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アーカイブ原稿⑰「太平洋戦争の落とし穴」第2回

■「太平洋戦争の落とし穴」第2回『慢心と能力不足で惨敗したミッドウエイ海戦』
■初出……「日刊ゲンダイ」2005年9月26日号

 太平洋戦史を語るときに避けて通れないのが42年6月のミッドウエイ沖海戦だ。この敗戦から形勢が逆転、日本軍は敗北に突き進んだ。
 ふつうなら負けるはずのない戦いだった。日本軍はアメリカ軍の約3倍の戦力で臨み、作戦を担当した南雲長官の航空機動部隊は最高の技量を誇っていた。しかし結果は惨敗。日本軍は戦死者が3057名。空母4隻を失い、航空機350機を撃墜された。

 これだけの戦力差がありながら、なぜ日本軍は惨敗したのか。最大の原因は「慢心」だ。日本海軍は連戦連勝を味わううちに、いつしか敵を甘く見てしまった。索敵を十分に行わず、すぐ近くを航行していた敵空母に気付かなかった。周辺海域に敵空母がいないと思い込み、航空機に搭載した艦隊攻撃用の魚雷を外してミッドウエイ島の基地を攻撃するための爆弾に転装してしまったのだ。
 次に作戦責任者の決断力が上げられる。敵空母発見の報が届いて南雲長官は爆装を再度、雷装に転装するよう命じる。その最中に敵航空機の空襲を受け、日本軍空母は爆薬庫に爆弾を落とされたも同然の大火災に見舞われたのだ。
 爆装のままだったら敵空母の攻撃もできた。それをしなかった原因は南雲がもともと駆逐艦出身の水雷屋で、航空機の専門家ではなかったことが大きい。そのため索敵も不十分で転装に右往左往してしまった。彼は年次による順送りで機動部隊の長官になったが、これは適材適所の人事だったのだろうか。
 現代の日本でも企業や官庁の多くは人を能力でなく、入社・入省年次をもとに年功序列的人事を行う。だから本当に有能な若手に舵取りを任せない。太平洋戦争時の陸海軍の人事と何ら変わらない。日本はミッドウエイ沖海戦のころからほとんど進歩していないのだ。
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[ 2009/07/07 23:20 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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