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国会議員の言語感覚

 政権交代が実現して、国会も多少は様変わりしたかのように見える。官僚に答弁させずに、閣僚がすべての答弁を行うようになったことなどがその一番、大きな事例だろう。私はこれはよい変化だと思っている。しかし、そうではあっても、国会での議論の内容となると、これはもう旧態依然というほかない。今、しきりに騒がれている金と政治の問題など、攻守ところを変えただけで、もう何十年も同じことをやっている。我々国民は、こういうことの改革をこそ望んだのではなかったか。

 しかし、まあ、〈新政権〉の最高実力者が小沢一郎氏であるかぎり、こうなるのは当たり前だとも言える。小沢氏は田中角栄の手腕を最も学んだ政治家だそうな。前回の衆議院選挙での民主党の大勝も小沢氏の角栄譲りの選挙戦術が大いに威力を発揮した結果だろう。それならば、小沢氏が金の問題にクリーンな政治家ではないこともまた、折り込み済みのはずではないか。角栄の選挙戦術は譲り受けたが、その金権体質は受け継がなかった、なんぞということがありうるものか。

 いずれにしても、小沢的手法は旧いのだ。旧くて旧くてたまらないのだ。昨年末、子飼いの若手議員をゾロゾロ引き連れて訪中する映像を見た。今年になってからは、世田谷区内の自邸に多数の国会議員を参集させて開催した新年会の映像を見た。私は、チャンネルを間違えて、昭和2~30年代の旧いニュースフィルムを見ているのかと錯覚しそうになった。私は、小沢氏のこのような感覚が耐えられない。私が政治について、最も嫌うものの一つである。

 また、国会を見ていてもう一つ感じることがある。国会議員諸氏が使う日本語のいやらしさ、内容の空疎さだ。たとえば、政治家の間では今、〈最も力を入れるべき政策〉のことを〈一丁目一番地〉と表現する。洒落たレトリックのつもりかも知れないが、私はこれを聞くたび、こちらが恥ずかしくなり、歯が浮くような不快を感じる。もっとマトモでフツーの日本語で表現する気にはなれないものか。もう一つは、野党が新政権を批判する際の、『これでは〈政権交代〉ではなく〈政権後退〉だ』というレトリック。まあ、ザブトンを一枚上げてもいいけれど、政治家なら〈うまいことを言う〉ことばかり考えずに、中身のある議論をしましょうよ。個人であれ組織であれ国家であれ、言語の貧困から痩せていくのである。私はモノカキゆえ、現今の政治家の言語的退廃は、すでに危険水域にまで達しているように思えてならない。
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[ 2010/01/28 18:50 ] 政治 | TB(0) | CM(-)

親父の言語美学

 今年は寅年である。今週の土曜はうちの娘の誕生日なのだが、彼女は平成10年――寅年の生まれだから、初の年女ということになる。もう12歳か。早いものだ。ところで、実は私の亡父も寅年。生きていれば、84歳である。彼は、昭和元年と重なる大正15年に生まれ、昭和の最終年、64年と重なる平成元年にみまかったから、昭和とともにきて昭和とともに去った男である。その意味で、私にとっての昭和史とは我が親父の人生そのものでもあるわけだ。

 さて、その親父が生前、ひどく嫌がった言葉がある。一つは〈現場〉で、もう一つが〈文化人〉だ。父の妻――こういう気取ったつもりの持って回った表現はプロの文筆家としては厳に避けるべきですね(笑)、ま、私の母である――は、教員だった。その母が家族で飯を喰っているときなどに、
『学校の現場では――』
 なんぞと口にすることがよくあった。そういう時は、彼女は教育委員会や文部省(当時)は学校のことを分かっていない、といったような愚痴を言いたいのである。すると、父がこれをひどく嫌がるのだ。学校を〈現場〉と表現することを。
『君んとこの学校は改築工事中か?現場というのは工事現場のことで、最前線や第一線をなんでもかでも現場というべきではない』
 というのが彼の意見だった。これはほかの職業についても同じで、とにかく〈第一線〉を〈現場〉と表現することを親父は嫌った。〈現場〉という言葉の定義が親父が言った通りなのかどうかは、私にはよく分からない。しかし、彼の言語美学的には〈工事〉を伴わない〈第一線〉を〈現場〉と呼ぶ感覚が受け入れがたかったのだろう。

