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大晦日

 あと8時間もすれば今年も終わりである。部屋の大掃除も含めて、年内にやらなければならないことはすべて終えたので、あとはもう、テレ朝のビッグダディや魔裟斗の引退試合、唐突に紅白に出ることになったスーザン・ボイルなんかをテキトーにザッピングしながら眺める以外は、年内は何もやることがない。なんだか久方ぶりにのんびりした気分である。

 ところで、私はテレ朝のビッグダディが存外、好きである。ご存知ない方のために少しだけ説明しておくと、各局がこぞってスペシャルでOAしている大家族モノの一つである。大家族モノというのは総じて、辟易したりイライラしたりするものだが、ビッグダディだけは驚いたり呆れたり、笑ったりしながら楽しく見ることができるから不思議だ。

 つまるところ、これは登場するキャラクターの問題だということなのだろう。ハッキリ言えば、ほかの大家族モノの登場人物とは間違っても友達付き合いはしたくないし、もし彼らがご近所に住んでいたら、私はそれだけでも迷惑に感じるかも知れない。しかしビッグダディとなら、いっぺん経堂か三宿辺りの小体で静かな居酒屋で、一緒に酒でも呑んでみたいと思う。

 むろんこれは液晶画面を通じてのイメージである。テレビ局や制作会社の制作姿勢が、私の感覚にフィットしたということなのかも知れぬ。では何故、そう感じるのかを私なりに分析してみると、ビッグダディには他の大家族モノにありがちな〈暴力的イメージ〉が薄いからかも知れない、と思い当たった。ここでいう〈暴力的イメージ〉〈暴力性〉とは、『フーテンの寅さん』を観て感じるそれと同等の意味である。

 ほかには元日に、これもまたテレ朝でやる『相棒』の2時間スペシャル「特命係西へ」以外は、これといって見たいテレビ番組もないから、正月もいつも通り、本を読んで過ごすことになりそうだ。『相棒』はシナリオにツイストが効いているし、特に今シーズンは今までタブー扱いされていたようなテーマも扱っていて、私はこのドラマの大ファンである。

 2日には、娘と倅を、箱根駅伝を見せに連れて行ってやりたいのだが、これはまあ、子供たちがイヤがるだろう。子供が見て面白いものとも思えない。なので、ま、実現しないでしょうな(笑)

 ということで読者諸賢よ、今年も1年、ご愛読ありがとうございました。。新年もまた、宜しくお願い申し上げます。明年が皆様にとって、実り多い1年でありますように。よい年をお迎え下さいませ。
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[ 2009/12/31 15:34 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

ちょっとイヤな感じがする

 今日報道された2つのニュースに触れて、少しイヤな感じがした。今はただ単に漠とした〈イヤな感じ〉を覚えるだけだが、この状況が長く続けば、我々が住むこの国は危険水域に入るのではないかと不安になった。

 ひとつは某版元の児童雑誌が〈読者からの指摘〉を受けて販売を中止したという報道。その指摘というのが〈爺さんが子供の前で煙草を吸うシーンが四カ所ある〉ということだそうな。それが子供に喫煙を奨励しているのではないか、というのがこの読者の主張だということである。いっておくが、この〈読者〉は児童ではない。小児科医で、待合室か何かに置いておくために当該雑誌を購入している人である。

 で、某版元はこの〈読者〉の指摘を受け入れて雑誌の販売を中止。子供の前で煙草を吸うシーンを著者に書き直させた上で、改めて刊行するそうな。よろしいか? 子供に煙草を吸わせているのではないのですよ。いい年をした爺さんが煙草を吸っているんです。子供たちは煙草を吸いながら話す爺さんの話を聴いているだけ。さて、これをどのようなムリをして読めば〈子供に喫煙を奨励している〉ということになるのか。ノイジーマイノリティの主張に、言論機関が簡単に応じるようになったら、その国の民主主義などは終わりである。この道はいつか来た道、そうだキノコ雲が咲いてた…である。

 こういう問題でコワいのは、指摘した読者も指摘に応じた版元も〈正しいことをした〉と疑っていない点である。〈正義〉とは元々、暴走しやすい性質を持っている。だからこそ、正しいことを行うには悪いことをする以上の冷静さが必要なのである。今回はそれが欠けていたのではないか? 少なくともこれはファシズムの第一歩である。

