スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

対談本刊行中止の顛末

taidan.jpg

 元々、夏は弱いほうなのだが、ここ数日、極めて体調が悪い。身心ともに、疲労が濃く、体がだるくて仕方がない。昨日から新しい小説のプロットを作り始めているのだけれども、なかなか頭が働かない。困ったものだ。しかし、我々自由業者は、仕事ができなくなったら、直ちに飢え死にである。そうなるわけにはいかないから、疲れ果てた体に鞭打つほかない。

 先ほどまで、少し体を休めて、頓挫した対談本のゲラを読んでいた。金森重樹君と私の連名でアスコムから出す予定だった対談本である。この本については、既報のとおり、再校まで終わっていたのに、結局、刊行が中止になった。金森君のエージェントと、アスコムの担当者から聞いた話だと、刊行中止は<金森君の強い意向>とのことである。

 ざっと読んでみて、決して悪い本ではない。むろん、形式が対談本であるし、単著ではないから、私にとっても、金森君にとっても代表作になるようなタイプの本ではない。しかし、充分に読者の要望に応える内容だと、私は思う。それはそうだろう。最後の最後まで、エージェントもアスコムも、この本を出したがっていたのだから。

 実は、私が仲間内での集まりのときなどに、よく話す、教育を巡る、ある感動秘話がある。私の母の教え子のエピソードだ。その話を聞いた仲間からはよく、
「松井さん、それ、身内だけに話すのはもったいないよ。あんたはモノカキなんだから、どっかに発表しないと」
 といわれたものだ。そのエピソードも、この対談本で、初めて公にするつもりだった。

 まあ、対談本であれなんであれ、共著である以上、片方の著者が刊行を渋り始めたら、なかなか世に出すのは難しい。しかし、普通の常識ある人間なら、共著であるからこそ、相手に迷惑をかけないように、自分勝手に刊行を中止したりはしないものである。

 それでも、どうしても出したくない、というのなら、本人が、きちんと私に事情を説明するべきだ。で、自分の意向で私に迷惑をかけるわけだから、その部分については、虚心坦懐に詫びればいいではないか。

 菓子折でも持って、私の事務所に詫びにくれば、私は、会ってきちんと話を聞く。それで双方が納得してこそ、大人のビジネスというものだろう。

 なのに、あたかも、私が関っていようがいまいが、そんなことは預かり知らぬ。自分で刊行の中止を決めるのは当然のことだ、とでもいうかのように、私は一切無視されているから、哀しくもなるし、腹も立ってくる。

 金森君のエージェントから、理由らしきものは聞いている。いわく、この対談本の進行中に、金森君がほかで出した本が、彼が期待していたほどは、評価されなかった。なので、次に出す本は、代表作になり、高く評価されるものでなければならない。この対談本では、それは望めないから流す――というのが、理由だそうな。こんな身勝手な話が、果たして、あっていいものかどうか。

 これは、エージェント経由で聞いたことだから、金森君の本意とは違うかも知れぬ。しかし、仮に、私が彼の本意とは違う受け止め方をしていたとしても、それは、金森君の責任である。一切の事情説明を抛棄するから、そういうことになる。

 自分ひとりで書いた本なら、それでもよかろう。しかし、この本は、半分は私の本なのである。それを、このような事情で流すなんぞ、<大人の常識>ではありえない。当たり前の話だ。いろんな人が絡んでいるビジネスを、たった一人の都合で流して、ほかの人に迷惑をかけてもかまわない、というのは、とてもではないが大人の思考法ではないですよ。誰がどう考えても。

 もう一ついえば、金森君は、私の対談本を読みたいと思っている、私の読者からも、自分の意向で楽しみを奪ったのである。彼がもし、自分を<文筆家>と名乗るのなら、決してやっていいことではない。

 もうここまできたら、私は、この本を世に出すことは諦めた。しかし、金森君には、私に対する事情説明の義務があると考えている。事務所で待つ。エージェントを通してでもいいから、いつ、うちの事務所へ事情説明にきてくれるのか、連絡して欲しい。

