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なんということだ……(とっちゃん坊やの喧嘩腰)

 どうも調子が悪い。日曜日は、終日、高熱で苦しんでいたし、昨日は昨日で、吐き気がひどかった。食欲がなくて何も食べてないから、空っぽの胃をしゃくりあげることになり、なんとも苦しかった。

 夜になって、娘が通っている塾から電話。今日は娘がきていないのだが、どうしたのか、との問い合わせ。娘の携帯にその旨、メールしたが返信がない。土曜日に、軽く咳をしていたから、風邪を引いて寝込んだのかもしれない。今、新型インフルエンザが大流行している由で、些か心配になる。

 今朝起きると、体調はまあまあ回復傾向。今、企画している新たな作品のプロット作りをする。昼頃、某氏よりメール。一読後、溜息しか出ず。彼が仲立ちしてくれたある人物の意向を伝えてくれたメールだったのだが、呆れ果ててモノも言えない。

「そうか。俺はここまで舐められなければならない男なのか」
 そう考えると、哀しくなった。しかし、トラブルがあった場合、喧嘩腰でそれに対応するという小児的姿勢は、いったい、なんなのだろう。もう大人の年齢のはずだが、と些か、感慨に耽る。

 いや、トラブルというのは少しおかしいかな。今回の件は、誰がどう考えても、私には非は全くなく、彼がワガママを押し通して、私の生活圏が侵害されたという話である。それなのに、なんで彼のほうが喧嘩腰になるのか。どうにも、私の理解の埒外の話だ。

 これを、何故、小児的な大人が増えたのか――といったようなテーマで、日本社会の問題として捉えれば、あるいは面白いのやも知れぬ。しかし、一介の小説家には、それは少し荷が重い。まあ、そういう相手と、些かなりともビジネスの関りを持ってしまった自分の、不徳を恥じるしかない。

 教訓。「一旗上げるために、東京に出てきた」なんぞと公言する奴とは、所詮、価値観が合わぬ。「ウインウイン」などと口走る奴は、信用してはいけない。ま、勉強になりましたよ。51にもなって、わざわざしなければならないような勉強ではないけれども。

 私は個人である。庇護してくれる組織に所属しているわけでもない。名前を前面に出し、個人として活動している以上、<人間扱いされず><小馬鹿にされたまま>事態を終息させたのでは、私の履歴に関るし、今後の仕事にも影響する。

 とうぜん、このままですませるつもりは、私には全くない。今週、金曜日までには納得のいく形で解決するつもりだ。事態が穏便に収まれば、解決後もしつこくこの問題を問うつもりは、私にはない。あまりに馬鹿馬鹿しいからだ。解決すれば、彼と二度と関りを持たなければすむ話。

 東京は広い。スリーAとやらがお好きな方は、牛丼屋もラーメン屋も、ファミリーレストランもないという、そのスリーAとやらで、なんというか、セレブかなんか知らんけども、そういう生活をなさればいい。私は、世田谷のほうがいいな。ラーメン屋も、牛丼屋も、ファミリーレストランもあるけれど。それのどこが悪いのか、ぜんぜん、理解できない。

 ま、実際にはスリーAとやらにも牛丼屋やラーメン屋、ファミリーレストランはあるのだけれども。しかも、スリーAとやらのうちの一つは、私は庶民的な街だと認識していたのだが……。まあ、<生活者>と<一旗上げたい人>とでは、同じ東京の街でも、違って見えるのだろう。それも仕方のないことである。

 それぞれが、スリーAと世田谷とに、離れていれば、今後の人生で、なんらかの関係性を持つこともないだろう。それでいい。

 他者の引き合わせとはいえ、交わるべきではない人と交わってしまったのが、今回の悲喜劇の根本的な原因だ。ならば、それぞれが元の場所に帰って、縁を切ればそれでいいだけの話である。なんら難しいことではない。その前に、問題を解決する必要だけは、間違いなくあるけれども。