 もうひとつは元光ゲンジの赤坂某が執行猶予中にもかかわらず、また覚醒剤で逮捕されたニュース。覚醒剤から抜け出すことの難しさ、覚醒剤の怖さを痛感した。ノリピー事件が最近、美談になりかけていたところだったので、特にそう感じた。ところが某テレビ局だけは、赤坂のことを〈元光ゲンジの〉と言わず、〈元アイドルグループの〉、と曖昧に誤魔化すのである。これでは光ゲンジが所属していて、今でも芸能界に強力な力を持つという芸能事務所への遠慮と考えるしかないじゃないか。報道機関がこうなったら終わりである。ニュースなんか作るのはもう止めたほうがいい。この2つのニュースは私には言論の危機にしか見えぬ。だからこそイヤな感じがするのだ。
[ 2009/12/29 20:56 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

年末

20091226015222
 日付が更わって12月26日になった。今年1年もそろそろ終わりか。いやあ、今年はなかなかハードな1年でしたよ。特に仕事の面で。しかし、そんな年ももうじき終わる。潮目もいっぺんに変わると信じたい。

 ま、それはそれとして、先週、なんとかかんとか長編小説を脱稿したので、今は多少、気が楽である。この作品については、追って詳細を本ブログでも記したいと思うが、私としても新しい展開の一つのつもりなのである。

 今宵は仕事を終えた後、本を読みながら自室で一人、ゆっくりと酒を呑んだ。なんとも至福の時間である。こういう時間があるから、人間はなんとか生きていけるのではないかと思った。

 しかし、読んだ本というのが島田一男、小林信彦、岡本綺堂、ジョン・アップダイクだということになると、その選択の支離滅裂ぶりを呆れられても仕方がない。まあ、面白い本を楽しく読む――それが読者の基本と思う故、これでいいと思っている。

 読者中というか飲酒中というか(笑)には、ヘッドフォンをつけて音楽を聴いた。それほどガタガタのマンションに住んでいるわけでもないので、特にヘッドフォンを使わなくても隣室に迷惑になるということはないのだろうが、『ひょっとして、隣に聴こえてうるさいのではないか?』と気になるのがイヤなので、音楽を聴くときは、最初からヘッドフォンを使うことにしているのである。

 聴いたのはストーンズを中心とするロック。私はティーンエイジャーの頃からロックファンだけれども、若い頃は、まさか50を過ぎてもまだ、ロックを聴いているとは想像もしていませんでしたよ。むろん、60代も半ばになったキース・リチャーズが現役でギターを弾いているなんてことも想像がつかなかった。いや、いい時代です。こうなったら爺さんになってもロックを聴いていようと思う。

 ところで、私は今、会いたくて仕方がない人がいる。が、双方のスケジュールの都合がつかず、なかなか会う機会が作れない。会えれば話してみたいこともたくさんあり、有意義な時間になると思うのだが……なんとか年明け早々にでも実現したいものだ。

 さて、と。明日は倅に焼き肉屋に連れていけと言われている(彼は、『肉』というと異様に反応するのである(^_^;))。あと、もういっぱいだけ呑んで、そろそろ明日に備えて寝ることにしよう。
[ 2009/12/26 01:49 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

個人情報

 年末になり、そろそろ来年度版の改訂作業に入る時期なのか、ここのところよく、新聞社その他から、各社が作っている人物データベースの掲載プロフィールを更新して返送するように記した書類が届く。

 先日も某新聞社と、文藝年鑑のデータ更新の書類がきたので、チェックして返送したばかりなのだが、今日も一件、同じような書類が郵送されてきた。と、ここまで書いて、あれ、今日は日曜なのに郵便の配達があったのかな?と思って確認してみると、クロネコメール便だった。

 最近、経費削減のためもあってか郵送ではなく、メール便にするところが増えましたね。いいことだと思うが、まあ、些か不便もあり、各版元から送っていただく雑誌など、郵送の頃は発売日当日に届いたのに、メール便になってからは翌日になることが多い。メール便は通常の宅配便と違い、翌日配達は保証していないのですね。

