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アーカイブ原稿⑭『「児童相談所」なぜ虐待親から子どもを救えないのか』

『「児童相談所」なぜ虐待親から子どもを救えないのか』
■初出……「週刊文春」2004年9月30日号


※註 本稿発表後、法改正が行われ、現在では、児童相談所の立入り調査権については、本原稿内に記されているより強化されています。

「我々だけが、どんなに一生懸命になっても、それだけではどうしようもないんです。やはり、子供がきちんと育つためには、親のほうがしっかりしてくれませんとね」
 東京都内のある児童相談所。四十代半ばの児童福祉司が、決して自分たちの責任を回避するつもりはないが、と前置きしてそういった。虐待問題や非行相談で、問題を抱えている子供と接していると、最近、特にそう感じることが多いのだという。子供の問題は、そのままその親の問題なのだと、この児童福祉司はいった。

 未成年者による刑事事件や、親が子供を虐待して死なせる事件などが起こるたび、児童相談所(以下、児相と略して表記する)という言葉が報じられる。栃木県小山市の二児殺害事件では、二児が犯人に虐待されている事実を児相が知って、一時的に保護していながら、事件を防ぐことができず、非難の対象になった。今年一月に起きた大阪府岸和田市の中三虐待事件でも、それは同様だった。
 ところが、そうでありながら、児相の実態があまりにも知られていないのが現状ではないだろうか。
 そこで、私は、児相の関係者や、実際に児相に相談したことのある親などに会って、直に話を聞いてみた。子供を巡る「今」を浮き彫りにできるのではないかと考えたからだ。
 まず、簡単に児相の性格と仕事内容を説明しておこう。児相は児童福祉法に基づいて設置され、十八歳未満の子供に関することであれば、本人、家族、学校の教員、地域の人など、誰からでも相談を受けることになっている。
 管轄は各都道府県と政令指定都市の福祉担当部署(各自治体によって名称が違う)で、全国の主要都市には必ず設置されている。その総数は百八十二カ所。東京都の場合は、福祉保険局が管轄し、都内に十一カ所の児相がある。この十一カ所で都内全域をカバーするわけだ。
 子供に関する相談なら何でも対応するが、相談の種類は、便宜的に以下の各区分に分けてある(数字は、全相談に占める割合=平成十四年度のデータ)。「養護相談」一七・九%、「保健相談」一〇・八%、「身体障害相談」一〇・八%、「知的障害相談」二四・〇%、「非行相談」三・六%、「その他の相談」一八・八%。これらの総数が三万四百九十七件。かなり多いと考えていいだろう。
「例えば、親による子供の虐待などは、『養護相談』の一つとして扱うのですが、我々が介入するためには、親の協力が不可欠です。しかし、不名誉なことだと思うのか、協力を拒む親も多いのです」(同前)
 児童虐待防止法は、虐待の虞がある場合、児相が警察の援助を受けて立ち入り調査を行うことを認めているが、親がこれを拒んだ場合の規定はない。前出の児童福祉司が、どうしても忘れられないエピソードとして、こんなケースを話してくれた。
「少し前になりますが、都内のある母子家庭で、小六の子供の様子がおかしい、という通報がありました。春頃からずっと顔を見ない、学校にもきていないというんです。学校や保健所が何度も面会を求めましたが、母親がどうしても応じず、子供の安否が確認できませんでした。そこで、我々が立ち入り調査をすることになったのですが、それに先立って、私たちは、数日、この家庭の周辺に張り込んで情報収集をしました」
 「張り込み」という言葉を聞いて、そこまでやるのかと私は驚いたが、その結果、母親と子供がずっと室内にいることがわかり、立ち入り調査決行の六日前には、料金滞納で電気が止められたことも確認した。まさに、緊急事態だったわけだ。
「その後、我々は警察や医師、親類の立会いを求めて立ち入り調査を実施しました。親類の人に不動産業者から合鍵を借りてドアを開けてもらいましたが、それでも母親はドアチェーンを外さず、強硬に立ち入り調査を拒んだ。そこで仕方なく、親類の人が警察にドアチェーンを切るように求めて、やっと中に入れました」
 こうして子供はやっと保護されたのだが、体重は約二〇キロ。同学年の男児平均が三九・四キロだから、ほぼ半分しかなかった。栄養失調で衰弱しており、自分で歩くこともできなかったという。
「子供は都内の医療施設で治療を受けさせた後、一時保護所に移しました。母親のほうは、精神保健法に基づいて措置入院させましたが、今思い出しても、もう少し遅れていればどうなっていたかとぞっとします」
 このケースでは、偶々、親類の同行を得ることができたから、警察にチェーンを切るように頼むこともできたが、親類縁者が見つからなかった場合、同じことができるとは限らない。
