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アーカイブ原稿⑱「太平洋戦争の落とし穴」第3回

■「太平洋戦争の落とし穴」第3回『小泉政権の行方を暗示するインパール作戦』
■初出……「日刊ゲンダイ」2005年10月10日号

 インパール作戦は第2次大戦中、日本軍が行った作戦の中で最も無謀で、愚かで、悲惨な作戦である。インパールはインド北西部アッサム地方にある駐インド英軍の本拠地だった。第15軍司令官・牟田口廉也中将はビルマ側から幅600㍍のチンドウィン川を渡河し、標高2000㍍のアラカン山脈を越えてインパールを攻略する作戦を立案。だが、牟田口はこの長距離進撃で補給をまったく無視した。

 この無謀さに日本軍のビルマ方面軍や南方軍などの上級司令部では反対する声も多かった。しかし大本営は反対派の幕僚をすべて罷免し、周囲を賛成派だけで固めて44年3月から作戦を開始。大方の予想どおり悲惨な結末を迎えた。
 作戦決行中、日本軍には糧秣も弾薬も補給されなかった。大本営が第15師団に退却命令を出したのはやっと7月15日になってからで、季節はすでに雨期。兵士は激しい飢えと寒気に苦しみながら退却し、アラカン山脈内の道には軍服を着たまま白骨化した無数の死体が転がった。後にこの道は「白骨街道」と呼ばれた。戦死者、戦病死者、餓死者は実に7万2000人。生還者わずか1万2000人だった。
 この作戦の問題点は冷静な反対派の意見をまったく無視したことにある。作戦の採用だけでなく遂行中も同じだった。佐藤幸徳中将や柳田元三中将、山内正文中将などは作戦中、牟田口に退却を進言したが、彼らは全員師団長を罷免された。途中で引き返すこともできたのに、牟田口は退却という意見を完全に黙殺したのだった。
 先の総選挙で小泉首相は郵政民営化法案の反対者をすべて排除する姿勢を貫いた。彼の周りにいるのはいまやイエスマンと小泉チルドレンばかり。周囲に「ノー」を言わせない小泉政権はインパール作戦と同じ道を歩もうとしているかに見える。
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[ 2009/07/07 23:23 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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