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メディア情報

■8月3日(日)の、産経新聞朝刊文化面に、松井計のインタビュー記事が掲載されます。このインタビューでは、世界文化社から発売中の新作「立ち上がる人たち」について語りました。

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    ■新刊「立ち上がる人たち」(世界文化社)発売中! 購入は●こちら●

■7月28日(月)、午後4時53分からOAされたフジテレビの『スーパーニュース』にて、「家に帰らない男たち」(扶桑社)が紹介され、松井計も出演いたしました。

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    ■「家に帰らない男たち」(扶桑社新書)を購入するには●こちら●


■7月25日発売の「クロワッサン」738号(マガジンハウス)の、連載企画「なんだかんだの、病気自慢」に、松井計執筆の熱中症についてのエッセイが掲載されました。
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[ 2008/07/31 20:28 ] テレビ・ラジオ | TB(-) | CM(-)

暑い!

 暑い。それにしても暑い。東京の、この蒸し暑さはいったい何だ。これではもう、人間がまともに暮らせる街ではなくなりつつあるではないか。まさに、ヒートアイランド現象も末期的段階なのだろう。私が、特に、東京の夏がひどく蒸し暑くなってきたのを実感したのは、確か、2000年くらいからだったと思う。それ以前も、年々、蒸し暑くなってくる感覚はあったが、今ほどひどくはなかった。

 今、世間では、CO2の排出による地球温暖化が大問題として取り沙汰されている。実は、私は、CO2による温暖化現象の理論については、些か、疑問がありはするのだが、まあ、この問題も重要な問題には違いなかろう。 しかし、この東京の暑さと、CO2排出による地球温暖化現象をイコールで考えるのは、間違っている。ヒートアイランド現象とCO2の問題は、分けて考えないと、東京の亜熱帯化を防ぐことはできない。だいたい、この東京のとんでもない暑さは、都市計画の不在によるものだ。東京は、海に面した街だから、都市計画一つで、ヒートアイランド現象を解決できるはずなのだ。

 ここのところ、経済にしても、文化にしても、<より大きなこと>を考え、語るのがこの国の流行である。そういうことにも、それなりの価値はあるのだろうが、当然、反作用として<日々の暮らし>がお留守になる弊害が出てくる。

 天下国家ばかり語っても仕方がない。まずは、この東京の蒸し暑さをどうにかしてくれ。せっかく、石原さんという超強権的な男が都知事を務めているのだから、こんなときにこそ、リーダーシップを発揮して、<ヒートアイランド現象対策条例>でも作ったらどうか。開催地に指名されるはずのない東京オリンピックの問題で、口汚く宮内庁に噛み付くばかりが能ではあるまいに。

 風の通り道を塞がないように、新築のビルの配置を規制するとか、ビルの屋上の緑化を義務付ける程度のことで、東京の夏は、もっとずっと過ごしやすくなると思うのだが。問題は、<都市計画>である。私は何も、都市の貌までお上に決めて欲しい、といっているわけではない。せめて、都民が普通に暮らせる程度の、都市計画は必要だろう、といっているのだ。東京湾近くの、無秩序なビルの乱立を見よ!

 都では一応、新築ないし増改築のビルには、屋上の緑化を義務付けている。また、緑地公園を多く作るなどの方針を打ち出してもいる。しかし、この東京の街に、既設のビルが、いったい、何棟あると思っているのか。そちらのほうは、緑化する場合には補助金を出すそうだが、その程度のことで、東京のビルの屋上がすべて、緑化されるとも思えない。

 また、都の姿勢における大問題は、ヒートアイランド現象対策が、様々な条例にまたがっていることである。新築ビルの屋上緑化と、緑地公園の増設は、違う条例で定められているのだ。それでは、<ヒートアイランド現象を解決する>という一貫した姿勢とはいえまい。ここは、包括的な<ヒートアイランド現象対策条例>が必要だ。

 この東京の暑さたるや、もはや尋常ではない。実際、私も昨年の7月には、熱中症で倒れて死にかけた。その経緯については、今月25日発売の「クロワッサン」738号マガジンハウス)の、「なんだかんだの、病気自慢」のコーナーに詳しく書いたから、そちらを読んで欲しいが、普通に暮らしているだけで、体をやられてしまうような都市は、もはや都市とはいえない。緊急の対策が必要なことは、論をまたないだろう。東京は、日本の首都であり、世界的大都市である前に、フツーの人間が、フツーに暮らす街だという意識が必要だ。

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[ 2008/07/16 14:36 ] 日常生活 | TB(-) | CM(-)

