スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

卒業式

 今日は――いや、日付が更わったから、正確にはもう昨日になるけれども、娘の小学校の卒業式で、私も妻と一緒に出席してきた。親とは愚かなもので、ついつい我が子はいつまでも小さいような気になってしまうが、いつの間にか娘も小学校を卒業する歳になったかと思うと、些か、感慨深いものがある。

 今の卒業式は、『蛍の光』も『仰げば尊し』もなく、私の頃とはかなり違っている。しかし、そうではあっても、思春期前期に入った子供たちの、新しい門出の日だということには全く変わりはなく、あの厳粛な雰囲気には、どこかしら心打たれるものがある。

 娘は、和服に袴姿で卒業式に出た。妻からそうするつもりだと聞いたとき、ひょっとして、そんな恰好で出るのは、うちの娘くらいのもんじゃないのか? と、少し不安になったのだけれど、実際には、ほかにも何人か和服で出席している女の子がいた。私立の中学に進む子は、誇らしげに、その中学の制服に身を包んでいる。それぞれの旅立ち、それぞれの春……。なんだか胸が詰まって、ついつい涙ぐんでしまった。年甲斐もないことである。

 子供を持つということは、命の連鎖を再認識するということでもある。私は、卒業式に臨む娘の姿を見ながら、私の卒業式のことを思い出した。私の母親は小学校の教員であったから、私の卒業式の日は、彼女も自分の勤務先の卒業式である。だから、私の小学校の卒業式には、母は出席していない。

 代わりに、親父が電電公社を休んで出席してくれた。私は、そのとき、初めて彼のネクタイを絞めたスーツ姿を見た。親父は、電電公社に出勤する時は、いつもノーネクタイだったのだ。何故、それが許されたのかはよく分からない。むろん、彼はデスクワークだった。ただ、それがあまり公社に歓迎されていなかったのだろうことは、少し後に分った。親父の学校の後輩が、電電公社に入社して、親父そっくりの恰好で出勤したところ、上司にひどく叱られたというのである。なんで親父はよかったのか、それは今もって分からない。不肖の倅が口にするようなことではないけれども、親父はかなりな変人だった。しかし、私は、そんな親父が大好きだった。いや、違う。彼がみまかった今でも、私は親父が大好きである。

 中学、高校の卒業式にもそれぞれ思い出がある。その頃も母は小学校教員であったけれども、というよりも、母は、死が訪れるそのときまで、現役の教員であったのだが、小学校とは卒業式の日が違うから、私の卒業式に出席してくれた。大学の卒業式は――今でもあるかどうか分からないけれども、卒業式会場になる体育館の前に、噴水のある大きな池があった。当時、うちの大学の学生は、学園祭や卒業式など、何かイベントがあるたびにその池に人を投げ込むのが伝統になっていて、私も、ゼミの仲間に投げ込まれた。池の水はまだ、冷たかったなあ。今では統率力やリーダーシップ、人徳なんぞというものとは全く無縁の生活を送っているが、当時の私はゼミ長だったのである。そういえば、小学校時代はずっと級長(死語!)だったし、中学の頃は、副生徒会長だった。まさに、隔世の感を覚えるのみ。

 袴姿の娘を見ながら、私はそんなことを思い出した。そして、延々と続く命の連環の中に、私と娘が存在していることを強く実感し、幸福な気分になった。

 卒業式の後は、家にいた倅も呼んで(卒業式には在校生は5年生しか参加できないのである。従って、2年生の倅は、一人で家で待っていたのだ)、一家4人で昼飯を食した。娘があまりにたくさん食べるから吃驚した。「朝からなんにも飲んでなーい」なんぞといいながら、オレンジジュースを一息で飲み、2人前のメニューをいっぺんに食べた。おそらく、彼女なりに、卒業式で緊張していたのだろう。娘にとって、素晴らしい経験になったろうと思う。

 食事の後、友達と集まる予定があるとのことで、娘は我々と別れ、一人で待ち合わせ場所に向かった。仲がよかった友達の何人かは、娘とは違う中学に進学する。彼女にとって、生まれて初めての別れ、というものになるのかも知れない。環境が変わっても、友情は続いて欲しい。いや、環境が変わるからこそ、より友情を深めて欲しいと思う。

 4月からは娘も中学生だ。小中一貫教育で、中学1年生とはいわずに、7年生と呼ばれるところが私には些か違和感があるけれども、まあ、中学に進学することに違いはない。娘にとって、今までとはまた違った、新しい春になることだろう。今よりももっともっと多感になるだろうし。娘よ、若い日々を、思いっきり生き生きと楽しんで欲しい。笑うことも、泣くこともあるだろう。嬉しいことや辛いこと、様々な感情を持つだろう。あるいは、それらを苦しく思うことがあるかも知れない。しかし娘よ、それが生きるということなのだ。人生の喜びというものなのだ。父は、君がその小さな体いっぱいに、人生を感じながら、生き生きと、溌剌と、日々を過ごしてくれることを祈っている。そして、今日という日のことを、いつまでも忘れずにいなさい。新しい旅立ち、そして、仲のよかった友達との、別れの日のことを。

 卒業、おめでとう。 
スポンサーサイト
[ 2010/03/25 02:07 ] 親ばか | TB(0) | CM(-)

