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連続試合出場

 阪神タイガースの金本知憲外野手が今日の対横浜5回戦のスタメンを外れて、1999年7月から続けていた連続フルイニング出場の記録が、1492試合で途切れたとのことである。朝日新聞電子版の報道によると、これは、金本が自ら申し出てのことだという。

 私は、金本はいい決断をしたと思う。しかし、本来なら、金本から申し出がある前に、もっと早く、真弓明信監督が彼をスタメンから外すべきだった。今年の金本は、右肩の筋肉が部分断裂しているとかで、レフトを守っていても、返球ができない状態だった。プロを名乗り、お金をいただいて野球を見せる以上、ボールを投げられない選手に外野を守らせるなど、もってのほかである。

 真弓監督にその決断が下せなかったのは、むろん、金本が連続フルイニング出場の記録を続けていたからである。しかし、プロの鉄則である、<最高のプレーを見せる>という原則を放棄してまで、連続フルイニング出場の記録を続けることに、いったい、何の意味があるというのか。<記録のため>と称して、こういうことをやるから、プロ野球は娯楽の王者の座を滑り落ちたのである。

 プロ野球の記録に何故、意味があるかというと、そこに<作為性>が介在する余地がないからである。王貞治の868本塁打にせよ、張本勲の3085安打にせよ、それが<作為的>に作ることができない記録だからこそ、価値があるのだ。ところが、この<連続試合出場>という記録に関しては、作為が働く場合が多い。過去には、腕を骨折して、守備も打撃もできない選手が、代打で登場して連続試合出場記録を伸ばしたことがある。これは、野球の、プロの本質に外れる行為である。

 もっとひどいのになると、かつて、<連続四番打者出場>という、それに何か意味があるのかどうかも判然としない記録を続けている選手がいた。ところが、彼は<連続四番打者出場>の日本記録が近づいた頃に怪我をしてしまい、とてもではないが、試合に出られる状態ではなくなった。その時、球団はどうしたかというと、その選手を四番打者としてDHでスタメン出場させ、1打席だけバッターボックスに立たせたのである。

 それで、<連続四番打者出場>の記録は更新されたから、すぐにほかの<きちんと打撃ができる状態の選手>と交替させる、というなんとも馬鹿馬鹿しい方策を採ったのだ。そういう不毛というか、プロの矜持を放棄したというか、客をバカにしているというか、まあそういった試合が何試合か続いた。そしてめでたく、<連続四番打者出場>の日本記録を作ったところで、その選手は試合に出なくなったのである。こんなことに、いったい、何の意味があるのだろうか。そういうことをやったせいかどうかは知らないが、その球団は、今は消滅してしまった。

 <記録>という野球に付随する一つのファクターのために、野球の本質をかなぐり捨てるなど、愚行の最たるものというほかない。その意味で、私は、今日、金本の無意味とも思える連続フルイニング出場記録が途絶えたのは、とてもいいことだと思っている。多少、遅きに失した感がないでもないが、それは金本の責任ではない。真弓監督の責任である。記録が途切れたからといって、金本が今まで築き上げてきた記録の価値が薄らぐわけでもないし、ましてや、金本の選手としての評価が下がるわけでもない。

 今日の試合では、金本は8回に代打で出場して、単純な連続試合出場記録のほうは1638試合に延びたとのことである。こちらのほうの記録も、ムリに継続させるために、試合の必然性や金本のコンディションに関らず、何が何でも毎試合、代打で出場させる、などというバカな采配を振らないことを、真弓監督には期待したい。そんな行為は、金本の価値を下げるだけだ。と同時に、プロ野球の価値を下げるだけである。

 ところで、今日もまた、もはや恒例となった感があり、<東京名物>とすらいいたくなる石原慎太郎都知事の暴言があった。最初に報道に接した時には、あまりのことに驚き呆れた。で、私なりの意見もあるし、石原発言の論理的誤謬を指摘することも、まったくもって容易である。実は、このブログでそのことを書こうかと思っていた。

 しかし、それは止めることにした。というのは、石原さんがそういう暴言を吐くのは、先にも記したように、<恒例>であり、<東京名物>なのだ。だから、彼がどんな馬鹿げたこと、ひどいことを口にしようが、もはや論評の対象にするべきではないと悟った。軽く舌打ちをし、
「あ、またですか。了解です。お疲れでした」
 と呟くのが正しい対応というものである。東京都民として、極めて哀しいことだが、我々都民が選んだ知事だから仕方がない。