 私は、対談を終えてゲラを戻したあと、ただ刊行を待っていただけではない。ゲラを戻した後、今年の2月になって、エージェントを通じ、
「金森君がこの本に不満を持ち始めているので、松井さんのほうで、色々と追加の案を考えてくれないか」
 といわれた。彼としては、金森君の意向に沿った内容の対談をもう一度行い、それを最終章に付け加えることで、問題を解決したいようだった。
「しかし、もう再校ゲラも返してるよ」
 私が渋るのへ、
「折角の本ですから、いい形で世に出したいので、そこをなんとか――」
 とエージェント。ここまでいわれれば、私としても無下にはできぬ。金森君はどういうふうにしたいといってるのかを訊くと、エージェントがあらましを伝えてくれた。

 私は、それに応じて、新たな対談のために、53項目もの対談案を、<金森君の意向に沿って>作ったのである。しかし、その最後の対談にすら、金森君は応じなかった。こうなると私が、アゴで使われた、と感じても無理はあるまい。

 私は、金森君より、年齢で一回り上、文筆業のキャリアは3倍、著書数も3倍を越える。そういう人間に対して、少しくらいの敬意は払ってくれてもいいのではないだろうか? アゴで使った上で、自分の意向で本を流し、その理由説明もなければ、挨拶一つない。

 私はそんなチンピラか。私が、こんな感情的な文章を書くのは、極めて珍しいことである。金森君には、その意味を、少しは理解して欲しい。
スポンサーサイト
[ 2009/07/28 16:47 ] 書籍 | TB(0) | CM(-)

読売新聞にインタビュー記事掲載

 本日、7月19日付の「読売新聞」日曜版、『不屈のひみつ』のコーナーに、松井計のインタビュー記事が掲載されました。

fukutsu.jpg

【記事詳細】
掲載年月日・「讀賣新聞」2009年7月19日付日曜版
インタビュー・於「いろり」(上北沢)
記事・鷲見一郎(讀賣新聞東京本社)
写真・立石紀和(讀賣新聞東京本社)


■『不屈のひみつ』の記事を読むには●こちら●をクリックしてください。
[ 2009/07/19 12:46 ] 新聞 | TB(0) | CM(-)

アーカイブ原稿32「太平洋戦争の落とし穴」最終回

■「太平洋戦争の落とし穴」最終回『一参謀の独断が招いたノモンハンの悲劇』
■初出……「日刊ゲンダイ」2006年6月19日号

 今回は太平洋戦争前の事件を取り上げる。
 1939年5月、満州国とモンゴルの国境付近に位置するノモンハンで、日本軍とソ連軍の戦闘が行われた。世にいう「ノモンハン事件」だ。
[ 2009/07/10 22:14 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)

アーカイブ原稿32「太平洋戦争の落とし穴」第18回

■「太平洋戦争の落とし穴」第18回『「一億玉砕」の軍部、「米百俵」の小泉首相』
■初出……「日刊ゲンダイ」2006年6月5日号

 今年の9月でやっと小泉首相の任期が終わる。この5年間、国民は彼の言葉に踊らされ、その結果、日本はムチャクチャになってしまった。
 彼は首相に就任した01年暮れに「米百俵」「聖域なき改革」「恐れず怯まず捉われず」「改革の『痛み』」などの言葉で流行語大賞も受賞している。これらの〝威勢はいいが中身のない言葉〟に国民はまんまと騙され、高い支持率を与えてしまった。その挙句、昨年秋の総選挙で自民党は大量の議席を獲得し、やりたい放題の体勢を整えることとなった。こうした小泉政権の手法は過去の戦争中のプロパガンダ政策と変わらない。 
[ 2009/07/10 22:12 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)

アーカイブ原稿31「太平洋戦争の落とし穴」第17回

■「太平洋戦争の落とし穴」第17回『口封じは今も続いている?』
■初出……「日刊ゲンダイ」2006年5月22日号

 公になったら困る重要情報を秘匿するにはどうすればいいか――。答えは簡単。事実を知っている人間の口をふさげばいいのだ。太平洋戦争でもこのような恐ろしいことが平気で行われた。
 その典型例が1942年6月のミッドウェー海戦のときに起きている。同海戦は赤城、加賀など空母4隻を撃沈される大敗北だったが、大本営はこの結果を徹底的に隠そうとした。生き残った下士官のパイロットたちから情報が漏れる可能性があると判断。大本営は彼らを一人も帰郷させず、休暇も与えなかった。彼らの大半は家族と隔離されたまま最前線へ送られ、人知れず戦死した。まさに“口封じ”である。
[ 2009/07/10 22:08 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)