 話が横道にそれてしまった。データベースである。早速、チェックしてみたが、新刊などはすべて先方で更新してあるのであまりいじるところもなかった。

 ただ、数年前から、この手の人物データベースは、各項目について、掲載される人物が、公開の可否にチェックを入れて送り返すようになっている。個人情報保護法の影響だろう。

 さて、そうなるとちょっと迷ってしまった。どの項目を公開可とし、どの項目を不可とすればよいのか、判断がつかないのだ。

 むろん、私も個人情報のすべてを一般に詳らかにするつもりはない。しかし、かといってデータベースに掲載されているような基礎データ――生年月日、出身地、出身校、住所、著書、経歴など――のうち、何かどうしても非公開にしておきたいものも見当たらない。

 よくよく考えてみたら、以前はデータベースに登録された情報は公開が原則だったわけで、それで何か不都合が生じたこともない。

 そこで今回は、〈すべて公開〉にチェックを入れて、さきほどネタ出し散歩に出かけたついでに投函してきた次第。

 個人情報の問題については、今、様々なところで、色んな問題が起こっているようである。中には過剰反応もあって、学校などで連絡網の電話番号を在校生の間でも非公開にしたり、甚だしきは卒業アルバムの写真に名前を入れないケースもあったと聞く。それは明らかに過剰反応というべきだろう。

 しかし、ま、それはそれとして、昔の言い方をするなら、文士、芸人、政治家は基礎データ程度は、一般に公開すべきだと私は考えている。
[ 2009/12/13 22:36 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

人形佐七

 ここのところ、横溝正史さんの『人形佐七捕物帳』をまとめて読んでいる。今までも『佐七』は光文社時代文庫の一巻ものや、角川文庫から出ていた傑作選集全3巻ほかで読んではいたのだが、今回、やっと春陽文庫版全14巻が読めるようになったのである。

 とはいえ、新刊本での入手はなかなか難しく、古書店でもあまり見かけないから、図書館を利用することにした。検索してみたら、世田谷区立中央図書館の書庫に、全巻が揃っていることが分かった。そこで、早速、予約して借り出してきた次第。

 ところで、私は図書館とはこういうふうに利用するものだと考えている。読書諸賢にも、新刊(新刊書店で入手できる本)は図書館で借りて読むのではなく、できるだけ購入していただき、それと合わせて、なかなか新刊の入手が難しい本も図書館を利用して読んで欲しい。そうすれば、出版文化そのものも痩せなくてすむし、個人としての読書文化も豊かになると思うのだが、いかがだろう?

 さて、横溝さんが捕物帳を書き始めるとき、岡本綺堂の『半七捕物帳』を強く意識したことはよく知られている。横溝さんの捕物帳の第1作目は、謎の浪人を探偵役に据えたものだが、これは岡っ引きを主役にしたのでは『半七』を超えることはできない、と考えてのことであったそうな。

 が、それが必ずしも成功せず、次作として岡っ引きを主役とした『佐七』の登場となるのである。この『人形佐七』という名前にしてからが、『半七』シリーズの中の1作「津の国屋」に出てくる若い岡っ引きの〈人形常〉にヒントを得たものである。

 だから、『佐七』には至る所に『半七』へのオマージュが出てくる。「三河万歳」のように『半七』のシリーズと同じタイトルのものも多いし、「梅若水揚帳」の最初の小見出しである「春の雪解け」も半七の中の1作にタイトルとして使われたものであ。また、同作の雪だるまの中から裸の死体が出てくるエピソードは、明らかに『半七』の「雪達磨」へのオマージュである。

 それはむろん、横溝さんが『半七』を模倣しているということではない。むしろ逆で、同じタイトル、テーマをわざわざ違った形で扱い、
『私ならこうやりますよ』
 と主張しているわけであって、まさにこれは『半七』や岡本綺堂への愛情溢れるオマージュである。そういうことを考えながら読むのも読書の醍醐味の一つだろう。

 今週いっぱいは、仕事を終えた後、いっぱい呑みながら『佐七』の世界を楽しみたいと思う。
[ 2009/12/10 00:17 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

キーボード

 うーむ、また、仕事用のPCのキーボードがイカれてしまった。仕方がないので、事務所近くのヤマダ電機東京本店にキーボードを買いに行く。

 私の仕事用PCは、おそらくは臨終間近だと思われるかなり旧いものなのだが、これで原稿が打ち続けられる限り、私は使い続けるつもりでいる。

 昔の文士が原稿執筆用の万年筆に愛着を持ったように、私は、PCほか私の執筆を支えてくれている道具に愛着を持ち、使える限り使い尽くしたいのである。

 とはいえキーボードだけを変えたのは、今度で5回目である。これは私がキーボードを酷使し過ぎているということなのだろうか?

