スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

新連載コラムのお知らせ



 3月17日(土)発売の「日刊ゲンダイ」週末特別版から、松井計の新連載コラム『恐怖 妻が豹変するとき』が始まります。 第1回は『妻が突きつけた「性的虐待」の訴状』です。

 このコラムでは、多くの夫婦、元夫婦に取材して、愛ゆえの男女の憎しみ、男と女の間に横たわる深くて暗い河、それでも求め合わずにいられない不思議な存在――そんな男女の業や性(さが)を描きたいと考えています。ご期待ください。

 尚、「日刊ゲンダイ」は、東京圏、大阪圏、名古屋圏、札幌の各都市で発売されておりますが、それ以外の地域にお住まいの方も、携帯電話のサイトで読むことができます(EZwebは月額300円、その他の携帯は月額315円)。「日刊ゲンダイ」携帯サイトの詳細は●こちら●へ。

第1回(3月19日付号)『妻が突きつけた「性的虐待」の訴状』
第2回(3月26日付号)『ウソ被害をでっち上げる〝DV女医〟』
第3回(4月16日付号)『妻と弁護士が〝不法侵入〟』
第4回(4月30日付号)『別居中の妻は新恋人と半同棲』
第5回(5月21日付号)『祖母を母親だと刷り込まれる子供』  
第6回(6月4日付号) 『憎悪むき出しのドロ沼離婚』
スポンサーサイト
[ 2007/03/06 13:57 ] 新聞 | TB(-) | CM(-)

アーカイブ原稿⑤コラム「日本沈没」心に迫る切実なテーマ

コラム「『日本沈没』心に迫る切実なテーマ」
初出……産経新聞2004年3月6日付号「追憶の一冊」
chinbotsu.jpg

 小松左京氏の『日本沈没』を、私は刊行の翌年に読んだ。この作品は前年のベストセラーで、その年もまだ部数を伸ばしていたが、私が書店で手に取ったきっかけは、藤岡弘主演で公開された映画だったように思う。
 その頃、私は地方の進学校に通う高校生だった。今思い出してみても、若さとは残酷なものである。気位だけは人一倍高いのに、精神はまだまだ未熟で、そのバランスの悪さが日々の暮らしを重苦しいものにし、鬱々とした気分で心楽しまぬ毎日を過ごす。
 そんにときに評判になっていたのが『日本沈没』だった。オイルショックに襲われ、戦後初めてGNPがマイナス成長を記録するなど、暗い世相にこの作品がフィットしたのだろう。
 むろん、人間は世相から完全に自由に生きることなど不可能だが、本質的に、当時の私が鬱々とした日々を暮らしていたことと世相は無関係である。もし、好景気に沸き、誰もが明るい将来を確信しているような時代だったとしても、高校生の私は重苦しい毎日を過ごしていたことだろう。それが若さというものだからだ。
 しかしそこは若さの傲慢さで、当時の私はことさらに世相の暗さと、自分の不満とを重ね合わせていた。そんなときに私は『日本沈没』を読んだのである。作中では、地殻変動により、日本列島が海没することが分かったという設定の下、民族の脱出や文化財の疎開、国際政治の駆け引きなどのテーマが壮大なスケールで描かれる。
 当時の私はこの作品を、一種の現実エスケープ小説として読んだ。海中に没した日本から脱出し、新天地ですべての不満から解き放たれて生活する自分を夢想することも可能だったからだ。
 あれから三十年が過ぎた。この項を書くために、私はもう一度『日本沈没』を読み直してみた。当然、人間である限り、現在の私にも生活の不満はある。時として、日々の生活から逃げ出したくなることもある。
 しかし、もはや若者ではない私は、逃げるべき場所などどこにもないことを充分に理解している。だから再読に当って、この作品を現実からの逃避のための小説として読むことはなかった。そんな現在の目で読むと、心に迫ってくるのはむしろ、日本とは何か、日本人とは何か、私たちはどこからきて、どこへいこうとしているのか、といった、より切実なテーマである。
 ひょっとしたら、『日本沈没』は、今の時代にこそ、読まれるべき作品なのかもしれない。
[ 2007/03/02 12:17 ] アーカイブ | TB(-) | CM(-)