「実は、この調査は緊急措置なんです。親権者の同意を得ずに、強行突入しているわけですからね。生命の危機が予想されましたから、我々としてもやむをえない措置だったと思います。張り込み調査をしているときには、あるいは監禁罪などが適用できないかと、いろいろ議論しました。しかし、これなら使える、という法の規定がない。この辺は、緊急時の手続きをどうするべきなのか、早急な検討が望まれますね」(同前)
 親権の名の元に子供が命を落としてしまったのでは本末転倒以外の何者でもないが、このケースまでひどくなくても、似たようなケースは枚挙に暇がないという。立ち入り調査には応じても、頑として虐待を認めないケースも多い。
「がりがりに痩せていて、きちんと食事を与えていないのがはっきりわかるのに、この子は元々、こういう体形なんだと強弁してみたり、暴力を振るったことは認めても、それは虐待ではなくしつけだと言いはる親も多いのです」(同前)
 虐待事案における児相の介入を順序だてて説明すると、まず、虐待の通報を受けると、児相は緊急会議を開き、方針を検討する。その上で、情報収集のための調査を行い、立ち入り調査に移る。
 ここで必要が認められれば、被虐待児童を一時保護する。この決定権者は各児童相談所長である。が、これはあくまでも緊急措置としての一時保護なので、そのまま児童を保護し続けることはできない。
 その後、さまざまな診断を行って、子供の最善の利益のためにはどうすればよいかを決定する処遇会議が持たれる。ここで家庭に戻すことになれば一時保護は解除される。逆に、一定期間、親と離して施設で生活させるべきだと判断されると、家庭裁判所にその申し立てをして、審判が下るのを待たなければならない。
 児相が虐待の事実を確認したからといって、直ちに子供を親から引き離すことはできないのだ。
 児相が子供を一時保護してからも、親が驚くべき行動を採ることがあるという。前出の児童福祉司とは別の児相関係者によると、
「子供を一時保護所に保護した後、親が子供を返せと怒鳴り込んでくることはよくあります。そういう場合は、我々が説得するのですが、親のほうも興奮していて、取り合ってもらえないことが多いですね。ひどいケースでは、我々が子供を誘拐したといって、一時保護所から携帯電話で一一〇番されたこともあります」
 不気味な話ではないか。児相が一時保護を決めたからには、子供の心身に危険があるということだ。にもかかわらず、その当事者である親がこのような行動を採ってしまう。彼らは、警察がいったい何をしてくれると期待したのだろうか。
「我々には、怒鳴り込んできた親を追い返す権限はありません。中には暴れる親もいます。相談室に招き入れて説明しているときに、納得できなかったのか、相談室の椅子を投げ飛ばして大暴れした人もいました。そこまでいくと、やっと、公務執行妨害で、我々も対処できるわけです」
 なんとも殺伐とした光景だが、現実にこのようなことが日常的に行われているのだ。では、当の親のほうは、その辺りをどう考えているのだろうか。虐待事案で児相の介入を受けたことのある親の話を聞いてみよう。
 三十六歳のA子さんは、東京の下町で四十代の夫と中学生の女の子の三人で暮らしている。この子が小学生の頃、虐待があるのではないかとして、児相の立ち入り調査を受けた。
「ご近所の方が、子供が毎晩、泣き叫んでいると児相に通報したらしいんです。私たちが虐待しているのではないか、というのですね」
 A子さんは、不承不承ながらも、児相の立ち入り調査を受け入れた。自分が子供を虐待している意識などまったくなかったからである。調査を受ければ、それがはっきりすると思った。
「そりゃあ、子供がいうことを聞かないときなんか、大きな声で怒鳴ったりすることもありますよ。子供は泣きます。いうことを聞かなきゃ叩いたりもしますよ。でも、それってしつけでしょ? 虐待とはまったく違うはずじゃないですか」
 結局、このときは子供を一時保護するには至らず、児相が「見守り」の処遇をすることになって、A子さんは定期的に児相の指導を受けたという。
 「見守り」とは、虐待がなかったということではなく、虐待の事実はあったが、親から離して一時保護するのではなく、児相が頻繁に親と接触して指導し、生活を改善させる措置のことである。
「でもね、子供のことを一番、解っているのは親でしょう? しつけの方針はそれぞれの家庭で違っていて当然です。それを大学を出たばかりの、子供を育てたことのない若い人に偉そうに指導されるのもおかしいと思います」
 どうやら、A子さんには自分の行動が虐待にあたるという認識はまったくないようである。今回、私が実際に話を聞いた親の多くが彼女と同じことを口にした。