 そういえば……私は、出先などでたまにインターネットカフェに入ることがある。そういうとき、店の兄ちゃんが、
『すみません。もう少し静かにキーボードを叩いてもらえますか』
といってくることが、よくある。

 私は普段通りの打ち方をしているだけなのだが、人に迷惑をかけているとすると申し訳ないから、
『あー、すみません。気をつけます』
 と詫び、意識的にカチャ、カチャ、カチャ、と穏やかに打つことになる。

 事務所で仕事をするときには、そんな気配りをする必要はないから、遠慮なく、私のやり方でキーボードを叩く。その結果が、5回目のキーボード使用不可、新キーボードの購入である。

 考えてみれば、私の両手の中指は慢性的に、かなり腫れている。ここ何年も腱鞘炎を患ってもいる。

 うーむ、その辺りを総合的に判断すると、どうやら〈私のキーボードの打ち方は穏やかではない〉という話になりそうだ。これは改善の必要があると思う。

 でも、このやりかたが、私の原稿執筆のテンポにマッチしていることもまた、厳然たる事実なんですよね。難しいなあ。
[ 2009/12/07 01:00 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

学習雑誌の衰退

 先日、小学館の『小学五年生』と『小学六年生』が廃刊になると発表されたばかりだが、今日は学研の『学習』と『科学』の廃刊が発表された。学習雑誌は難しい時代を迎えているということだろう。

 こういう報道があると、すぐに『少子化の影響』という声が聞こえてくるが、学習雑誌の衰退についてはそれが主たる理由とはいえない。むしろ『時代の役割を終えた』といったほうがより実相に近いだろう。少子化とはいえ、日本は先進国ではアメリカの次に、毎年、生まれてくる子供の数が多い国である。しかも、子供に使う金は昔とは比較にならない。なんでもかでも少子化に逃げてはいけないはずだ。

 『学習』『科学』は最盛期には600万部発行されていたという。これは、書店を通して販売するのではなく、学校などを通じて直販の形を取っていたからこそ成立した数字である。

 独自の流通ルートを作ったからこそ『学習』と『科学』は紙製以外のすぐれた付録をつけることができた。通常の流通ルートでは、当時は国鉄を使って全国へ雑誌を運ばざるを得ず、国鉄の規定で付録は紙製の物しか扱えない時代があったわけである。

 独自の流通ルートゆえ、『学習』『科学』はその規制から自由だった。だからこそ、プラスチック製の物も含め、本格的な付録をつけることが可能になったのである。私も子供の頃、『学習』『科学』の両方を購読していたが、特に『科学』のほうの付録はいつも楽しみだった。付録目当ての購読だったといってもいい。

 日本はまだまだ貧しく、子供の玩具も豊富ではなかった。『科学』の付録は我々、当時の子供にとっては夢のような楽しい玩具でもあったわけだ。ほかの少年雑誌の付録は紙製のチャチな組立付録である。それですら楽しかったのだから、『科学』の本格的な科学玩具が楽しくないはずがない。

 その後、日本は豊かになった。あの素晴らしい『科学』の付録の科学玩具も、今の子供たちには、それだけではさほど魅力的に映らないのだろう。

 『小学●年生』についていえば、勉強とエンタテインメントが共存する形式は、今の子供たちには受け入れられにくいということなのだろう。

 しかし、明らかに『小学●年生』や『学習』『科学』が子供文化のメインストリームだった時代があった。それは〈旧き佳き時代〉でもある。これらの雑誌には私は感謝の言葉を贈り、その歴史的役割を終えたことに、お疲れ様でした、といいたい心境なのである。
[ 2009/12/03 23:45 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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