メルマガにコラム掲載

 アップルシードエージェンシーが発行するメールマガジン「出版プロジェクト・物語小説編」の、Vol.81(7月14日発行)から始まる新連載リレーコラム「私の修行時代」の第1回目に、松井計が登場します。このコラムは、Vol.81(7月14日発行)と、Vol.82(7月28日発行)の2回に分けて掲載されます。

              ■メールマガジン「出版プロジェクト・物語小説編」を購読するには●こちら●から。


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[ 2008/07/14 17:48 ] 雑誌 | TB(-) | CM(-)

ミッドウェイ

 一昨日、夜中に仕事を終えたあと、しばらくヱビスビールでも飲みながらテレビを観ようと思って、リモコンをがちゃがちゃやっていたら、NHKのBS2で「ミッドウェイ」をやっているのにぶつかった。この作品は、以前にも観たことがあるのだが、今回もまた、ついつい最後まで観てしまった。

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 1976年のジャック・スマイト監督作品。彼は、前年に「エアポート75」を大ヒットさせている。主人公ガース大佐に、今年亡くなったばかりのチャールトン・ヘストン、ニミッツ太平洋艦隊司令長官にヘンリー・フォンダ、ハルゼー大将にロバート・ミッチャム。日本軍側は山本五十六連合艦隊司令長官に三船敏郎と、スターを揃えた、まあ、大作である。

 史実のミッドウェイ作戦における日米両軍の攻防を縦糸にして物語は進むが、ガース大佐と、自身もアメリカ海軍の戦闘機搭乗員で、ミッドウェイ海戦にも参加するその息子、また、ハワイの日系人で今は捕虜収容所に入れられている息子の恋人ハルコとの人間模様を横糸に配してある。

 戦争シミュレーション小説を書いている頃、私は、何度もミッドウェイ海戦を書いたから、史実上の日米両軍の動きは知り尽くしている。そのこともあって、本作品を楽しく観ることができた。が、中ジョッキ片手にテレビを眺めていて、違和感というほどでもないが、些か、奇妙な世界に迷い込んだような感覚を、私は味わいもした。

 というのは、日本側の軍人を演じた俳優たちである。前述のように、山本大将は三船敏郎で、これは私もよく知っている俳優だ。「男は黙ってサッポロビール」の人である。たまたま、私が飲んでいたのもヱビスビールで、これも今は、サッポロビールが販売している。まあ、それはそれとして。

 しかし、ほかの日本軍の主だった軍人を演じる俳優を、私は、誰一人として知らなかった。南雲忠一第1航空艦隊司令長官を演じるジェームズ繁田をはじめとして、ほとんどがハリウッドで仕事をしている東洋人を使っているからだ。しかも、三船も含めて、日本人はみんな、英語の台詞を喋る……。これは奇妙な感覚だった。しかし、そういった感覚を味わえるのも、映画の醍醐味の一つではあるのだろう。

 公開が1976年とあって、太平洋戦争が終結して、もう長い時間が経った後に作られているから、日本軍に対する悪意は薄く、ところどころに日本軍を賞賛する台詞もある。たとえばそれは、ゼロ戦と空中戦を行うときの、
「なんという上昇力だ!」
 という台詞であったり、作品中、何度も繰り返される、
「戦力も、技量もヤマモトのほうがはるかに上だ」
 という台詞である。

 むろん、これらは、日本軍側の有利を観客に知らせた上で、それを克服し、日本軍を撃滅するアメリカ軍の活躍を際立たせるための台詞である。しかし、日本人が聞いても、あまり悪い気はしないから、愛国心というものは恐ろしい。

 もう一つ、これは、なるほどなあ、と思ったことなのだけれども、作中では、日本軍側の幕僚は、みんな、鼻下に髭を蓄えているのである。山本も、南雲も、宇垣纏連合艦隊参謀長も、草鹿龍之介第1航空艦隊参謀長も、山口多聞第2航空戦隊司令官も、将官はみんな立派な髭を生やしているのだ。

 史実を調べてみると、上記の人物の中で、ミッドウェイ海戦当時、髭を生やしていた人は一人もいない。なるほど、この辺りが、アメリカ人の日本軍人に対するイメージなのか、と思った。

 ところで、三船敏郎の英語の台詞が、ことのほか上手いのには吃驚した。彼の英語が上手いといっているのではない。あくまでも英語の台詞回しの話である。発声にメリハリが効いていて、威厳があって。もし、山本大将が英語を母国語とする人であったら、間違いなくこのような喋り方をしたであろうと思わせる英語の台詞運びだった。三船は、日本語の台詞を読む時は、どちらかと言えばぶっらぼうで、少し訛りもあるから、この英語の台詞の上手さは意外だ。