 確かに、日常的な暴行がない場合には、しつけと虐待の線引きは難しい。が、激しい暴力はもちろんのこと、毎日毎日、子供を怒鳴りつけるなどの行為は、子供の成長に深い影を落とす。その意味で、やはりA子さんの行為も虐待なのである。
「A子さんのケースは、彼女の気持ちも理解できる部分もありますから、その辺は我々がきちんと説明して、理解してもらう必要があると思います。ただ、実際に毎日のように暴力を振るっていても、虐待を認めない親が多いのです。虐待を認めている親は、虐待事案全体の約四分の一で、逆に、どうしても認めない親は約三八・八%。実父だけに限ると、五〇%以上になります」(前出の児相関係者)
 しかし、自らの行為を虐待だと認められなかった親でも、児相が介入し援助を行っていく過程で、自分の行動を冷静に振り返ることができるようになり、子供を傷つけていたことに気づくのだという。
 その改善率は約四〇%。ということは、残りの六〇%、全虐待事案の約二三%は、自分の行為が虐待とは気づかないままということになる。これは空恐ろしい数字である。
 実は、私も、本稿の取材中にこれはかなり問題があるのではないか、と思える親の態度を目撃した。
 ある日、何度目かに訪れた児相のソファに二十代初めに見える女性が寝転がり、マンガを読んでいた。泥の着いたサンダルを履いたままである。実はこの女性、子供に対する虐待事案で、児童福祉司の指導を受けるために児相を訪れていたのだ。この態度を見る限り、彼女が虐待の問題を深刻に捉えているとは、どうしても感じられなかったのだ。
「これは虐待に限りません。少年の非行の問題でも、親の問題が浮き彫りになっています。非行少年として警察に検挙・補導される少年の数は、ここ十年ほとんど変化していません。ですが、児相への相談は減っているのです。この理由、判りますか?」(児相関係者)
 昭和五十七年には、児相が「非行相談」として介入した事案のうち、親から相談があったケースがほぼ八割を占めていた。それが現在では二割にまで激減しているというのである。
「結局、自分の子が非行に走っているということに気づいていないし、補導されてその事実を突きつけられても、それを認めることができないのです。自分の子供だけが悪いのではないとか、自分の子は誘われただけで運が悪かったのだという親が、驚くほど多いのですよ」(同前)
 児相の呼び出しに応じない親も多い。何度も日にちを変更してようやく児相に来たり、家庭訪問を繰り返してやっと会える親も多いのだ。しかも、会えたら会えたで、前述のように言い逃れを試みるのである。
 ここにも、虐待事案と同根の問題がある。近年の少年犯罪の特徴は、凶悪犯が増加していることと、薬物濫用、覚醒剤事犯が増えていることである。我が子だけが悪いのではない、巻き込まれて運が悪かったではすまないのだ。我が子が人を殺めたり、薬物中毒になったりしてからでは、もうどうしようもないのである。
「しかも、最近、我々が問題視しているのは、幼少の頃に虐待事案で介入した子供が思春期になって、今度は虞犯行為や触法行為などの非行相談でまた、我々の介入を受けるケースが増えていることです」(同前)
 これもまた、空恐ろしい話である。
 平成十五年の数字で、全国の児相に籍を置く児童福祉司の総数は千七百三十三人である。平成十二年には千二百三十人だったから、この四年で五百三人増えている。しかし、この間、児相に対する相談数は、一・四倍に増えているのだ。
 児童福祉司は、児童福祉法で児童相談所への配置が義務付けられており、給与は国から地方への交付税で保証されている。その予算は、かつては人口百七十万程度に二十三人分だったが、平成十二年に虐待防止法が施行されてから二人分増え、二十五人分になった。
 だが、相談数の増加と比較すれば、まだまだ充分な人数とはいえない。全国平均で、児童福祉司は虐待事案だけで一人が十四件を同時に抱えているといわれる。もちろん、それ以外の相談も多い。親の協力がなければ、児童福祉司だけではどうしようもないのである。
 少子化傾向にあるにもかかわらず、都内二カ所にある都立児童支援施設は、ほぼ満員に近い入所状態が続いている。これは全国的な傾向である。少年犯罪や虐待が多発しているからだ。
 いくら親が目を逸らそうとしても、現実に問題は存在する。そして、その一番の被害者は子供なのだ。子供を巡る社会状況が悪化しているといわれる。それから子供を守るためには、何をさておいてもまず、親の自覚からしか始まらないのだ。
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[ 2009/05/18 21:58 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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