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37歳

 ロサンゼルス・エンゼルズ・オブ・アナハイムの松井秀喜は、好調時と不調時の落差が激しく、怪我の影響を心配させる状況が続いているが、シアトル・マリナーズのイチローは、今年も例年通りの大活躍で、まさにメジャーリーグでも歴史的なスーパースターのひとりになった感がある。

 しかし、彼はたいしたものである。オリックス・ブルーウェーブで日本初のシーズン200本安打を達成して以来、日本プロ野球、メジャーリーグと活躍の舞台を変えながらも、毎年、フルシーズン活躍して、3割以上の打率を残している。これは特筆すべきことだ。20年近くプロ生活を続けていれば、怪我をすることもあるし、不調のままシーズンを終えることもある。それが当たり前だ。しかし、イチローにはそれがない。この点でも、彼は稀有な存在といってよかろう。

 さて、そのイチロー、今年で37歳になる。昔は、37歳といえば、そろそろ現役引退が近づいたり、そうでなくても、出場試合数が減ったりする年齢だった。今年で47歳になる埼玉西武ライオンズの工藤公康は別格とするにしても、最近、プロ野球選手の現役生活は長くなっている。が、そうではあっても、37歳にして、メジャーリーグでトップの成績を残しつづけるイチローは賞賛すべきだろう。

 そこで、球史に名を残す過去の大選手の、満37を迎えるシーズンの成績はどうだったのか、調べてみることにした。まずは、イチロー登場以前の、安打製造機張本勲。彼は昭和15(1940)年生まれであるから、満37歳を迎えるシーズンは、昭和52(1977)年である。この年、張本は日本ハム・ファイターズから讀賣ジァイアンツに移籍して2年目、122試合に出場して、3割4分8厘。24本塁打、82打点の成績を残している。打率は、首位打者こそヤクルト・スワローズの若松勉に譲ったものの、セリーグ2位。その若松勉の37歳のシーズンは、昭和59(1984)年。この年の若松は、114試合に出場して、3割2分5厘、9本塁打、50打点。打撃成績は、セリーグ5位である。

 張本と同い年の王貞治は、当然の事ながら37歳を迎えるシーズンも張本と同じである。この年の王は、130試合全試合に出場。3割2分4厘、50本塁打、124打点。しかも、126個のフォアボールを選び、出塁率は、驚異的な4割8分2厘。この年の本塁打、打点の2冠王で、打率はリーグ8位。では、ONのもう1人長嶋茂雄はとなると、37歳のシーズン、彼は127試合に出場して、2割6分9厘、20本、76打点。翌年限りで現役を引退している。

 では、以下に、その他のおもだった選手の、満37歳を迎えるシーズンの成績を列記してみよう。

野村克也(南海ホークス)129試合 292 35本 101打点(打点王、本塁打2位)
川上哲治(讀賣ジャイアンツ)128試合 284 5本 52打点(打率5位)
山本浩二(広島東洋カープ)129試合 316 36本 101打点(本塁打王、打点2位、打率4位)
衣笠祥雄(広島東洋カープ)130試合 329 31本 102打点(打点王、本塁打6位、打率3位)
大杉勝男(ヤクルトスワローズ)88試合 282 17本 59打点(規定打席不足)
古田敦也(ヤクルトスワローズ)120試合 300 9本 60打点
原辰徳(讀賣ジャイアンツ)70試合 201 6本 15打点(このシーズン限りで引退)
田淵幸一(西武ライオンズ)82試合 293 30本 71打点(規定打席不足で30本塁打)
福本豊(阪急ブレーブス)130試合 284、11本、51打点、23盗塁
谷沢健一(中日ドラゴンズ)130試合 329 34本、99打点(打率、打点2位、本塁打4位)

 なかなか大変な作業なので、この程度でやめておくけれども、ここまでアットランダムに思いついた大選手の37歳のシーズンの成績を調べただけでも、意外な結果だということがよく分かる。むろん、原はその年限りで引退しているし、川上、大杉、田淵も翌シーズン終了後に引退しているから、現役生活の晩年ということには間違いはない。しかし、それにしても、多くの選手が好成績を残しているのには驚いた。感覚としては、私は、みんなもう少し、成績を落としているのではないかと思っていた。いやいや、やはり、実際のデータに当たってみるのがいかに大切か、ということなのだろう。

