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終戦記念日

 例年のことではあるが、終戦記念日が近づいて、各テレビ局が先の大戦を扱った番組を多く流している。全てに目を通せるわけではないが、中には、これはどうだろう? と疑問に思えるものがないでもない。しかし、12日の木曜日に、NHK総合テレビでOAされたNHKスペシャル『玉砕 隠された真実』のように優れたドキュメンタリも多い。テレビを見る側としてはむろん、優れた番組を見るのが楽しい。しかし、私は、玉石混交であってもいいから、より多くの戦争を扱った番組が流されることが大切だと思う。

 終戦後65年も経って、今や、実際に戦争を経験した人たちは、あるいは亡くなり、あるいは高齢になられて、次の世代に戦争について伝えていくのが難しい時代になったからだ。親の世代から、直接、戦地の話を聞くことができたのは、私たちが最後の世代かもしれない。私は昭和33年の生まれであるが、父は海軍飛行予科練習隊出身の戦闘機搭乗員であったし、父の姉の一人は、中尉で終戦を迎えた陸軍将校の元に嫁いでいる。もう一人の姉は、戦争未亡人であったし、父の兄弟の中にも戦死者がいる。

 これは何も、私の家庭だけが特別だったわけではない。私の子供の頃は、大半の家庭が、うちと似たようなものであったろう。従って、我々は、<家の中>で過去の戦争について聞く機会を持っていたわけである。しかし、終戦後65年も経ってしまうと、もうそういうわけにもいかない。実際、先ほど私が列挙した、実際に戦争を経験した私の親族は、もはや、全員がこの世の人ではない。

 そんな時代に大切なのが、メディアが戦争を語りつづけることと、教育がきちんと次の世代に戦争を伝えることの二つである。そして、その肝は、<戦争は悪いことである><よい戦争などというものはない>という、自明のことのはずである。これを次の世代に伝えなければ、戦争を語り継いだことにはならない。それが、今の、繁栄の時代を生きる我々の責任だろうと、私は考えている。

 実際――、この、自明のことであるはずの、<戦争は悪いこと>という感覚が、もしかしたら今の日本人から失われつつあるのではないかと、時折、私は恐ろしくなることがある。

 言い方を変えよう。<国民>にとって、<戦争は悪いこと>なのであり、<国民>にとって、<よい戦争などというものはない>のである。為政者、国家の統治機構にとっては、場合によっては、<戦争が悪いことではない>こともありうる。しかし、そうなってしまうと、国民にとっては、暗黒の時代であり、統治機構は国民の敵として機能するのである。

 例えばよく、<国を守るための戦争>という言葉が使われる。さて、この場合の<国>とは何か、である。ここには、むろん、<国民>という概念は含まれていない。ここでいう<国>とは、<国家の統治機構>を差すのである。従って、時の為政者、統治機構にとっては、戦争が必要な場合があるし、<よい戦争>もありうるわけだ。

 しかしそれは、国民の幸福とは、全く相反するものである。従って、国民は、常に、国家の統治機構が、<全ての戦争が悪いわけではない>という意志を持たないように監視すべきであり、その意志を持つ気配が現れたら、投票行動等をもって、これを阻止しなければならないのである。

 というようなことを、私が考えるのも、最近、特に若い人たちと話をしていると、右傾化というか反動というか、そういった傾向を感じることが多いからである。

 むろん、その背景も理解できないではない。安定成長期から、不況期に入った日本は、若者たちの自己実現が、極めて難しい時代を迎えている。自己の実現が不可能と知った時、人は自己よりも更に大きな、民族や国家というものに、自己実現を仮託してしまうのである。

 だから、若者の右傾化は、彼らの鬱屈した心境の発露、心の叫びと見るべきで、それならばそれで、私も含めた大人の世代が、彼らが自己実現可能で、希望を持てる社会を作る努力をしなければならない。大学卒業者の二割以上が、職に就けない時代など異常だ。

 さて、戦争を次の世代に伝える、という話であった。些か、私事に亘ることをお許し願うが、私には、中学1年生の娘と、小学校3年生の倅がいる。彼らは、ある程度ではあるが、先の大戦に興味を持っている。

 娘の場合は、小学校1年生の時に、学校で「はだしのゲン」の単行本を読んだことがきっかけである。倅の場合は、私の父が戦闘機搭乗員であったことを教えてやったところから、戦争に関心を持つようになった。一度、関心を持つと、自分で関係書物を探して読んだりもするから、知識も深まり、戦争についての、自分自身の考えもできてくる。

 私にとって幸いだったのは、かつて戦争物を書いていたこともあり、私に、まあまあきちんとした近現代史の知識があったことである。だから、あまり間違えずに、子どもたちに戦争と、それを取り巻く時代を教えてやることができた。

 また、私は非政治的人間であるから、ナントカ史観などと言われるような、政治的思惑を持った歴史認識をしない冷静さだけはあった。この辺りは、むろん、私が、実際に戦争を経験した世代から、<戦場の真実>を聞くことができていたからではあろうが。

 しかし、この<近現代史>を学ぶ、ということが、実はなかなか難しいのである。学校での歴史の授業では、ほとんど近現代史を扱わないのが通例である。これは、私の時代でも変わらない。高校時代の日本史も、明治時代辺りまでをやっただけだったと思う。そこで時間切れである。近現代史、特に昭和史は学校教育の中から、漏れてしまっている、といってよかろう。

 そこで私は思うのである。今、学校での歴史教育は、古代史から始まる。チグリス、ユーフラテスや、卑弥呼の時代である。興味のある人にとっては、面白いのだろうが、子供たちに教える歴史として、ここから興味を持て、というのはなかなかに難しい話である。自分たちの生活と、あまりにかけ離れているからだ。

 ならば、歴史を遡って教えればどうか。まず、バブル崩壊から現在までを、ひとつの時代として捉えて、ここから歴史教育を始める。これなら、子供たちにとって、自分がまさに今、生きている時代だから、関心も持ちやすい。

 この時代が終われば、次は高度成長時代。次に、敗戦の復興期。戦前戦中――と、歴史を遡っていく。そうすれば、現在と過去の歴史との繋がりも理解しやすいし、近現代史がスッポリと抜け落ちてしまう心配もない。また、戦争を語り継ぐという意味でも、効果が高いと思う。

 さて、よく、
「今の若者は、日本がアメリカと戦争をしたことも知らない」
 と嘆くバカな大人がいる。そう思うなら、まず、我が子に、戦争のことを教えてやればいいではないか。教わらないものを知れ、というのはムチャクチャな話である。誰もが我が子に戦争を伝える努力をすれば、やがてはすべての子供に、戦争についての知識が生まれ、<日本がアメリカと戦争をした>ことも知らない若者など、一人もいなくなる道理だ。

 そう考えて、私はこれからも、我が子に戦争について伝え、<戦争は悪いこと><よい戦争などというものはない>ということを教えていきたいと考えている。
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[ 2010/08/14 00:18 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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