 そう言えば、「007は二度死ぬ」に出演したときの丹波哲郎も英語の台詞が上手かった。国際的スターになるには、この辺が一番、重要な要素なのかもしれない。

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 となると、今の日本を代表する国際的スターのはずの渡辺謙が、あれほど英語の台詞が下手なのは、いったいどういうことだ。渡辺の英語の台詞は、私には、普通の血の通った人間が喋っている英語には聞こえない。なんというか、不自然で人工的な感じがする。渡辺にとっては、この辺りが今後の課題なのだろう。
[ 2008/07/10 11:57 ] 日常生活 | TB(-) | CM(-)

誕生日(ルーツのことなどを)

 日付が更わって、7月5日になった。今日は、私の誕生日である。私が生まれたのは、昭和33年7月5日午前0時5分。とうとう50歳になってしまったわけだ。もはや、今は亡き母も、敬愛する作家・三島由紀夫も、かなり年下の人である。

 そう考えると、自分の年齢が恐ろしくもある。歳を取ることが怖いのではない。年齢相応の成熟を自分自身が遂げているかとなると、まったくその自信がないから、それが私を恐れさせるのだ。果たして私に、人間としての成熟などというものが訪れるのだろうか? そう考えると、恐れや焦燥といった、負の感情から自由ではない。

 昭和33年の7月5日も、今年と同じように土曜日だった。私の母親喜美榮は、当時、27歳。小学校の教員で、1年生の担任だった。実は、私は、予定日よりも1月ほど早く生まれている。7月4日の授業中、突然、母は陣痛に襲われた。そのまま、病院に搬入されて、日付が更わってすぐに私が生まれたのだ。

 当時、母が担任していたクラスの子供たちの驚きはいかばかりだったろう。小学校に入学してまだ3ヶ月。ちょうど私の倅が今、その年齢だが、妊娠や出産ということが、きちんと理解できるわけもない。突然、担任の先生が教室で苦しみ始めたときの、子供たちの動揺が、目に見えるようである。私は、<人騒がせ>な形でこの世に生を受けたのだなあ、と考えざるを得ない。

 私の<松井>という姓は、母方のものである。父方の姓は飯田だ。平たく言えば、父官治は松井家に婿養子に入ったのである。というのも、松井家は典型的な女系家族で、代々、女の子が一人しか生まれない。私が物心ついた頃には、父は電電公社員で、母は教員であったが、かつての松井の家は、かなり大きな商家であったそうな。母が生まれた家には、百帖の大広間があったというから、羽振りがいい時期もあったのだろう。

 だから、代々、松井の家では、一人だけ生まれる娘に婿養子を取って、家系を繋いできたわけである。そういう経緯があるから、母の妊娠中も、生まれてくるのは女の子に違いないと思われていたらしい。私のための産着や蒲団の類は全て、女の子用のものを揃えてあったという。

 ところが、生まれてみたら男の子である。それを一番、喜んだのが、私の曽祖父に当る正三郎だ。些か話が複雑になるから、少し、説明が要る。私の母は、両親をほとんど知らず、祖父母に育てられた人である。というのは、前述のように、松井家は代々、娘に婿を取ってきたわけだが、正三郎は、お店(たな)の番頭だった重夫を、一人娘節子の婿にした。これが、昭和の始めの出来事である。

 ところが、この夫婦の間に喜美榮が生まれたすぐ後、重夫は松井の家を出てしまう。詳しい事情は知らされていないが、おそらく、婿としての生活がキツかったということであろう。重夫の出奔後、まだ若い節子を不憫に思った正三郎は、彼女を大阪で書店を経営する青木家に嫁に出し、喜美榮は正三郎夫婦の手で育てられることになったのである。

 母は、正三郎夫婦をずっと、実の両親だと思っていたそうだ。そうではなく、実は祖父母だと知ったのは、女学校に入学するときだったそうな。この時、どれだけショックだったかを、後々、母は私に何度も語ってくれている。話が前後するが、もうひとつややこしいことに、正三郎の妻、み子よ(みねよ)は後妻で、母とは血の繋がりはない。