 ただ、私は、まだ小さい子を持つ父親であるから、多少の防御はしないといけない。彼の「太陽の季節」なら、今7年生の娘や、3年生の倅に読ませても、何の害もないと思う。子供には読ませないほうがよい作品だとも思わない。むろん、彼らが作品を理解できるかどうかは別としてだが。いくら過激な性表現があろうと、それよりも<文学史的価値>のほうが大きいからである。

 しかし、MXテレビでオンエアしている都知事の定例会見の模様は、絶対に子供たちには見せたくない。あれは、子供にとっては<有害番組>である。大の大人が、しかも社会的地位の高い人物が、理屈にならないことである種の人々を誹謗し、記者を恫喝し、非論理的な暴言を吐く姿を見せることが、子供にいいことだとはどうしても思えない。だから、私は最小限の防衛策として、知事の会見は子供たちには見せないのである。石原さんふうの<暴言>を採用させてもらえば、知事の記者会見は、都条例で、18歳未視聴覧禁止の番組に指定して欲しいくらいだ。
 
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[ 2010/04/18 23:15 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

肩書き

 少し前の話になるが、雑誌に原稿を発表したとき、校了の直前に編集者から電話がかかってきた。
「松井さんの肩書きですが、作家だけでいいですか?」
 と相手がいう。私は、一瞬、意味が飲み込めなかったので、
「えーと、それはどういうことですかね? イケメン作家とか、男前作家とかにするということ?」
 携帯電話の向うで、明らかに溜息を吐く気配があった。
「違いますよ! 肩書きにウソは書けないでしょう、ウソは……。松井さん、取材してルポなんかも書いてるじゃないですか。だから、作家、なかぐろ、ジャーナリストみたいにしたいのかなと思って」
 <なかぐろ>というのは<・>のことである。だから、相手がいうのは、<作家・ジャーナリスト>という肩書きにしましょうか? という提案だった。

 まあ、<イケメン作家>とすれば、ウソになる、という意見には同意する。哀しいけど。私だって、たまには鏡を見ますからね。しかし、<ジャーナリスト>という提案は意外だった。私は確かに、雑誌に何本かルポルタージュを発表しているし、そのジャンルの著書もある。しかし、それはあくまでも小説家の立場として、小説家的感性から興味を覚えたことを取材して纏めたものである。その意味で、私はジャーナリストではないし、そういう肩書きで呼んでもらうべき資格もない。そこで、肩書きは<作家>だけにしてもらった。

 我々自由業者にとって、肩書きというのはなかなかに難しい。私の場合だと、確定申告の用紙には<文筆業>。これは、最初から、税務署が<文筆業用>という申告用紙を送ってくるから、ほかに記しようがない。今、手元にある『文藝年鑑』を捲ってみたら、「文化各界名簿」の私の肩書きは<作家>となっている。ほかのデータベースの類も、ほとんどは<作家>である。私の名刺には、肩書きは刷っていない。所属している団体の名前と、事務所の住所、電話番号、それから携帯の番号とメールアドレスだけを記してある。考えてみれば、肩書きのない名刺というのも、自由業者ならではだろう。まあ、私は、そのまんまなんとかから肩書きと名前しかない名刺をもらって、辟易したことはあるけれども。

 では、自称するときはどうかというと、仕事先などに電話して名乗る場合は、「作家の松井計ですが」ということが多い。編集者の携帯など、出る相手がわかっている場合は、「松井です」のみ。これが親しくなってくると、「俺だ、俺だ」なんぞと詐欺犯みたいなことになる。私を知らない人に、「お仕事は何をされてるんですか?」と訊かれるような場合は、「モノカキです」と答えることが多い。

 ここまでお読みになった方の中には、
「おい、違うじゃないか。このブログのタイトルには、<小説家・松井計>となってるぞ」
 と仰る向きもあると思う。そのとおりである。このブログでは、<小説家・松井計>としてある。ところが、ご記憶の方もあるかも知れないが、以前は、ブログのタイトルでも<作家・松井計>となっていたのである。それを昨年だったかに、<小説家・松井計>に変えたのだ。