アーカイブ原稿④書評「50代からの選択」

書評「50代からの選択大前研一著(集英社
初出……産経新聞2004年12月12日付号
oomae.jpg

 我々作家は、たいていの場合、他業種からの転職者である。学生時代に処女作を発表して、そのままほかの職業を経験せずに専業の作家になる方もいらっしゃるが、そういった例はごくごくく稀で、大多数は何かしら、作家以外の職業を経験している。
 その代わり、我々には定年はないから、一度、作家としての仕事を始めれば、あとは一生、それこそ人生を終える直前まで、作家としての生活を続けることが可能だ。その意味で私たちは、比較的早い時期に、人生の選択を迫られた立場といえるかもしれない。従って、私は今、46歳だが、60歳を過ぎた後のことについて、あまり深く考えたことがない。ただ漠然と、今と同じような生活をしているだろう、と考えるだけである。
 しかし、これまでの日本にあっては、作家をはじめとする自由業者ばかりでなく、いつかは定年を迎えるはずのサラリーマン層も、あまりその後の人生――第二の人生について、深く考えてこなかったのではないだろうか。ひたすら働くことにだけ集中して、リタイアしたあとの人生を豊かに生きる、といった発想がない。これは、高度経済成長時代のライフスタイルである。しかし、時代は確実に変わった。
 大前研一氏は本書で、50代こそ、第二の人生の準備をする旬だと説く。男性の平均寿命78歳の時代にあって、定年後の人生は長い。50代になったら、漫然と日々を生きるのではなく、定年後を豊かに生きるための準備を初めよ、と大前氏は主張する。趣味を持つ必要性など、そのための具体的方法が、事細かに語られている。
 バブル崩壊後、雇用システムをはじめとして、様々なものが劇的に変化した。そんな中で、なかなか変化できずにいるのが、中年以上の世代の精神構造である。本書は、旧態依然とした考え方から抜け出すための、絶好の参考書になると思う。その意味で、定年のないサラリーマン層以外にも、有効な書物である。
[ 2007/03/02 00:38 ] アーカイブ | TB(-) | CM(-)

アーカイブ原稿③書評「グランドセントラル駅・冬」

書評「グランドセントラル駅・冬リー・ストリンガー著、中川五郎訳(文藝春秋
初出……北海道新聞2002年1月6日付号
grand.jpg

 TVのニュースカメラマンとしてキャリアを始め、その後もセールスマンやグラフィックデザイナーとして働いていた著者が、アルコールやドラッグに溺れた揚げ句に職も住居も失い、ニューヨークでホームレス生活を送るようになる。

 「グランドセントラル駅・冬」は、その12年間のホームレス生活を綴ったドキュメンタリーである。しかし、本書は単なる特異な体験記、あるいは社会を告発し糾弾するためのルポルタージュなどの類では決してない。カート・ヴォネガットの絶賛を受けた本書は、中川五郎氏の名訳を得て、第1級の文学作品に仕上がっている。その理由はどこにあるのだろうか。まず、著者リー・ストリンガーの視線だ。氏はまず自分自身にカメラの焦点を定め、内省的な検証を自らに加えた後、カメラをパンする具合にニューヨークの現在や、ホームレス生活で出会った人々に焦点を移す。そこにあるのは、確固とした作家の視点だ。

 次にニューヨークという街そのものの魅力である。われわれの観点から見れば、本書に描かれるニューヨークは、決して明るい街ではない。ドラッグや死に彩られ、文明の終末を思わせる退廃に満ち満ちている。しかし、リー・ストリンガーの筆は、それを極めて魅力的に私たちに示してくれる。これもまた、著者が自らの立ち位置をはっきりと認識している証である。つまり、リー・ストリンガーは極めて客観的にホームレスとしての自分を、ホームレス仲間を、そしてニューヨークという街を見つめており、実はそれこそが作家に求められる才能であり、姿勢なのである。

