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アーカイブ原稿⑳「太平洋戦争の落とし穴」第5回

■「太平洋戦争の落とし穴」第5回『「風船爆弾」は愚考の象徴』
■初出……「日刊ゲンダイ」2005年11月7日号

 追い詰められると人間は悲しいほど滑稽な行動を取るらしい。44年11月に大本営が採用した「ふ号作戦」はその好例だ。この作戦は和紙をこんにゃく糊で貼り合わせて作った気球に爆弾を搭載して米本土を爆撃するというものだった。俗にいう「風船爆弾」である。

 晩秋から冬にかけて太平洋上空の亜成層圏には最大秒速約70㍍のジェット気流が吹く。これに風船爆弾を乗せると約50時間で米本土に到着することに大本営は目をつけたのだ。当時、米軍はまだジェット気流を知らなかった。気象科学は日本のほうが優勢だったのだ。だが、それを利用した秘密兵器が風船爆弾なのだから、大きな効果が望めるはずもない。
 44年11月から45年4月にかけて茨城県北茨城市、福島県勿来関、千葉県一宮海岸の3ヵ所から約9000個の風船爆弾が発射されたが、米本土に到着したのはわずか277個。オレゴン州で6名の死者を出した以外は山火事や送電線の切断といった戦果しかなかった。逆に北茨城基地では発射による爆発事故で3名が戦死。かくして「ふ号作戦」は1万㌔を越えるギネス級の長距離爆撃記録だけを残して失敗した。
 和紙などで巨大気球を作る技術、爆弾を自動投下する電気装置、爆撃後自動的に気球が燃焼する仕掛けなど、精密技術は素晴らしいものだった。しかし、そのころの日本は崖っぷちに追い詰められていたため、せっかくの技術もこんな馬鹿げた兵器にしか利用できなかった。現在日本が持つ先進的技術も、追い詰められてからでは効果を発揮できないことを風船爆弾は教えている。
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[ 2009/07/07 23:32 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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