 何故、そうしたかというと、私の感覚の中には、<作家=小説家>という基本概念があったのだが、最近、どうもそれが通用しなくなっているように思えたからである。

 三省堂の大辞林第二版で<さっか>を引くと、次のように出ている。

さっか さく― 【作家】
(1)詩や文章を書くことを職業とする人。特に、小説家。
「放送―」「流行―」
(2)美術・工芸など、個人の表現としての芸術作品の制作者。
「映像―」「陶芸―」

 つまり、私は、<作家>の意味を、(1)、しかも、付記してある<特に、小説家>という部分で捉えていたわけである。この用法は、おそらく、出版界で共通のものだったと思う。だからこそ、ノンフィクションの人などは、わざわざ作家の前にノンフィクションという言葉を入れ、<ノンフィクション作家>と称することが多かったわけである。<小説作家>という表現はない。辞書の定義にある詩を書く人は<詩人>、文章を書く人については、その仕事の範囲によって、<評論家>とか<ライター>と呼ばれていた。

 ところが、最近はどうも、そうではなくなっているようなのである。そう気づいたきっかけは、あるパーティでもらった名刺だった。その中の3枚ほどに、<作家>という肩書きが記してあった。申し訳ないが、私はその方たちの作品を知らなかったので、帰宅後、ネットで調べてみた。そうすると、小説を書いている人は皆無で、3人とも実用書などを刊行している方だった。

 実は、私はパーティがあまり好きではない。招待状をいただいて、お断りの返事を送るのは非常に心苦しいし、申し訳なく思いもするのだが、よほど義理のあるもの意外は失礼させていただいている。なので、上記のパーティも、かなり久々のパーティ出席だったのである。昔はパーティなどで名刺をもらっても、<作家>という肩書きが刷ってあることは、ほとんどなかった。

 そのときに、
「なるほど。今は、作家=小説家ではないのだな。本を出している人を、作家と呼ぶ傾向になったのだな」
 と気づいた。そこで、一般にも私が何を書いているのかよく分かるように、このブログだけ<作家>を<小説家>に変更したのだ。ただ、ブログ以外は、肩書きは変えていない。それは、私が仕事をする範囲では、まだまだ作家=小説家という概念が生きていると思うからである。

 私がデビューしてすぐの頃だから、もう15年以上昔の話になるけれども、ある版元で著名な作家とお会いした。たまたま、来社しておられたその方に、担当編集者が私を紹介してくれたのである。もう高齢の、大先輩だった。そのときに、これから頑張るように励ましてもらった後、
「でもね、松井さん、我々はね、小説家なんですよ。作家なんてエラソーなものじゃありません。そういう気持ちを忘れずに、仕事をしてください」
 といわれた。その言葉の真の意味をお尋ねする前に、その方は身まかってしまわれたので、私がその意図をきちんと理解できているかどうかは疑わしい。

 そうするうちに、小説家のことをそのまま、作家と称する出版界の傾向もあって、私もいつの間にか作家と呼ばれるようになり、この大先輩の言葉の真の意味を考える機会も減ってしまった。今にして思えば、おそらく、<小説家>という言葉には、<小説を書くことを生業としている者>という意味以上のものは含まれないが、<作家>にはそれ以上の社会的意味が含まれている――というようなことだったのかも知れない。既にご本人は亡く、推測の域を越えないけれども。こんなことなら、もっと早く、ご本人にお尋ねしていればよかった。

 さて、<モノカキ>という言葉である。この言葉には、ある種の臭みを感じる人も多いようだ。些か、気取って聞こえる、という人もいる。しかし、私が、未知の人に職業を訊かれてこう応じるとき、全くそんな意識はない。別段、筆一本で生きてるんだ、みたいな覚悟をその言葉に込めているつもりもない。むしろ逆で、
「いやあ、マトモに勤めもせずに、モノを書いて暮してるんですよ……」
 という卑下とまではいわないまでも、そういう、ま、思いを込めているわけである。

 私は、これに似た表現に、<ブン屋>という言葉があると思う。新聞記者が、こう自称するとき、少しへりくだった意味が発生する。私は、「新聞記者でござい」といわれるよりは、こっちのほうが好きである。「プランナーですよ」「アドマンですよ」よりは、「広告屋ですよ」のほうが好きだ。また、弁護士さんなんかも、ご自身のことを「社会正義と人権を守る弁護士だ」と考えているより、「俺は三百代言だ」と考えているほうが世の中は平和なように思える。

