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アーカイブ原稿⑪『「老人の街」多摩ニュータウンは「未来の縮図」だ』

『「老人の街」多摩ニュータウンは「未来の縮図」だ』
■初出……「週刊文春」2007年2月8日号

「昔と比べると、ずいぶん活気がなくなりましたよ」
 多摩センターの駅前で話を聞いたAさん(五八)が言った。Aさんは、昭和五〇年代の後半、三〇代のときに、多摩ニュータウンの都営住宅に入居し、今も同じ場所に住んでいる。
「子供が減って、年寄りが多くなりましたからね。うちも妻と二人暮しです。二人いる息子は、それぞれ独立して多摩ニュータウンを離れています」
 東京都多摩市落合――多摩市と八王子市の境近くに、「京王多摩センター駅」と「小田急多摩センター駅」が軒を並べている。
 ここが多摩ニュータウンの中心地だ。駅の近くには、近代的意匠を凝らした大手出版社の高層ビルや、室内型のアミューズメント施設があり、洒落た店も並んでいる。が、その割に人通りが少ない。多摩モノレールの「多摩センター駅」のほうに移動してみると、そこには、赤字の累積で延長計画を中止したままの線路が、まるでここが世界の終わりででもあるかのように、空中でぶつんと切れている。

 平成一五年に「新市街地開発法」に基づくすべての開発を完了した多摩ニュータウンは今、二つの大きな問題を抱えているという。一つが少子高齢化の問題であり、もう一つが二極分化の問題だ。その意味では、多摩ニュータウンは、今後の日本のありようを示唆する形で、その最前線にいると言っていいだろう。
 ご存知のように、多摩ニュータウンの特色は、<団地の街>だということである。その団地にも、二つ種類があることをご存知だろうか? 一つは、都が建設し、東京都住宅供給公社が管理する「都営住宅」。そしてもう一つが、独立行政法人・都市再生機構が建設・管理する「公団住宅」である。
 ちなみに、都市再生機構は独立行政法人化に伴って名称が変わったもので、当初は「住宅公団」として設立され、その後、「都市住宅整備公団」と名前を変えたあと、現在の名称になった。実は、この二種類の団地が混在していることが、多摩ニュータウンの抱える二極分化の問題に繋がっているのだが、それは後述することにして、まず、少子高齢化の問題に触れてみたい。ここでもう一度、Aさんの話を聞こう。
「私が入居した頃はね、子どもが大きくなったらどうする、なんてことはあまり考えていなかったんですよ。とりあえずの住まいのことで頭が一杯でね。でも、子どもが大きくなると、同じ団地に一緒に住むのは無理ですよ。だから、どうしても、第二世代は多摩ニュータウンを出て行くことになるんですね」
 これが、多摩ニュータウンの少子高齢化の主要因である。それに加えて、その流れを加速させているのが、Uターン率が極めて低い、という問題だ。都営住宅はそのすべてが、公団住宅も多くが賃貸物件だから、一度、多摩ニュータウンを離れた第二世代が、親の死後、物件を相続してまた戻ってくるケースは少ない。
 勢い、多摩ニュータウンで生まれ育った世代は、長ずるとともにこの街を離れ、再び帰ってこないという、構造的な宿命を背負っているわけである。
「ウチの子が小さいころは、祭りの時などは子供神輿も出て、結構賑やかでした。でも、今は神輿も減ったし、祭りの規模も小さくなりましたよ」
 Aさんは言う。Aさんと同じ団地に住むB子さん(六八)も、昭和五〇年代入居組である。Aさん同様、子供は既に多摩ニュータウンを離れている。長年連れ添った夫も一昨年に亡くなり、今は一人暮らしだ。B子さんにとっての最大の問題が買い物だ。
「以前は、団地内に小さなスーパーがあったんですが、老夫婦だけの世帯が多くなって採算が合わなくなったのか、今は撤退しました。ずいぶん、反対運動もしたんですが、相手も商売ですから仕方がありません」