 となれば、イチローも、一つ年下の松井も、まだまだ老け込む歳ではない。もっともっと、彼らのメジャーリーグでの活躍を期待したい。

 ところで、私は、この項を記しながら、ついでに過去の著名な作家が、今の私と同年齢の時に、どんな作品を発表したか調べてみようかと思った。が、それはやめることにした。もし、そんなことをすれば、我が身と比較して、焦燥感しか覚えないことは明らかだ、と気づいたからである。
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[ 2010/05/15 22:36 ] スポーツ | TB(0) | CM(-)

残念だ

 横綱朝青龍が、一連の騒動の責任を取る形で引退した。残念で残念で仕方がない。朝青龍は突出した名力士だった。もう少し彼の相撲を見たかった。むろんそれは暴行事件を是認するという意味ではない。そこは誤解なきよう願いたい。

 実は、私はしばらく相撲を見ない時期があった。当時の横綱貴乃花が休場を繰り返している頃からだ。何だか相撲がつまらなくなり、NHKの相撲中継も見なくなった。何故、当時の私が相撲から遠ざかったかというと、俗にいう若貴時代は、大鵬、柏戸の柏鵬時代(私の子供の頃である)の縮小再生産にしか感じられなかったのだ。世間の熱狂と裏腹、何とも物足りなかった。

 私が最も相撲に熱中できたのは、千代の富士と隆の里が関脇で、大関昇進を争っている時代。2人とも後に横綱になるが、あの頃は面白かった。まずは2人のライバル関係があったし、何より千代の富士の相撲は革新的だった。あのスピード、あのパワー! 今でも懐かしい。そういう時代を経て、相撲界は若貴時代を迎えるわけだが、千代の富士の頃と比べると若貴の相撲は、時代を後退させたもののように私には感じられた。そして何時の間にか相撲を見なくなった。

 ところが数年前、今、小学校2年生の倅が相撲好きになり、私に、
『一緒にテレビで相撲を見ようよ』
 とよく言うようになった。そこで彼と共にテレビで朝青龍を見て、私は後悔した。こんな奴がいるのなら、もっと早く見ておけばよかったと。そこには、小柄でスピードがあるのにパワーもあり、加えて技のテクニックまである力士がいた。倅も朝青龍のファンで、以来、親子でよく相撲の話をするようになった。が、その朝青龍ももう29歳。現役生活の終わりが近いことも明らかだった。そこで私は倅に、
『朝青龍もそろそろだから、今のうちによく見ておいたほうがいい』
 と話すとともに、今年のうちに倅を国技館に連れて行こうと考えていた。それがタイムリミットだと思った。倅にとっては、自分のヒーローの幕引きを目撃する初めての機会だ。男の人生において、それは重要な経験になると思った。ところが今回の騒動で、それも叶わぬことになった。倅にとって――つまりは朝青龍のファンにとって不幸なことである。こんな唐突な幕引きは、あまりにも哀しく寂しい。

 しかし引退会見くらいは横綱が自分の意志を正確に話せるように、モンゴル語の通訳をつけてはどうか。そうしなかった相撲協会は無礼者と言われても仕方がない。寂しい話だ。
[ 2010/02/04 20:00 ] スポーツ | TB(0) | CM(-)

なかなか強いな

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦、日本代表対韓国代表の試合をテレビで見た。9回のウラに同点にされてヒヤヒヤさせておきながら、延長10回、イチローのタイムリーで勝ち越すなど、なかなか面白い試合だった。ま、最後に打たれた韓国代表の林投手は、私の愛する東京ヤクルトスワローズの抑え投手だから、些か、ペナントレースが心配にはなったのだけれども。
[ 2009/03/24 16:39 ] スポーツ | TB(0) | CM(-)

なんともはや…

●高校を卒業したばかりの若者の言動に対し、いい年をした物書きがブツブツいうのも大人気ない。それは充分に理解している。

●しかし、それが私の数少ない娯楽であるプロ野球にかかわることで、しかも、各メディアで大々的に報道されるとなると、一言しておきたくなるのが人情だ。

●まず、福岡ソフトバンクホークスの18歳の選手が昨年末の選手会納会で飲酒し、急性アルコール中毒で救急搬送された事件。
[ 2009/01/15 15:29 ] スポーツ | TB(0) | CM(-)

旧悪を詫びる・石毛さん、ごめんなさい

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 繰り返し記しているが、私は日本プロ野球のファンである。私は、野球ほど、エンタテインメントの要素を完璧に充たしているスポーツはほかにない、と考える者である。その中でも、私は東京ヤクルトスワローズのファンだ。今、日本プロ野球は、セパ交流戦が始まっている。スワローズファンの私としては、CSのフジテレビ731で、毎晩のように東京ヤクルトスワローズの試合を楽しんでいる。まあ、なかなか勝てないのだけれど、勝つことだけが野球の楽しみではない――そんなことを感じながら、ナイター中継を楽しむ毎日だ。