 あまり杓子定規に考えるのもおかしなものだが、我々自由業者は、勤務先とそこでの役職――といったような分かりやすい肩書きがないゆえ、ついつい色々と考えてしまうのかもしれない。
 
[ 2010/04/11 23:06 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

侍ニッポン

 与謝野元財務大臣平沼元経産大臣を中心とする新党は<たちあがれ日本>という名前になったという。これは、新党の応援団だとかの石原慎太郎都知事のアイディアによるものらしい。うーん、まあ、私は、未来永劫この党に投票することはないだろうから、そういった相手の名前に対してどうこういうのは野暮だけれども、あまりゾッとしない名前である。ただ、政党史上初の<命令形>の政党名だというところが、命名者の石原知事らしいとは思うけれども。

 ところで、朝日新聞電子版の報道によると、党名を決める際に、藤井孝男元運輸大臣は、<サムライ>を主張したということである。ほかのメンバーは<日本>という言葉を付け加えることにこだわり、これだと<サムライ日本>になる。かつて似たタイトルの流行歌があったということで、この案は退けられ、石原知事が主張した<たちあがれ日本>が採用された、という流れらしい。

 このニュースを読んで、私は大笑いしてしまった。藤井さんには申し訳ないけれども、とてもではないがマトモな人の発想ではないと思った。藤井さんが主張した名前によく似た歌謡曲というのは、1931年(昭和6年)にビクターから発売された西条八十作詞、松平信博作曲の「侍ニッポン」のことである。これは、同年4月に、郡司次郎正が『大衆文学』5月号に発表した小説「侍ニッポン」を日活が映画化した際に、その主題歌として作られ、徳山がレコードを吹き込んでいる。

 「侍ニッポン」の主人公は新納鶴千代といい、大老井伊直弼が芸者に産ませた日陰の子である。彼は、勤王派に加わって孤立したり、佐幕派と交わったりしながら、激動の時代の波に弄ばれ、やがては桜田門外で、実父・井伊直弼を襲撃することになる。鶴千代は、その生い立ちもあってか、一貫して、ニヒルな浪人として描かれている。激動の幕末にあって、彼にとっては、勤王派と左幕派の激しい闘争など、無意味なものにしか見えないのである。

 昭和6年という年は、金融恐慌の余燼がまだまだくすぶり、都市部には失業者が溢れ、農村部では娘の身売りが大きな社会問題になっていた。日本全体が巨大な社会不安に苛まれていた時代である。

 こういう時代には、軍部がキナ臭い動きをしやすい。三月事件、十月事件の二度に亘り、軍部のクーデター計画が発覚している。桜会や大川周明を中心とする勢力が、クーデターによる軍部主導内閣の樹立を画策していたのである。9月18日には関東軍がついに暴走、奉天郊外柳条湖の満鉄線路を爆破し満州事変が始まる。政府は不拡大方針を決定するが、単なる出先機関に過ぎぬ関東軍はこれを無視、事変は拡大していく。その後の戦時体制の起点になったのが、この年である。

 こういった重苦しい世相にあって、閉塞感や敗北感を抱えていた若者や左翼、インテリ層が「侍ニッポン」の主人公、新納鶴千代のニヒルな生き方に共感し、映画も主題歌も大ヒットしたのである。

 さて、では何故、私が藤井案に大笑いしたかである。「侍ニッポン」はそういった主人公を歌った曲であるから、勢い、歌詞もニヒリズムを帯びている。著作権の関係もあり、歌詞の全文をここに引用することはできないが、以下に重要なフレーズだけ書き写してみよう。

 <きのう勤皇、あしたは佐幕。その日その日の出来心>
 <どうせおいらは裏切り者よ>
                    (ともに2番)

 どうだろう? 与謝野は郵政民営化法案を取りまとめた人間である。平沼はそれに反対し自民党を飛び出した人間だ。与謝野はリベラルよりの保守であり、平沼は徹底した国家主義者である。思想や政策が違うにもかかわらず、協力して新党を作る。人によっては、これを野合と呼ぶ人もあるだろう。また、民主党の支持率が急落した現況にあって、次期参院選は自民党にとって、<最後の正念場>というべき選挙である。そんな時期に、与謝野らは党を飛び出したのである。