 B子さんの団地は駅から遠いので、駅前のショッピングセンターへ行くにもバスを使うことになる。今はまだ何とかなっているが、この先、もっと足腰が弱ってきたらと思うと、不安は募るばかりだ。
「必ず、その日がくるんですからねえ」
 そう思いながらも、子供が都内の賃貸マンション住まいということもあり、彼女はこの団地で死ぬまで生活するつもりだという。
 では、今、子育てをしている世代には、少子高齢化の問題は、どのような影響を与えているのだろうか。話を聞かせてくれたのは、C男さん(四一)だ。年齢が若いだけに、C男さんの多摩ニュータウン入居は比較的新しい。三〇歳で結婚したのを機に、多摩市内の都営住宅に入り、現在、小学校四年生と六歳の息子がいる。
「長男の通っている学校は、今、各学年二クラスしかありません。ところが、学校の敷地はものすごく広いんですね。だから、運動会などをやると、だだっ広い校庭に、子供と父兄を合わせても人が少なくて、やはり、活気がないですよ」
 C男さんは、このまま少子化が進めば、運動会などの学校行事そのものが、開催しにくくなのではないかと心配していると話してくれた。
「それから、テレビなどでよく、少子化にはメリットもある、という評論家などがいますね? 少ない子供で今あるインフラを使えるようになるのだから、子供一人一人の行政サービスは手厚くなるという理屈で。あれはウソですよ」
 と前置きしてC男さんが話してくれたのが、保育園の入園問題だった。次男が保育園に入るとき、少子化率が高いのだから、簡単に入園が可能だと思ったら、そうではなかったという。待機児童の数は変わらないのだ。C男さんは、不満そうに言う。
「うちは妻が看護士をしていたので、〇歳児保育を申し込みました。でも、入園できたのは、半年くらい後でしたよ。子供の数が減れば、当然、予算も減るわけで、ひとりの子どもに対するサービスが向上するなんてありえないですよね」
 私は、C男さんに案内されて、彼の長男が通っているという小学校にいってみた。もう冬休みに入っていたから、子供はいなかったが、それでも校庭の広さばかりが目に付く。二三区内の学校の、倍以上の広さに感じられた。優に千人は収容できる規模の学校である。が、今の児童総数は、二百人強に過ぎない。まさに、この街は、少子化の最前線を思わせた。
「団地内の行事の負担も増えてるんです」と言うのは、C男さんと同じように、結婚後、多摩ニュータウンに移ってきたDさん(三八)だ。
「私のいる団地の場合、各棟から代表が出され、合計一〇名くらいで自治会が運営されています。その自治会で団地内の行事を決めて実行するんですが、お年寄りが増えているので、どうしても数少ない我々の世代に負担がかかってくるのです」
 自治会の行事は、団地内の清掃や、団地内施設の管理などのほか、レクリエーション行事として、ソフトボール大会や花見など多岐に亘る。
「団地内の清掃といっても、清掃用具の調達や管理も含まれるから、結構手間もかかるんです。それに、必要があれば、市や住宅供給公社との折衝も自治会でやります。その大半が、我々の世代の負担になってしまうので、大変ですよ。会社の仕事で疲れているから、土日くらいはゆっくりしたいんですが、団地の行事をサボるわけにもいきませんしね。正直、苦痛ですよ」
 Dさんは言った。少子高齢化の問題は、子供や高齢者だけではなく、現役世代にも大きな負担を与えているようだ。
 さて、次に二極分化の問題について触れてみたい。多摩ニュータウンには、「都営住宅」と「公団住宅」の二種類の団地がある、と先に記したが、両者は大きく性格が違う。
 「公団住宅」のほうが一定以上の収入がある人を入居対象にしているのに対し、「都営住宅」は、公営住宅法に基づき、所得の低い層に住宅を供給する役割を担っている。公団住宅の場合は、入居審査の際、家賃の四倍以上の月収があることが条件となる(但し、家賃が一〇万円を越える物件については、一律四〇万円以上の月収)。逆に、都営住宅の場合は、四人家族の場合、年間の給与が三五四万円未満など、家族数によって細かく所得制限が設けられている。