 私たちは本書を読み、ニューヨークという街の混沌に驚き、異境に思いを馳せる。そしていつの間にか、リー・ストリンガーの境遇や心境にまで、ごくごく自然に同化し彼に共感しながらページを繰るのである。人間を描き、街を描き、そして時代そのものを描ききった名作というべき作品である。
[ 2007/03/02 00:25 ] アーカイブ | TB(-) | CM(-)

アーカイブ原稿②書評「武士道というは死ぬことと見つけたり」

書評「武士道というは死ぬことと見つけたりジョージ秋山著(幻冬舎
初出……産経新聞2005年9月26日付号「旬を読む X氏の1冊」
bushido.jpg

 我々の世代にとって、ジョージ秋山という作家は、ある種の<異物>として記憶に刻まれた作家である。少年の日の夏、短い午睡の中で見た悪夢のような作家、と言い換えてもいいかもしれない。
 私が、初めて秋山の作品に巡り会ったのは、少年週刊誌に連載された「パットマンX」という作品だった。ここまでの秋山はまだ、ほのぼのとしたギャグまんがの描き手である。ところがその後、彼は少年読者にとっては唐突とも思える変貌を遂げ、「アシュラ」や「銭ゲバ」といった過激な問題作を連発する。「アシュラ」などは、そのカニバリズム的表現が問題とされ、掲載誌の回収騒ぎまで起こっている。
 今にして思えば、それは、大手出版社から刊行される少年週刊誌でさえ過激なメディアでありうることが可能だった時代の、漫画という新文化の激しいパワーを証明するエピソードである。しかし、まだまだ幼さをひきずっていた我々の世代には、それらの秋山作品は過激に過ぎ、トラウマに似たものを残しながら、秋山は私の脳裏に、<異物>として記憶されていったのである。ところが、そうであって尚、私は秋山作品を避けることはしなかった。その後も秋山が発表し続けた数々の問題作のほとんどを私は読んでいる。それほど、秋山の作品は少年にとって、抗いがたい魅力を放っていたといってよかろう。この辺りは、ほぼ同様の経緯をたどった同世代者も多いことと思う。秋山はその意味でも、異質な作家だった。
 その秋山が、このたび「武士道というは死ぬことと見つけたり」を書き下しという形で発表した。武士道の聖典ともいうべき「葉隠」は佐賀鍋島藩で1716年頃成立しているが、本書は、その「葉隠」から97の蔵言を選び、それを秋山が「独自の解釈」でまんがにしたものである。
 むろん、秋山の独自の解釈であるから、これまでに多くの知識人が試みた解釈とは異なっている点も多い。しかし、それは決して、秋山の誤読ということではない。「パットマンX」から現在も連載中の「はぐれ雲」に到る秋山の作品群を俯瞰すると、そこには一人の作家が、苦悩し試行錯誤しながら、自らの思考を確立し、それを創作に反映させてきた経緯が読み取れる。本書は、そんな秋山のある種の到達点といっていいと思う。だからこそ我々読者は、秋山の「独自の解釈」を彼自身の、作家としての思考の到達点として読むことができるのだ。長くの秋山の読者として、私は本書の刊行を喜びたい。
[ 2007/03/01 23:51 ] アーカイブ | TB(-) | CM(-)

アーカイブ原稿①自殺問題ルポルタージュ(未発表)