 そういう新党が、もし、

 <きのう勤皇、あしたは佐幕。その日その日の出来心>
 <どうせおいらは裏切り者よ>

 という歌詞を持つ流行歌のタイトルと同じ党名を名乗っていたとしたら、これほど馬鹿馬鹿しい冗談もそうあるものではなかったろう。シャレにならんゾ、という奴である。

 ライトの人というのは、どうも<サムライ>といえば自分、ないし自分の支持者だと脊髄反射的に考えてしまうようだが、「侍ニッポン」を支持した層、すなわち新納鶴千代を支持した層は、決して与謝野平沼新党を支持する層とは重ならない。いや、むしろ逆の立場の人々である。また、郡司次郎正が「侍ニッポン」で描いたものも、与謝野平沼新党的なものではない。新党のためにも、「侍ニッポン」のためにも、<たちあがれ日本>が<サムライ日本>にならなくてよかった、と私は心から思う。

 それにしても、昭和6年は、現在の日本によく似ている。長引く不景気、多数の失業者、幸にして農村部での娘の身売りという事態にまでは陥っていないが、それでも、若い女性が職を求めて風俗に走るケースは多いと聞く。社会不安が蔓延し、国民が閉塞感を抱えている状況が非常によく似ている。

 軍部の暴走にしても、自衛隊の一佐が鳩山首相を揶揄する発言をしたり、三佐がその一佐の発言を擁護するメールを防衛大臣に送ったりする事件が相次いでいる。そのほかにも、尉官が隊内で<首相はいい加減>と発言して、厳重注意処分を受けてもいる。ちなみに、今、日本では100円ショップが大流行である。実は、昭和6年には、高島屋が全商品が10銭均一の10銭ストアを始めているのである。

 歴史は繰り返すというが、私は、この国がまた戦火の中にその身を突進させるのは、何があっても厭である。次の世代に、平和で豊かな国を残す義務が、我々にはあると思う。ひょっとしたら、今がそのための正念場なのかもしれない。      
 
[ 2010/04/09 22:11 ] 政治 | TB(0) | CM(-)

カラオケ

 たまに妻子と4人でカラオケに行くことがある。そういった時に、子供たちが歌うのは、最近のヒットナンバーで、私が知っているのは半分くらいだ。AKB48とか、嵐とかいわれても、メンバーの半数くらいの顔を見分けるのがやっと。思わず「エーケービーよんじゅうはち」とか、「アキバフォーティエイト」なんぞと口走って、子供たちに笑われるのもこんなときである。

 妻は、昔から松田聖子のファンなので、彼女のものを中心に、中森明菜など、当時のアイドル歌手のナンバーをよく歌う。年齢相応の選曲ということになるのだろうが、実は、彼女はかなり歌が上手い。子供たちが生まれる前のことになるけれども、後輩の作家のI君と3人でカラオケに行ったら、妻は採点機で99点を取り、でっかい縫ぐるみの賞品をもらったことがある。聞いてみると、10代の頃、何かのオーディションの地方予選だかに合格したことがあるらしい。むろん、私と出会う前の話なので、私は詳しいことは知らない。

 妻がそれらのナンバーを歌うと、娘がよく、
「昭和の匂いがする」
 と口にする。私にはこれが不思議で、平成も10年になってから生まれた彼女が昭和の匂いを知っているはずもなく、何故、そう感じるのかがよく分からない。ナンバーそのものに、どこかしら郷愁を誘う雰囲気があるのかもしれないが、まあ、この辺りはテレビなどの影響と考えたほうがいいだろう。

 私は英語のナンバーを歌うことが多いのだけれど、娘にはこれが少し不思議に思えるようだ。
「なんで外国の歌ばかり歌うの?」
 などと聞いてくる。実は、これは娘の間違いで、私は英語のナンバーは歌っているけれども、必ずしも、それが海外のナンバーとは限らないのだ。

