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アーカイブ原稿27「太平洋戦争の落とし穴」第13回

■「太平洋戦争の落とし穴」第13回『山本五十六は軍司令部に殺された?』
■初出……「日刊ゲンダイ」2006年3月27日号

 太平洋戦史を語るときに最初に登場する人物が山本五十六である。日米開戦時の連合艦隊司令長官だが、その死は「海軍甲事件」として語り継がれている。
 1943年4月、連合艦隊はソロモン諸島の戦況を打開するべく、「い号作戦」を発動。ガダルカナル島やポートモレスビーの空襲をくわだてた。だが、日本軍は多大な被害を受けてしまい、4月16日には作戦を終了することになった。このとき山本は将兵を鼓舞するためバラレ、ショートランド、ブインの前線地を訪問することにした。

 18日午前6時5分、山本一行は一式陸攻2機に分乗し、零戦6機を護衛につけてラバウル東飛行場を出発。だが、7時40分ごろ、ブーゲンビル島ブイン上空で米陸軍のp38戦闘機16機の待ち伏せを受けてしまう。数の少ないゼロ戦に利はなかった。山本搭乗の1番機はモイラ岬のジャングルに墜落。乗員11名は全員、戦死した。
 山本の前線視察は極秘だった。なのに、なぜ待ち伏せされたのか。
 実は14日の段階でラバウルの軍司令部は山本の行動予定を各基地に無電連絡していたのだ。この暗号無電を米軍は傍受した。つまり、絶対極秘の情報を余計な気を回して各地に知らせ、日本海軍のシンボルを戦死させてしまったわけである。
 現代のサラリーマン社会でも似たようなことが起きている。本社から経営幹部が来訪すると聞いて地方支社の社員は右往左往。余計な気を回して、やらなくてもいいことやってしまうことがある。たとえば社内で「経費削減」を呼びかけているのに、幹部を高級料亭で〝接待〟するような行為。山本のときと同様に人間の愚かさは絶えないようだ。
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[ 2009/07/10 21:53 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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