アーカイブ原稿30「太平洋戦争の落とし穴」第16回

■「太平洋戦争の落とし穴」第16回『今も存在する卑怯なヤツら』
■初出……「日刊ゲンダイ」2006年5月8日号

 何事も責任の所在を曖昧にしてウヤムヤに終わらせる――。
 ご存じ、日本型村社会の無責任システムである。国や企業の指導者にこれをやられては庶民はタマらない。太平洋戦争でも多くの卑怯なヤツらが責任を取らずのうのうと生き延びている。
 そのひとりが陸軍の富永恭次中将。この男は1940年9月に政府の方針に反して独断で北部仏印への武力進駐を行った。一度は左遷されるが、41年4月には人事局長として中央に復帰。44年8月、特攻部隊の第4航空軍司令官に任命される。
[ 2009/07/10 22:04 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)

アーカイブ原稿29「太平洋戦争の落とし穴」第15回

■「太平洋戦争の落とし穴」第15回『大量の餓死者を出したニューギニア戦線』
■初出……「日刊ゲンダイ」2006年4月24日号

 古今東西の戦史の中でニューギニア戦線ほど悲惨なものはない。多数の犠牲者を出した原因は長期的展望の欠如だった。
 42年7月、大本営は「り号作戦」を発動。ニューギニア島のバサブアからオーエンスタンレー山脈を越えてポートモレスビーを攻略する作戦だ。移動距離360㌔の同作戦は事前の研究で不可能とされた。標高2000㍍のオ山脈では物資を運搬できないからだ。
[ 2009/07/10 22:00 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)

アーカイブ原稿28「太平洋戦争の落とし穴」第14回

■「太平洋戦争の落とし穴」第14回『ニセメール問題は2・26事件と同じ構造だ』
■初出……「日刊ゲンダイ」2006年4月10日号

 永田ニセメール問題に始まる民主党の右往左往ぶりに、私は怒りを感じてしまった。すったもんだのあげく執行部が全員辞任。あれほど辞めないと頑張っていた永田議員も議員辞職した。これではまるでガキのお遊びだ。
 今回の民主党の罪は国民を政治不信に陥れた点にある。永田・前原という30、40代の〝無分別な若者〟の暴走が民主政治の危機を招いたのだ。
[ 2009/07/10 21:57 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)

アーカイブ原稿27「太平洋戦争の落とし穴」第13回

■「太平洋戦争の落とし穴」第13回『山本五十六は軍司令部に殺された?』
■初出……「日刊ゲンダイ」2006年3月27日号

 太平洋戦史を語るときに最初に登場する人物が山本五十六である。日米開戦時の連合艦隊司令長官だが、その死は「海軍甲事件」として語り継がれている。
 1943年4月、連合艦隊はソロモン諸島の戦況を打開するべく、「い号作戦」を発動。ガダルカナル島やポートモレスビーの空襲をくわだてた。だが、日本軍は多大な被害を受けてしまい、4月16日には作戦を終了することになった。このとき山本は将兵を鼓舞するためバラレ、ショートランド、ブインの前線地を訪問することにした。
[ 2009/07/10 21:53 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)

アーカイブ原稿26「太平洋戦争の落とし穴」第12回

■「太平洋戦争の落とし穴」第12回『戦力の逐次投入がもたらした「飢島」の悲劇』
■初出……2006年3月13日号

 1942年、日本軍はニューカレドニアなどを攻略するFS作戦を発動した。オーストラリアと米国を分断するべく、周辺の攻略を決めたのだ。
 作戦の遂行には前進飛行場が必要だ。日本軍はガダルカナル島を飛行場建設地に選び、工兵を送って作業を進めた。ところが、そこに米軍が侵攻して工兵の部隊は壊滅。42年5月、日本軍はガ島を奪回するべく戦力投入を開始した。
[ 2009/07/10 21:48 ] アーカイブ | TB(0) | CM(-)
来訪者数
松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

メールフォーム
松井計への仕事のご注文は、松井計事務所にご連絡ください。下のアイコンをクリックすると、メールフォームが開きます。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。