている。

 サザンの「勝手にシンドバッド」が出た時の衝撃は忘れられない。当時、私は大学生だったけれども、これが日本語か? と驚いた。あの歌詞は、間違いなく日本語だけれども、彼らは完全に、日本語というものを解体していた。その少し前に、村上春樹さんが「風の歌を聴け」で『群像』の新人賞を受賞してデビューしている。私は、この作品を熱狂的に読んだ。新しい日本語が生まれた、と感じた。<新しい日本語の登場>という意味で、当時の私にとっては、村上春樹とサザン・オールスターズは等価だった。

 サザンの後に続く日本人アーティストたちは、サザンほど日本語を解体せずに、日本語でのロックを成立させている。これは、サザンが行った<日本語の解体>というプロセスを経てこそ成立したことなのではないかと私は考えている。

 とまあ、ここまでのことを娘に説明すると、うるさがられるのがオチなので、簡単に、昔は日本語ではロックは成立しないと思われていたけれど、ロックが日本に定着したから、今では、きちんとした日本語のロックがあるんだよ。パパは昔からのロックファンだから、昔好きだった歌を歌うと、どうしても英語のナンバーが多くなるんだよ、と説明するに留めている。

 で、また、私は英語のナンバーを歌う。そして、妻や娘、倅が採点機で90点台を取るのに、私だけ81点の成績を残して、カラオケボックスの夜は更けていくのである。 
 

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[ 2010/04/01 13:19 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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