執筆……2005年11月
初出……未発表

 二〇〇五年六月に警視庁生活安全局地域課が発行した「平成一六年中における自殺の概要資料」によると、二〇〇四年には全国で三万二千三二五人が自殺している。前年比で二千一〇二人、六・一パーセントの減少ではあるが、これで九八年に初めて自殺者が三万人を越えて以来、七年連続の自殺者三万人超えとなった。人口一〇万人当りに占める自殺者数を表す自殺率に直すと二五・三。実に、一年間に、一〇万人中二五人以上が自殺する計算になる。これは、高度経済成長が始まる直前の一九五七年の自殺率に匹敵する数字であり、過去一〇〇年間の日本の自殺率としては、最高水準なのだ。
 自殺の原因・動機では、初めて自殺者が三万人を越えた九八年を境に、はっきりと「経済・生活問題」が増えており、それに伴って、働き盛りである四〇代、五〇代の自殺が増加傾向にある。まさに、現在の自殺問題の焦点は、<経済問題>であるといってよかろう。
 この数字は、実際に死んだ人だけをカウントしたものであるから、自殺を試みたものの、どうしても死にきれなかった自殺未遂者や、経済苦に悩み、常に死という選択肢を考えながら、重く苦しい日々を生きている人たちは含まれていない。この数字の背後には、数倍の<死を思いながら生きている>人たちがいるわけである。そう考えると、この国も、なんとも殺伐とした社会になってしまったものだ。
 そこで私は、実際に経済問題に苦しみ、自殺未遂の経験がある人に会い、その時の心境や、その後の生活を聞いてみた。実例を調べることによって、この数字の持つ、悲劇的な意味がよりよく理解できると考えたからだ。
 首都圏のある私鉄駅。都心からそれほど離れていないのに、各駅停車だけしか止まらないためか、駅前はひっそりと静まりかえっている。私は、駅近くの喫茶店で、今年四八歳になる佐藤義男さん(仮名)と会った。
「今思いますとね、まともな精神状態じゃなかったですね。ものごとを理屈で考えることがまったくできなくなっていたように思います」
 佐藤さんは、コーヒーカップには手を付けず、私の目を見据えたままそういった。彼は、四年前の夏、四三歳のときに自殺未遂事件を起こしている。原因は生活苦だった。
「七年ほど前までは、中堅規模の事務機器を扱う会社に営業職として勤めていました。でも、バブルの崩壊以降、お定まりの営業不振で、徐々に収入も減っていきました。給料も下がる一方で、最盛期の半分近くまで落ち込んでしまいました。経費も節約節約で、営業活動に支障をきたすほどでした」
 佐藤さんの最盛期の収入が、年収ベースでおよそ七五〇万円。それが不況の影響で四百万円台にまで減ってしまった。やがて佐藤さんはこのまま会社にいても、先行きにはまったく見通しがない、と考え始める。三六歳のときに買ったマンションのローンは、収入が減らないことを前提に組んであったので、支払いが苦しくなってもいた。二人いる子供は、小学五年生と三年生で、これからまだまだ、金がかかる。奥さんもパートに出て家計を支えたが、焼け石に水に近い状態だった。
「そこで転職を決意するわけです。今思うと、甘い判断だった、といわれても仕方がないんですが……」
 やっとコーヒーカップを口に運んだ佐藤さんは、悔恨を込めた口調でいった。今思うと、あのときが転機だった、と。佐藤さんが選んだのは、住宅リフォームの営業職で、完全歩合制の仕事だった。契約が取れれば取れるほど、収入が跳ね上がる。しかし、逆に契約が取れなければ、まったく保証はないわけだ。
「求人広告には月収二〇〇万も可能とありました。もちろん、それを鵜呑みにしたわけではありません。でも、前の会社でも、かつては好成績を上げていましたし、収入が減ったのはあくまでも会社の責任で、自分に能力がないわけじゃない、と考えていたんでしょうね。二〇年近く営業をやっていたわけですから、その時の人脈もある。前の会社にいたときよりは収入を増やす自信はありました」
 ところが、思惑通りにはいかなかった。契約が取れて、前の会社にいたとき以上の収入を得た月も確かにありはした。が、ほとんど契約が取れず、収入が少ない月もある。安定しないのだ。一年働いてみると、前の会社にいた時の三分の二程度の年収にしかならなかった。それも、前の会社時代の人脈を駆使し、親戚や友人のほとんどに声をかけての数字である。
