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アーカイブ原稿⑧「<路上生活者>人間の経歴・人格・個性消し去る社会の象徴」

エッセイ「<路上生活者>人間の経歴・人格・個性消し去る社会の象徴」
初出……「THE BIG ISSUE JAPAN」57号(2006年9月15日号)

 ※再録するにあたり、PC上でも読みやすいように、改行の後に、一行空白行を追加しました。

 二〇〇一年の一月のことだから、もう五年半前の出来事になる。私は、公団住宅の家賃を滞納し、路上の人となった。その日は、ちょうど娘の三回目の誕生日で、私は、娘と妻とを新宿区役所の福祉課に預け、彼女らの安全を確保してから、凍てつく夜の街に出たのだった。ビルの壁面に取り付けられた寒暖計は、零下一度を差していた。

 今にして思えば、どうにも現実離れした出来事で、いくら厳寒の街に放り出されても、どうしても現実感を覚えることができなかった。まさか、この成熟した日本社会にあって、人が住居を失い、路上での生活を余儀なくされるなどということが、現実に起こりうるとは、それまでの私には想像の埒外だったのである。仮に、もし、そのようなことが起こったとしても、それはそれで、短期間に解決できることであり、努力する気持ちを失わない限り、住居など簡単に取り戻せるものだと、その頃の私は見なしていた。 

 甘い――と言われれば、まさにその通りで、どこにも返す言葉はない。そのような甘さが、私に路上生活を強いたのだ、と言われれば、それも真実に近かろう。が、しかし、それぞれが完璧とはいえぬ人間という存在に、一定の甘さを許容しない社会が、果たして成熟した都市といえるのだろうか、と、今の私はそんなことを考えてもいる。むろん、そのような感慨を持つようになったのは、路上生活を終えて早、五年が過ぎ、物書きとしてある程度の安定を得てからのことではあるが。

 さて、<短期的に解決可能>だという私の甘い観測が崩れるのは、路上での暮らしが一月を過ぎた頃のことである。当時の私は、住居を喪ったとはいえ完全な失業者ではなく、注文原稿をいくつか抱えていた。が、それらを仕上げ、原稿料なり印税なりが入手できるのはかなり先になるから、私はアルバイトを探すことにした。面接に合格し、採用されるのはさほど難しいことではなかった。しかし、勤めてみると、実は私が住居を持たぬ身だということが、雇用者側に知れ、すぐに解雇されてしまうのだ。職に就くことはできても、勤め続けることができない。もはや私は、事態の深刻さを悟るしかなかった。

 家族のことも同様である。別段、私は娘たちを捨てたわけでもなんでもなく、幼児と女性の身に路上での生活など耐えられるわけもないから、私の状況が好転するまで、彼女らに寝床と日々の糧を与えるべく、<法で定められた範囲>で行政の力を借りたに過ぎぬ。しかし、預かったほうは、そうは考えなかったようである。彼らは、私の知らぬところで、私と家族とを、引き離す方向で動いていた。行政側の心境を忖度するに、彼らは、私がまた、住居を取り戻し、普通の社会人として生活することなど、不可能だ、と考えたのだろう。でなければ、わざわざ子供を父親から引き離そうとすることに、何か積極的な理由があるとは考えられない。実際、私は、行政の人間に、「あなたには、子どもを養育する意思も能力もないと断定しました」と言われたこともある。

 ところが、今の私にそんなことを言う人間は、行政であれ、私人であれ、どこにもいない。些かの口幅ったさを許してもらえれば、子供向けの共生社会の本を書いたことなどもあってか、逆に私のことを、子供のことを真剣に考え、教育熱心な親だと言ってくださる方もある。となれば、私は思考の迷路を彷徨うことになるしかない。あの頃の私と、今の私と、いったい、どこが違うのだ――と。私という人間は、長所も短所も含め、一切、変わりはない。ましてや、娘に対する思いに、僅かでも違いがあろうはずがない。

 一つだけ違うことがあるとすれば、あの頃の私は、<路上の人>であり、今の私は、世田谷区内に定住の地がある、という一点のみである。路上での生活とは、おそらく、そういう類のものなのだろう。

 人がそれぞれの個人としてではなく、<路上生活者>という一つの括りの中で判断されてしまう。路上生活者一人ひとりに、路上での生活を余儀なくされるまでには、それぞれの生活史なり苦悩なりがあったはずなのに、ひとたび、路上を暮らしの場とするようになったとたん、それらはどこかへ消え去ってしまう。一人ひとりの名は失せ、<路上生活者>という、実際には人生の一時期における、一状況に過ぎぬはずのものが、それぞれの人の全人格を規定してしまうようになる。それはそれで、当の路上生活者にとっても、彼らを一種、都市の風景として眺める側にとっても、じりじりする人生のダイナミズムとはいえよう。が、個々の経歴なり人格なり、個性なりといったものが消え失せてしまう社会は、私にはただただ恐ろしい。

 私が路上生活を終え、世田谷区内に定住の場を持ったのは、二〇〇一年の九月。凍てついた新宿の街に放り出された日から、八箇月後のことだった。私は、路上生活のあれこれを記した作品「ホームレス作家」(幻冬舎アウトロー文庫)を書き、それが社会に受け入れられて、俗な言葉を使えば社会復帰が叶ったのである。が、しかし――と、私は思うのだ。私が、今まさにこの原稿を愛用のPCに打ち込んでいる世田谷区内の住居を獲得できたのは、私が物書きという職業だったからである。才能のおかげだなどと、自惚れた言葉を吐くつもりはない。<どこかに勤めなくてもいい>職業だったから、と言いたいのだ。路上生活時代に何度かアルバイト先を解雇されたことを思えば、社会復帰のために勤めることが必須であったなら、おそらく、私の今の生活はなかったろう。

 と考えれば、今まさに、路上での生活に喘ぎ、社会復帰を目指している人たちの多くが、その問題に突き当たり、日々を苦悩の中で過ごしているのではないか――私の脳裏には、そんな思いが浮かぶ。そして、それらの人、一人ひとりに、今は離れてはいるにしても、親なり子なり配偶者なりがあったことを思えば、私は、私自身が住居を回復できたことを、無条件に喜ぶ心境には、どうしてもなれないのだ。
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[ 2007/10/07 23:50 ] アーカイブ | TB(-) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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