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アーカイブ原稿⑯「太平洋戦争の落とし穴」第1回

■「太平洋戦争の落とし穴」第1回『現代も続いている戦艦大和の悲劇』
■初出……「日刊ゲンダイ」2005年9月12日号

 今年は戦後60年。広島に大和ミュージアムが開館し、映画「男たちの大和/YAMATO」(12月公開)が製作されるなど、「戦艦大和」が話題にのぼっている。大和はなぜ造られ、そして海に沈んだのか――。

 戦艦大和は当時の日本の科学技術の粋を集めて建造された。全長263㍍、排水量7万2809㌧の巨大艦体に、46㌢3連装砲3基9門を搭載。世界最強の戦艦だった。もし大艦巨砲主義の時代が続いていたら、大和は太平洋を暴れまわっただろう。だが、九州南西方にあえなく沈んだ。
 その原因は大和が竣工したころ、すでに大艦巨砲主義の時代が終わっていたことだ。世の中は航空機主兵の時代となりつつあった。戦艦よりも航空機が活躍するようになっていたことに日本軍は気づかなかったのだ。
 しかも、その裏には皮肉な事情があった。航空機主兵時代を押し開いたのが日本海軍だったのである。それまで「航空機は戦艦を撃沈できない」というのが世界の常識だった。それを覆したのが日本海軍の真珠湾作戦である。旗艦空母赤城などの空母群から飛び立った航空機部隊は真珠湾の戦艦5隻を撃沈、3隻を撃破した。この戦果を見たアメリカ軍は航空機の時代が到来したことにいち早く気付き、建造中、計画中の戦艦をすべて空母に変更した。
 ところが日本軍はそれができず、大和のあとも莫大な費用をかけて巨大戦艦の建造を続ける。大和型2番艦の武蔵がそれである。日本軍がやっと戦艦建造を空母に変更したのは大和型3番艦の信濃(44年竣工)のときだった。
 大和の総工費は当時の金額で1億1759万円。現在の価値で約2600億円に相当する。この巨大公共事業は計画段階から激しい反対を受けたが、それを押し切って建造計画を進めた現実は、まさに現代の公共事業と同じ精神構造である。
 一度決めた計画を中止できず、巨大なダムや道路を造る日本の行政。政治家も官僚も大和の失敗から何も学べなかったようだ。
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[ 2009/07/07 22:35 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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