東京大空襲

 今日は3月10日。65年前――1945年の今日、東京大空襲が行われている。下町一帯は一夜のうちに焦土と化し、10万を越える都民が犠牲になった。加えて、多くの戦災孤児を生み、戦後の彼らの人生に大きな影を落としてもいる。

 元々、当時の日本では3月10日は陸軍記念日であった。1905年のこの日、日露戦争を闘っていた帝国陸軍は奉天会戦に勝利し、奉天(現在の瀋陽)に入城を果たしたている。これを記念して、帝国政府は、翌1906年から3月10日を陸軍記念日としたのである。

 米軍がこの日を東京大空襲決行日に選んだのは、戦勝を記念する日に大打撃を与えることで、日本人の士気を挫き、厭戦気分を醸成するためだったとも言われている。

 東京大空襲作戦を立案したのは米陸軍のカーティス・ルメイ少将(当時)だったが、彼は同作戦を発動するに当たり、
『東京を地図上から消滅させる』。
 と発言している。彼はどうも残忍なレトリシャンであったらしく、後に米空軍参謀総長に就任して、ベトナム戦争での北爆を計画したときには、
『北ベトナムを石器時代に戻してやる』
 と発言したともされている。まあ、実にアメリカ人らしい軍人だというべきか。ジョン・ウエインが西部劇で口にしそうな台詞である。

 いずれにしても、近代国家になったばかりの日本が、大国ロシアとの戦争に勝ち、世界の5大国に名乗りを上げるきっかけとなった日を祝った3月10日は、そのときから数十年を経て、国民が等しく哀しむべき忌日となったわけである。まさしくこれは、歴史の皮肉と言うべきであろう。

 さて、東京大空襲を巡る歴史的皮肉は、実はもう一つある。同作戦の立案者であり責任者であるルメイは、1964年、日本政府から勲一等旭日大綬賞を受けているのである。自衛隊の育成・指導に貢献した功績が大きい――という理由である。

 つまりはカーティス・ルメイは日本政府にとっては、首都を瓦礫と死骸と、悲哀と慟哭の都に変えた張本人であるとともに、戦後日本の安全保障に大きく貢献し、国を守った人物でもあるということだ。

 これは歴史の、民族の皮肉である。しかし、戦争とはそんなものだ。その程度の愚なるものである。従って私は、徹頭徹尾、反戦の立場を貫きたい。広島・長崎の原爆に比べて、東京大空襲は語られる機会が少ないように、私は感じる。首都の悲劇を次の世代に伝えていくのは、今の時代を生きる我々の義務だと思うのだが
[ 2010/03/10 16:10 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

ツイッター

 昨日は久方ぶりに暖かかったのに、今日はまたひどく寒い。予報によると、明日の東京は最高気温が20度を越えるそうな。三寒四温という言葉はあるけれど、これでは一寒一温で、気分が落ち着かないこと夥しい。早く本格的な春になって欲しいものだ。私は、基本的には秋や冬が大好きなのだが、どういうわけか今年は春が待ち遠しくてしかたがない。心が弱っているのだろうか? いけませんね。

 ところで、昨日、仙石、前原、原田の3大臣が参院本会議に遅刻したことをきっかけにして、政治家のツイッター使用が話題になっている。そこで試しに、私もツイッターに登録してみた。私の〈つぶやき〉のアカウントは、

@matsuikei

 である。お暇なときにでもぜひ、覗いていただきたい。

 ただまあ、登録してはみたものの、まだ、どういう使い方をすると価値があるのか理解できてないのが実状である。しばらくは騙し騙し、やってみようとは思うけれども、なかなか難しそうだ。私はふだん、あまり〈つぶやく〉習慣もないし。というか、人間というものは、本来はあまりつぶやいたりはしないですよね。

 私の小説作品などでも、時折、

『俺が勘違いしていただけかも知れない……』
 雄策はハンカチで首筋の汗を拭いながら呟いた。

 なんぞと表現することがある。しかし、これは作中人物の心理を描写するための便宜的表現である。つまりは、小説特有の表現法であって、現実には人間は、あまりこういう形でつぶやいたりはしないものである。まあ、ツイッターを使ってみるに当たって、あまり〈つぶやく〉ということに拘泥っても仕方がないとは思うけれど。

 『週刊文春』の先週号に載った井上トシユキさんの記事などを見ると、どうやらこのツイッター、中高年層に利用者が多いらしい。その理由が那辺にあるのか、私には解らないけれども、中年ということで言えば、私も間違いなく中年男だから、使っているうちにだんだん面白くなってくるのかも知れない。

 それにしても、政治家というのはヒマなのだろうか? 今日、登録後にツイッターでの発言を見ていたら、参議院議員の某と某の2人が、極めて頻繁につぶやいているのを見つけた。つぶやきだから、大した内容を期待するのも野暮というものだけれど、それでも、政治家たるものが、なにゆえあって、あんなに内容のないことを頻繁につぶやきたくなるのか、その点だけは私の理解の外だ。
[ 2010/03/04 14:11 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
来訪者数
松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

メールフォーム
松井計への仕事のご注文は、松井計事務所にご連絡ください。下のアイコンをクリックすると、メールフォームが開きます。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。