 正三郎とみ子よとの出会いのエピソードは、旧い上質の日本映画の一シーンを見るようである。正三郎の先妻、サカエがみまかったのが、大正11年1月のこと。今、位牌で確認すると、享年37である。彼女の葬儀の日、雪が舞う中を、み子よは、人力車で松井家の前を通ったのだそうな。
「大きなお葬式だこと。どういう人が亡くなったのかしら」
 と、み子よは思ったという。そして数年後、彼女は松井の人となる。

 自分が両親に育てられたのではなく、祖父母に育てられたのだということは、生涯、喜美榮の傷となった。私は、確か、高校に入った頃のことだったと記憶するが、父と母が交際中に交わした、夥しい往復書簡を見せられたことがある。その中の、母が父に宛てた手紙には、
「松井の家では、父・重夫の名前はタブーです」
 と何度も書いてあった。それはおそらく、愛する人と決めた父に対する、母の心の叫びだったのに違いない。

 また、私が小学生のころ、母は実の母節子と再会を果たし、節子が再婚後に成した二人の娘も含めて、我々との交遊が始まった。母の妹たちは、私にとっては、大好きなお姉さんたちだった。しかし、それでも母は、
「私は、あの子たちを妹だと心から思えたことは、一度もないのよ……」
 といった。

 些か説明が長くなった。私が生まれた時、間違いなく女の子だろうと思われていて、産着など女の子用のものを準備していたという話に戻る。生まれたのが男の子だと知った正三郎は、夜が明けるのを待って、改めて、男の子用の産着や蒲団を買いに走ってくれたのだそうだ。彼は、私の誕生を、心から喜んでくれたらしい。ただ、残念なことに、正三郎は翌年、昭和34年にみまかったから、私には彼の記憶がない。

 私が聞かされている正三郎の死のエピソードも印象的だ。彼は、死ぬ前の晩、いつものように、私を膝に抱きながら、み子よにぬる燗にさせた日本酒を、ほぼ一升飲んだのだそうな。で、
「120年ぶりに男の子が生まれたし、酒も旨かった。もう俺は思い残すことはないよ」
 笑いながらいって、床に就き、そのまま眠るように死んだのだそうだ。享年88。私の酒好きは、正三郎の血を引いたのかもしれない。

 今や、往時を知る人は、ほとんどいない。現在、松井の姓を名乗る身内は、私と妻と、二人の子供たちだけである。

 先々週の土曜日、6月21日は、倅の7回目の誕生日だった。私は今、子供たちと週に一度、毎週土曜日にしか会えずにいるが、その土曜と、倅の誕生日が重なったのは幸運だった。倅の誕生日を家族で祝っていたら、彼が唐突に、
「ねえ、パパのパパやママはもう死んだの?」
 と聞いてきた。彼にとっては、祖父母である。関心があっても不思議はない。彼の同級生たちには、ごくごく普通に、祖父母が存在するのだから。
「そうなんだ。君達が生まれてくるずっと前に死んじゃったんだよ。残念だったね。もし、今でも生きていてくれたら、今日は君の誕生日を、ほんとうに喜んでくれたと思うよ」
 私はいった。倅は、しばらく黙って、何かを考え込んでいる様子だった。

 私は、両親や曽祖父母の記憶を、子供たちに語ってやりたいと思った。それは、彼らのルーツにも関ることだからだ。今や、それができるのは、私をおいてほかにない。人間は、突然、自分ひとりでこの世界に生まれてきた孤独な存在ではなく、一人ひとりの存在は、脈々と続く、命の連鎖の中にあるのだということを、子供たちにも伝えていければ、と思う。

 それにしても不思議だ。子供を授かってから、自分の誕生日になると、まず、彼らが生まれた日のことを思い出す。これこそがまさに、私が命の連鎖の中に存在しているということの証なのだ。それを実感できただけでも、妻や子供たちには感謝しなければならないだろう。

 妻よ、娘よ、倅よ、ありがとう。私は、自分の誕生日は、君達や、私を生んでくれた母や父、そしてそれを祝福してくれた人たちに感謝するためにある日だということを知った。

 ところで、私は、この項の冒頭で、自分の年齢が恐いと記した。むろん、そこに偽りはない。しかし、それと同時に、私は、素晴らしい年齢を迎えた、とも実感しているのである。なぜかといえば、私は、50代という世代は、作家が、最も作家らしく振舞え、最も活躍できる世代だと考えているからだ。そう考えると、私は今日から始まる日々が楽しみで仕方がない。読者諸賢にも、この思いを共有していただけるような作品を、どんどん書いていくつもりである。期待して欲しい。 

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[ 2008/07/05 01:18 ] 日常生活 | TB(-) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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