「これ以上働いても収入は減る一方だと思いはしました。でも、また転職したところで、今よりいい条件が得られるとは思えない。更に景気は悪くなる一方でしたからね。私はもう、ここで頑張るしかないと覚悟しました」
 佐藤さんは今までにもまして、仕事に勢を出したが、なかなか結果に結びつかない。しつこく勧誘を続けるので、一人二人と友人も彼のもとを去っていった。そんな頃、この会社が顧客トラブルを起こし、それも佐藤さんの仕事に暗い影を落とした。が、それでも月々のローンは支払わなければならないし、妻子の生活もある。転職して一年数ヶ月経ったとき、佐藤さんは初めて消費者金融から借金をする。最初に借りたのは三〇万だった。
「でも、返せる宛てがあって借りた金ではありませんから、月々の返済期日が近づくと、また別のところから金を借りて返済に当てるわけです。ですが、恐ろしいのは、収入が足りないから借金をしているわけで、返済額だけ借りるわけではないんです。返済に必要な額プラス、そのほかに必要な金まで借りてしまう。もちろん、妻の名義でも借金をしました」
 こんな自転車操業が、ほぼ一年続いた。が、やがて破綻がやってくる。消費者金融への返済が滞り、新たな借り入れができなくなったのだ。三〇万から始まった借金は、新たな借り入れの繰り返しで、三〇〇万近くに膨れ上がっていた。
「この頃になると、夫婦仲も険悪になり、喧嘩ばかりです。いつも金のことが原因でね」
 やがて、佐藤さんが手を出したのが、俗にいう闇金業者である。都道府県知事や財務省の認可を受けない、無登録の業者だ。こういう業者は、簡単に金を貸してくれる代わりに、法外な利息を取る。まず、一度目は二万円を貸してくれた。が、五日後には一万円の利息を足して、三万円を返済しなければならない。これを返済すると、実績がついて、二度目は三万円貸してくれた。しかし、やはり返済は五日後で、今度は五万の返済である。次には七万円を貸してくれるが、同じ期日で一〇万円の返済。どうしても五日後に完済できない場合は、利息だけを払ってまた五日間ジャンプすることもできる。しかし、このやりかたでは元金はまったく減らないから、五日ごとに多額の金を毟り取られることになる。佐藤さんはとうとう、底なし沼に足を踏み込んでしまったのだ。
「一般の消費者金融と違って、闇金は取り立ても厳しいですからね。遅れないようにするために、消費者金融の時と同じように、闇金を何社も掛け持ちして借金することになりました。この頃になると、情けない話で、考えるのは金のことばかりです。一度、金策に歩いていて、めまいがして路上で倒れかけたことがあります。そのときに、車に轢かれそうになった。そんなときですら、轢かれていれば少しは金になったのに、と考えるありさまでした」
 マンションのローンも滞り、管理組合の会費も払えなくなった。毎日のように、消費者金融やローンの督促状が届く。給料が入れば、そのまま闇金の返済に大部分が持っていかれる。子どもの給食費は、銀行の口座からの引き落としになっていたが、それまで滞るようになった。やがて、そんな生活も半年を過ぎ、佐藤さんは運命の日を迎える。
「妻がもう一度だけ、親に金策を頼んでみる、といって、子どもを連れて実家に帰ったんです。もう何度も金を用立ててもらってましたし、それほど裕福な親でもなかったから、金が借りられる可能性はゼロだったんですが、妻も親の顔を見て、甘えたかったんでしょう」
 離婚すれば奥さんが楽になるのであれば喜んで離婚するつもりだったが、このときには既に奥さんも多重債務者で、パートの経験しかない彼女が、収入の多い仕事に就けるとも思えなかった。
「実は、私は、苦しい生活の中でも生命保険の支払いだけは続けていたんです。無意識のうちに、いつかこの日のために……と考えていたのかもしれません。いや、それも本当は言い訳かもしれない。私はただ、苦しい生活から逃げたかっただけかもしれない……」
 当時を思い出したのか、佐藤さんは腹の底から絞り出すような声でそういった。この時点で、佐藤さんの借金は、前述の消費者金融で借りた三〇〇万に加え、住宅ローンの残高が約三千万円。闇金業者のほうは、ジャンプを繰り返しているので、いったい、自分が今までにいくら支払って、残額がどれくらいになっているのか、佐藤さん本人にも判らなくなっているほどだった。
「借金の総額が問題というよりも、月々やってくる支払いが苦しくて仕方がなかったんです。住宅ローンにしても、毎月一四万ずつ払い、ボーナス時には五〇万近く払わなければならない。支払日が近づくたびに、気が変になりそうでした。いつまでこんなことが続くんだろうと……」
