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アーカイブ原稿26「太平洋戦争の落とし穴」第12回

■「太平洋戦争の落とし穴」第12回『戦力の逐次投入がもたらした「飢島」の悲劇』
■初出……2006年3月13日号

 1942年、日本軍はニューカレドニアなどを攻略するFS作戦を発動した。オーストラリアと米国を分断するべく、周辺の攻略を決めたのだ。
 作戦の遂行には前進飛行場が必要だ。日本軍はガダルカナル島を飛行場建設地に選び、工兵を送って作業を進めた。ところが、そこに米軍が侵攻して工兵の部隊は壊滅。42年5月、日本軍はガ島を奪回するべく戦力投入を開始した。

 ここで日本軍は根拠もないのに米軍の戦力を甘く見積もってしまう。最初にガ島に投入したのは陸軍の一木支隊第一挺団のわずか900名。次に川口支隊6000名、さらに一木支隊第二挺団と戦力を小出しにした。
 これは戦力の逐次投入というやり方で、負け戦の典型である。結果、日本軍は常に米軍に劣る戦力で闘うことになり、ガ島は「餓島」と呼ばれる地獄と化した。
 実は当時、ソロモン海戦の敗北によって米軍は武器・糧秣の揚陸が滞り、不利な情勢にあった。もし全戦力を投入していれば、日本軍は勝てたかもしれないのだ。しかし決断力に劣る日本軍はそれができなかった。
 43年2月のガ島撤退時の戦死者と餓死者は1万2000名。全投入戦力の3分の2だった。
 ところで読者は銀行の不良債権処理騒ぎを憶えておられよう。98年3月、総額1兆8156億円の公的資金が銀行に投入された。それでも効果がないと見るや、翌99年には総額7兆4592億円の投入である。
 これも一種の戦力の逐次投入といる。その結果、日本経済はさらに冷え込み、貸しはがしに遭った中小企業経営者の自殺が相次いだ。最初から大規模な資金を投じていれば、不良債権問題はもっと早く解決し、不況も長引かなったはずだ。
 日本国民はガ島のような敗北を味わわされたのだ。戦争中も戦後も、この国には認識が甘く決断力が鈍い指導者しかいなかったということか。
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[ 2009/07/10 21:48 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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