 都営住宅は、ここ数年、抽選倍率が極めて高くなっており、平成一七年度の場合、東京二三区内にある物件の平均が、八四・七倍、市部の物件でも三二・〇倍に及ぶ。
 但し、市部の場合、各市によってばらつきが大きく、たとえば、国分寺市が二三区並みの八二倍なのに対し、多摩ニュータウンに属する多摩市は七・一倍である。
 抽選に際しては、より困窮度の高い世帯を優先するために、条件に応じて、五倍ポイント、七倍ポイントの優遇措置がある。簡単にいえば、この優遇措置を受けられる世帯は、一回の申し込みにつき、それぞれ、五回と七回、籤が引けるわけだ。
 ちなみに、七倍ポイントの優遇措置を受けられるのは、身体障害者一級、二級の資格がある人、一八歳未満の子供が二人以上いる一人親家庭、生活保護受給家庭などだ。ただ、ここで注目しなければならないのは、現在では、都営住宅に応募する世帯の九〇パーセントまでが、七倍ポイント優遇措置を受けている、という点である。
 つまり、現在、都営住宅に入居を申し込む世帯は、ほとんどが極めて困窮度の高い世帯だということになる。
 さて、ここで、先ほどの抽選倍率の数字を思い出して欲しい。多摩市は七・一倍である。あくまでも数字上のことではあるが、これは、七倍ポイントの優遇措置を使った場合、希望すれば、ほぼ全員が入居できるということを意味する。
 そのために、比較的収入の低い母子家庭や、独居老人が、多摩ニュータウンに移転してくるケースが増えているという。
 二年前に二三区内から多摩市の都営住宅に引っ越してきたE子さん(四三)の話を聞こう。E子さんは地方出身で、高校卒業後上京、東京で結婚した後は二三区内に住んでいた。 
 が、五年前、当時小学校三年生と五年生の子どもを抱えて離婚することになった。当初は、同区内の母子生活支援施設(旧称・母子寮。法改正によって改称)に住んでいたが、施設を出なければならなくなって、多摩ニュータウンに転居した。
「母子生活支援施設は、今は契約制度になっており、概ね、三年程度で出ることになっています。施設を出るに当って、都営住宅に応募することになったのですが、抽選倍率の関係で、多摩ニュータウンにしか入れなかったのです」
 E子さんが都営住宅に応募したとき、同じ施設から三人が同時に応募したが、全員が多摩ニュータウンの物件だった。
「最初はいやでした。地方生まれで都内に住んでいた私には、全く知らない土地だし、勤務先へも遠いですから。仕方なく、という感じでした」
 が、今では、E子さんは多摩ニュータウンの生活が気に入っているという。
「似たような境遇の人が多いから、母子サークルなどが充実しているんです。私もその一つに入っていますが、子育ての心配事や悩みを相談し合ったり、行政からの支援の受け方や手続きを教え合ったりしています。時には、花見や旅行にサークルで出かけたりもして、楽しいですよ」
 経験や境遇が共通するからか、離婚した夫と子供との面接交渉の問題など、まだ紛争を抱えている人には、経験者が法廷戦術を伝授したりもするそうで、サークルは相互扶助的な役割を果たしているようだ。
 ちなみに、母子サークルには、都の母子寡婦福祉協会が、各市区町村にある支部を通して援助金を支出している。また、公共施設への自動販売機設置の優先権を母子サークルに与えて、その利益を活動費に充填できる優遇措置もある。
 しかし、一方で低所得層向けの都営住宅があり、もう一方には比較的収入の高い層を対象とする公団住宅があって、それらが混在している状況は、深刻な<差別意識>を産み始めてもいる。公団住宅住まいのF子さん(三二)が経験を話してくれた。
「うちには三歳の子がいますから、毎日、公園へ連れて行きます。すると、あの子は公団の子だから、きちんとした家の子、あの子は都営の子だからきちんとしてない家の子、みたいなことを平気で言う人がいるんですよ」