 〈文化人〉のほうはもっとハッキリしていて、
『何をやっているのか分からない表現をするな。小説家なら小説家、音楽家なら音楽家、学者なら学者とハッキリ言えばいいじゃないか』
 ということだった。つまりは、〈文化人〉という言葉が、内容がない上に妙に気取って聞こえたのだと思う。ただ、これには少し時代的背景も考慮する必要があるだろう。当時は長嶋茂雄氏が読売ジャイアンツの監督を解任されて、定職につかず浪人生活を送っていた時代である。そこで各メディアが仕方なくというかムリクリにというか、〈長嶋の文化人活動〉などという表現を使っていた。親父としてはそういう風潮が気に入らない、ということもあったのだろう。

 彼が今、生きていれば、かなりの〈頑固爺さん〉になっていたろうなあ。そんな親父を見てみたかった。
[ 2010/01/11 18:52 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

面白いなあ

 最近報道されたニュースについて、どうしても物申したいことがあるから、今日はそれを記す。

 まず、今年は国がやることになった年越し派遣村。就職活動のための資金として2万を支給したところ、その金で酒を呑んだり、金を持ったまま施設に戻ってこない人が何人もいるとのことで大騒ぎである。これに対する意見は、概ね、その金は税金から出されているわけでひどい話だ、というところに落ち着いているようである。

 まあ、それは間違いではあるまい。国から〈ある目的〉を限定して支払われた金を、別目的に使うのがいいとは私も思わない。ただ、ここで考えておかなければならないのは、〈たかだか2万くらいの金で逃げないといけない人がいる〉という現実である。私もビンボーなことでは人後に落ちぬが、ま、それでもたかだか2万の銭では逃げませんよ。

 私はこのニュースを、自宅で酒を呑みながら聴いた。そんな男に、いかなる事情であれ〈酒を呑んだ〉ということを理由に他者を批判する権利がないのは自明のことである。確かに、公費を無駄に使われるのは困る。金を持って逃げるのもよくない。しかし、それを理由に弱者を非難すればよいというものではない。今回のことで言えば、国のシステム、都のシステムを再検討する必要が、まずあるだろう。公費を無駄にしないためにも、そういう姿勢は必要である。そうではなく、自分よりビンボーな奴を非難すれば事足りるという姿勢は、ビンボー人のガス抜きに過ぎぬ。

 次に貴乃花親方が相撲協会の理事選に出馬するために、二所一門を離脱したニュース。まあ、改革派貴乃花の気持ちはよく分かる。若さからくる情熱も高く評価したい。しかし、彼は確かに大横綱ではあったが、親方としては駆け出しも駆け出し、あれほど華やかだった二子山部屋を継承しながら、関取はゼロ、取的しかいない部屋の親方である。相撲協会の改革も必要だろうが、まずは自分の部屋を固めることから考えてはどうか? 今回の彼の行動は、例えてみれば、昨日一昨日デビューしたばかりの無名の新人さんが、日本の文芸界は改革が必要だから、俺は文藝家協会の理事になる、と言っているのと同じことのように私には見える。貴乃花よ、まずは関取を一人作ってくれ。私はそれが見たいよ。

 それにしても、財団法人の理事選が〈一門〉なんぞという非近代的システムを元に行われているのも恐ろしい話だ。こんなのは貴乃花の出馬を待たずとも、文科省が改革できるはずなのだが……。
[ 2010/01/09 08:08 ] 日常生活 | TB(1) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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