奥さんと子どもが実家に帰り、自宅マンションに一人きりだった四年前の夏の夜、佐藤さんは、安いウイスキーを買ってきて、鼻をつまんでそれを一本まるまる飲んだ。その上で、台所にあった包丁で、左の手首を切った。あらかじめ、風呂桶に張っておいた水に左手を突っ込んでおくつもりだったが、そうできたかどうか彼は覚えていないという。風呂場のドアを開けたところまでは記憶があるが、それ以降は、酩酊してまったく記憶がないというのだ。
 佐藤さんが気がついたのは、病院のベッドの上だった。妻と子供二人の顔が目に入った。後に聞いたところによると、彼女らはずっと佐藤さんを看病してくれていたらしい。
「私が意識を取り戻したときに、子どもが、本当に嬉しそうな声で、『パパが気がついたよー』と叫んだんですよ。妻も、よかった、といって泣き始め、家族四人でわあわあ泣きました。私はなんてことをしたんだ、と思いましたよ」
 退院後、佐藤さんは債務の整理を考え始める。弁護士にも相談し、圧縮できる債務は何とか圧縮して、返済したかったのだが、弁護士の意見は、それは無理、というものだった。しかたなく、佐藤さんは破産という方法を選んだ。
「破産だけはしたくなかったんです。人に迷惑をかけることになりますからね。しかし、このままの生活を続けていても、妻子を始めいろんな人に迷惑をかけるのは同じです。ならば、一度、全部きれいにしてやり直そう、と考えました」
 今の佐藤さんは、住宅リフォームの会社も辞め、前に勤めていた会社の取引先に、職を得て、地道に働いている。子供二人もアルバイトをしながら高校に通う身だ。破産に伴い、マンションを手放したから、住居も都営住宅に変わった。今は幸せだ、とはっきり佐藤さんはいう。私は最後に、年間自殺者の数字を彼に告げ、どう思うか聞いてみた。
「どんな理由をつけようと、自殺は逃避だと思います。私もあのまま死んでいたら、子どもたちまで責任を感じて、彼らの一生も狂っていたでしょう。苦しくても生きるべきです。私みたいな人間でもやり直せたんだから、やり直せない人なんていませんよ」
 清々しい表情で、佐藤さんはそういってくれた。が、私は、その顔を見ながら、少し、複雑な心境になっていた。私も数年前に経済問題に苦しんだことがある。その結果、半年間の路上生活まで経験することになった。だから、佐藤さんが徐々に追い詰められていった心境は、まさに我がこととしてよく理解できる。しかし、そうであって尚、借金の返済のために借金を繰り返すなど、彼の選択が間違っていたのではないか、と思える点も多々あったからだ。それは、彼の<真面目さ>を表すエピソードかもしれないが、真面目さが死を選ぶ結果に繋がったのでは、まさに本末転倒そのものである。そう考えると、あるいはひょっとしたら、佐藤さんの自殺未遂は、回避可能なことだったのかもしれない。また、私は路上生活時代やその後、日本のホームレス問題について調べているとき、職に就きたいのに就けないという、中高年のホームレスの声を何度も聞いた。彼らは、職にさえ就ければ、こんな生活から抜け出せるのに、と、その苦しい胸の内を私に語ったものだ。借金を繰り返すことになったにせよ、一度も失業することのなかった佐藤さんは、あるいは幸福な立場だったかもしれないのである。彼には、そのことを忘れて欲しくないと、私は思った。
 年間三万二千三二五人が自殺するということは、単純計算で一日の自殺者が約八八人。一時間に三人強が自殺する計算になる。私が佐藤さんの話を聞いたのがほぼ三時間だったから、この間にも一〇人の自殺者が出る計算だ。そんな社会はやはり、異常である。苦しかった日々を思い出したのか、遠くを見るような眼でコーヒーを飲み干した佐藤さんの顔を見ながら、私はそう思った。
[ 2007/03/01 23:43 ] アーカイブ | TB(-) | CM(-)
来訪者数
松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

メールフォーム
松井計への仕事のご注文は、松井計事務所にご連絡ください。下のアイコンをクリックすると、メールフォームが開きます。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。