 私は、人間が大好きである。今まで、「こいつとは二度と会いたくない」と思った人は、一人もいなかった。そりゃあ喧嘩した経験もあるけれど、問題を解決した後は、もう会いたくない、なんぞとは思わなかった。今回が初めてである。<こういう奴とは、二度と会いたくない>と感じたのは。

 逆に言えば、私はそれだけ、人に恵まれて生きてきた、ということなのだろう。それには、感謝しなければならぬ。

 しかし、穏便に解決しなかった場合には、読者に対する私の責任という観点からも、このブログで詳細を明らかにしよう。「カネが武器だ」と平然と口にするような品のない奴には、はっきりと断言しておく。私には、カネという武器はない。しかし、小説家にとって、最大で唯一の武器は、筆である。

 しかも、君は武器だというカネの使い方を間違っている。武器の扱いを間違える部隊は全滅する。それが戦場の真実だ。喧嘩腰になるなら、ここが戦場である、という意識は必要だろう。ま、しかし、トラブルが起こった場合、喧嘩に勝つのがエライのではないですよ。そんなの、大人なら、なんの自慢にもならない。穏便に、双方に利のある形で終息させるのが、一番、いいのである。

 フツー、まともな大人なら、誰でもそう考える。

 そういうことで、ここ数日、体調は悪いわ、精神状態はよくないわで、さんざんであった。月曜日には、仕事の用で、外で人と会わなければならなかったのだが、ゲエゲエ吐きながら仕事の話をするわけにもいかず、甚だ申し訳なくは思ったけれども、日を変えてもらった。関係各位には、衷心よりお詫び申し上げます。

 ところで、5月の終わりだったかに、このブログで、松本清張の作品を纏めて読んでいるという記事を書いた。あのあと、清張作品は、手に入りやすい範囲でではあるが、短編はほぼ全てを読み、長編もめぼしいものは読み終えた。

 そこで最近では、新たに時代小説を読み始めている。佐伯泰英さんの、双葉社から出ている「居眠り磐音江戸双紙」シリーズである。

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 既に30巻まで刊行されていて、別刊の『「居眠り磐音 江戸双紙」読本』を含めると、累計990万部を突破する大人気シリーズである。私はそのうち、第3巻までを読んだ。

 明朗な主人公、下町の人情、魅力的な女性、作品の根底を流れる、主人公がかつて所属していた藩の陰謀、剣戟――時代小説に必要な要素が全てつまっていて、なるほど、これなら人気シリーズになるはずだ、と思った。むろん、私自身も、楽しく読んだ。

 まだ3巻までしか読んでおらず、最新刊の30巻に到達するまでには、物語にも紆余曲折があるようだが、ここまで読んだ時点で、私は山手樹一郎の作品群を想起した。山手作品の魅力と、このシリーズの魅力には、相通じるものがあると感じた。

 日本の大衆小説というジャンルは、昔と大きく様変わりをしている。むろん、私もエンタテインメント作家の一人ではあるが、厳密にいえば、かつての大衆小説と、エンタテインメントは似た出自は持っているが、全く別のものである。

 ところが、今、ブームになっている文庫書下ろしの時代小説、というジャンルには、全盛期の大衆小説の匂いがするし、その雰囲気を濃厚に持っている。「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズは、その代表例といってもよかろう。私は、これからも、このシリーズを読み続けるつもりである。

 しかし、やはり文化はいいなあ。人間、常に文化に触れていなければダメだ。とにかく、私は文化的に生きていきたい。その意味では、この記事の初めの部分で記したような人物と、一緒に仕事をしたのは、完全に、私の選択ミスだった。二度と非文化的な仕事はしないことを、読者諸賢にお約束して、今日は筆を措くことにしたい。

 憂さ晴らしに、親しい友人と呑みにでも出たいけど、やっと体調が戻りかけている状態だから、それはまだ我慢しておいたほうがいいかなあ。
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[ 2009/08/18 16:11 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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