 最近はカラオケの収録曲も飛躍的に充実してきて、紫の「Double Dealing Woman」や「Devil Woman」まで入っている。むろん、海外のアーティストのナンバーも歌うけれど、私はこういった、日本人による英語のナンバーもよく歌うのだ。沢田研二の「Mon Amour Je Viens Du Bout Du Monde(邦題・巴里に一人)」もよく歌う。これはフランス語だけれども、私のいい加減な発音では、娘には英語との区別はつくまい。

saeada_paris.jpg

 で、娘への返事である。
「パパはさ、昔からロックが好きだったんだよ」
 娘、私のいいたいことがよく分からないらしい。また親爺は何を妙なことをいい出すんだ、といいたそうな顔をしている。
「昔はね、日本語のきちんとしたロックがなかったんだよ」
 こう説明しても、彼女には理解できないようである。当たり前の話だ。今の日本では、テレビのスイッチを入れさえすれば、日本人のアーティストが、日本語できちんとしたロックを歌っている。

 些か余談だけれども、今の若いアイドルバンドですら、演奏テクニックはかつての『ミュージックライフ』誌の人気投票でトップ3に入るくらいのプレイヤーに勝るとも劣らない。いい時代である。それだけ、日本にロックカルチュアが定着したということだから。

 そこで私は説明するのである。かつての日本では、日本語ではロックは成立しない、と思われていたこと。ロックのリズムにきちんと日本語を乗せられるアーティストはほとんどいなかったことなどを。娘、不思議な顔をするばかり。

 私は年齢的に、ロック世代の尻尾に属する。ビートルズ世代にはほぼ10年遅れている。若い頃に中心的に聴いたのは、そろそろミック・テイラーが辞める頃のストーンズや、ヴォーカルがデイビッド・カヴァーディルに、ベースがグレン・フューズに代わったばかりのディープ・パープル、奥さんが日本人だったとかで、ヴォーカルのポール・ロジャースがおかしな日本語でテレビドラマの挿入歌まで歌ったバッド・カンパニーなどのブリティッシュロックである。ザ・フーはあまり好きではなかったが、ギタリストのピート・タウンゼンドは好きだった。晶文社から出た彼の小説集の翻訳も読んでいる。

 逆に、イーグルスやシカゴ、ちょっと毛色は違うけれどエアロスミスなどのアメリカンロック勢は好みじゃなかった。少しだけ気に入っていたのは、ニューヨーク・ドールズくらいか。イギリスのバンドでもイエスとかピンク・フロイドとかのプログレッシブ系は苦手だった。私は、<難しい>ロックは性に合わないのだ。やはり、ギターのリフがよくて、ついつい体がリズムを刻み始めてしまうようなナンバーがいい。

 ところで、では、日本のバンドが今のように日本語でのロックをきちんと成立させたのは、いつのことだろうと考えてみる。はちみつぱいだとか、はっぴいえんどだとかいう声もあるだろう。あるいは、村八分、頭脳警察といったところを上げる人も多いかもしれない。しかし、私は、もう少し時代を上って、サザン・オールスターズではないかと考えている。

 サザンの「勝手にシンドバッド」が出た時の衝撃は忘れられない。当時、私は大学生だったけれども、これが日本語か? と驚いた。あの歌詞は、間違いなく日本語だけれども、彼らは完全に、日本語というものを解体していた。その少し前に、村上春樹さんが「風の歌を聴け」で『群像』の新人賞を受賞してデビューしている。私は、この作品を熱狂的に読んだ。新しい日本語が生まれた、と感じた。<新しい日本語の登場>という意味で、当時の私にとっては、村上春樹とサザン・オールスターズは等価だった。

 サザンの後に続く日本人アーティストたちは、サザンほど日本語を解体せずに、日本語でのロックを成立させている。これは、サザンが行った<日本語の解体>というプロセスを経てこそ成立したことなのではないかと私は考えている。

 とまあ、ここまでのことを娘に説明すると、うるさがられるのがオチなので、簡単に、昔は日本語ではロックは成立しないと思われていたけれど、ロックが日本に定着したから、今では、きちんとした日本語のロックがあるんだよ。パパは昔からのロックファンだから、昔好きだった歌を歌うと、どうしても英語のナンバーが多くなるんだよ、と説明するに留めている。

 で、また、私は英語のナンバーを歌う。そして、妻や娘、倅が採点機で90点台を取るのに、私だけ81点の成績を残して、カラオケボックスの夜は更けていくのである。 
 

[ 2010/04/01 13:19 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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