 F子さんは公団住まいだから、自分の子が悪く言われたわけではないが、それでも腹が立つ、と言った。狭い地域の中で、同じ団地でありながら、「公団」「都営」の違いによって、つまらない選別をしたがる人も、現実にいるわけである。E子さんは、そういう差別意識が、学校でのいじめなどに繋がるのではないかと不安だ、言った。
 もう一つ、より深刻な問題だと思われるのが、ニューカマーの独居老人が増えていることだ。都営住宅では、都内に三年以上居住する六〇歳以上の人については、単身での入居も認めている。ために、生活に困窮する老人が都営住宅に応募するケースが増え、比較的抽選倍率の低い多摩ニュータウンに入居することが多くなっているのである。
 年金だけで生活しているG夫さんは、民間アパートの家賃を払うのが厳しくなり、昨年、多摩市の都営住宅に移ってきた。子供はおらず、妻は既に亡くなっているから、天涯孤独の身だ。
「都営住宅に入居できなかったら、今頃、間違いなくホームレスでした。その点では助かりましたよ。でも、生活は苦しいし、独り暮らしで、周りに知り合いもいないので、ただ生きているだけです。病気のときが一番不安ですね。以前、風邪を引いて寝込んだときには、ほんとうにこのまま死んでしまうかと思いました。長年、一所懸命働いてきた結果がこれかと思うと、哀しいですよ」
 G夫さんは、寂しそうにそういい、最後に、「私はきっと孤独死してしまうんでしょうね」と呟いた。G夫さんは、幸福という言葉から、最も遠いところにいるように見え、私も胸塞がる思いだった。が、「問題はそれだけではないのです」というのは、東京都住宅局の関係者だ。
「今、公団住宅の家賃を支払うのが苦しくなって、都営住宅に移りたいと希望される高齢者の方が増えているのです」
 と彼は言う。どういうことなのか。前述のように、公団住宅入居に当っては、家賃の四倍以上の収入があることが条件となっている。が、入居当初はその条件を満たしていたものの、定年退職やリストラなどで収入が減り、家賃を支払えなくなる人が増えているというのだ。
「基本的には、公団住宅など、ほかの公的住宅に居住している人が、都営住宅に応募することはできません。しかし、こういうケースは特別な事情ですから、応募を受け付けています」
 公団住宅も、居住者が高齢化している事情は同じである。だからこそ、このような問題が起こっているわけだが、これが構造的な問題である以上、今後もこういうケースは増えるに違いない。まさに、<ニュー・プア>とでも呼ぶべき層が生まれようとしているのである。
 住宅問題に精しい元都議は言う。
「結局、多摩ニュータウンのライフスタイルというのは、高度経済成長期のライフスタイルだったんですね。かつては、団地生活が新しいライフスタイルとして、憧れられた時代もあった。しかし、時代は大きく変わった。多摩ニュータウンは当初の役割を終えた、ということですよ。でも、そこには街がある。すると、それが人造都市であるがゆえに、社会の矛盾とか、問題点が集中するような形になってしまうのではないでしょうか」
 今、多摩ニュータウンで象徴的に起こっている少子高齢化、二極分化の問題は、早晩、東京のほかの街や、日本中の街が経験し、克復しなければならない問題であるのは間違いない。取材からの帰り道、私は、多摩ニュータウン通りを一人歩いてみた。
 ゆったりと広い歩道に、例年より遅い落ち葉が舞っていた。この道路といい、多摩センター駅前の広場といい、多摩ニュータウンの持つ設備は素晴らしい。しかし、街は人間の幸福あってこそ、その機能を十全に発揮するもののはずである。多摩ニュータウンはこれからどこへ行こうとしているのだろうか。
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[ 2009/05/06 23:21 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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