 ところが、セパ交流戦が始まって、実は私は、多少の違和感を覚えてもいるのである。パシフィックリーグのファンの、球場での振る舞いが、どうしても理解できないのだ。試合が行われている間中、観客がみんな、同じ振付けて踊ったり、歌ったりしている姿には、私は、空恐ろしさ以外の何物も感じない。この人たち、ほんとうに野球の試合を楽しんでいるのだろうか――そんな思いから自由ではない。

 で、今夜も、そんなことを考えながら、東京ヤクルトスワローズ対北海道日本ハムファイターズの試合を眺めていたら、はっ、と気づいたことがある。村上春樹ふうに言えば、それは、あたかも天からティッシュペーパーが降ってくる具合に、私の脳裡に天の啓示の如く甦ったのである。

 若い頃――20歳くらいのころかなあ。神宮球場における私自身の恥の歴史を思い出したのだ。これまた、先人の言葉を借りれば、埴谷雄高が言うところの<自同律の不快>のようなものを、私は感じた。

 その頃のある日、私は大学野球を観戦するために、神宮球場の3塁側内野席に座っていた。で、その時、石毛宏典選手が、敵軍の遊撃を守っていたのですね。駒澤大学からプリンスホテルを経て、西武ライオンズに入団し、その後、FA権を行使してダイエーホークスに移籍、現役引退後はオリックスブルーウェーブの監督も務めた石毛である。

 当時の石毛と言えば、大学野球の大スターである。その頃の私も、駒澤大学の先発ラインナップの中で、名前と顔を知っているのは石毛だけだった。で、その日、私は石毛を野次りまくったのですね。きっかけは、石毛が強い当りの遊撃ゴロをエラーしたことだった。私は大声で、

「おい、石毛! 阪急のスカウトが見にきとるぞ!」

 と野次ってしまったのである。当時は、スポーツ新聞なんかに、『阪急ブレーブス、駒沢大石毛を一位指名に決定』なんぞという記事が踊っていましたから。それにしても、今にして思えば、若さゆえとは言え、なんとも情けないなあ。しかし、石毛さんは、そのあとも、真面目に遊撃を守っておられた。ところが、何イニングか後、またエラーをしたのですよ。

 当時の私としては、やったー、なので^^; また、野次りました。
「おい、石毛、大学野球では、八百長はめったにないぞ!」
 ひどいもんだなあ。今の私から見ると、当時の私に腹が立つ。まあ、それはそれとして。大学野球なので、観客は非常に少ないわけで、私の野次が、石毛選手にも聞こえたのだと思う。彼は、私が座っている3塁側スタンドを振り返り、厳しい目つきで睨みつけておりました。

 そこで止めておけばいいものを、当時の私はアホですから、
「おいっ、石毛、ボール来てるぞ! 睨んでるときじゃないぞ、ほらっ。またエラーするぞ。阪急のスカウトが帰っちゃうぞ!」
 とまた、野次り倒したのでありました。あの時の、石毛の慌てた顔、面白かったなあ。いや、そういうことを言ってはいけませんね。今回は、私は旧悪を反省しているわけですから……。

 それにしても、我ながら、なんとも情けない……。当時、私は20歳。石毛さんは、2学年上の22歳だったと思います。今思うと、とんでもないバカ大学生ですなあ……。今日、CSでナイター中継を見ていて、唐突にそれを思い出した次第。

 石毛さんが、このブログを見ていらっしゃるとは到底思えませんが、この場を借りて、若い頃の過ちをお詫びしますよ。石毛さん、ごめんなさいm(_ _)m 石毛さん、 四国独立リーグを退かれた後、どうなさるのか気になっておりましたが、今度は、関西独立リーグのコミッショナーに就任される由。それはそれで素晴らしいことだとは思いますが、ぜひ、NPBの舞台にも復帰して欲しいです。

 で、東京ヤクルトスワローズ戦で、どこかのチームの監督になった石毛さんが采配を振るっておられたら、私も、若い頃を思い出して、また、遠慮なく野次らせてもらいますから……。ありゃ、私、まったく反省していないのかな?

 
[ 2008/05/29 01:08 ] スポーツ | TB(-) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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