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卒業式

 今日は――いや、日付が更わったから、正確にはもう昨日になるけれども、娘の小学校の卒業式で、私も妻と一緒に出席してきた。親とは愚かなもので、ついつい我が子はいつまでも小さいような気になってしまうが、いつの間にか娘も小学校を卒業する歳になったかと思うと、些か、感慨深いものがある。

 今の卒業式は、『蛍の光』も『仰げば尊し』もなく、私の頃とはかなり違っている。しかし、そうではあっても、思春期前期に入った子供たちの、新しい門出の日だということには全く変わりはなく、あの厳粛な雰囲気には、どこかしら心打たれるものがある。

 娘は、和服に袴姿で卒業式に出た。妻からそうするつもりだと聞いたとき、ひょっとして、そんな恰好で出るのは、うちの娘くらいのもんじゃないのか? と、少し不安になったのだけれど、実際には、ほかにも何人か和服で出席している女の子がいた。私立の中学に進む子は、誇らしげに、その中学の制服に身を包んでいる。それぞれの旅立ち、それぞれの春……。なんだか胸が詰まって、ついつい涙ぐんでしまった。年甲斐もないことである。

 子供を持つということは、命の連鎖を再認識するということでもある。私は、卒業式に臨む娘の姿を見ながら、私の卒業式のことを思い出した。私の母親は小学校の教員であったから、私の卒業式の日は、彼女も自分の勤務先の卒業式である。だから、私の小学校の卒業式には、母は出席していない。

 代わりに、親父が電電公社を休んで出席してくれた。私は、そのとき、初めて彼のネクタイを絞めたスーツ姿を見た。親父は、電電公社に出勤する時は、いつもノーネクタイだったのだ。何故、それが許されたのかはよく分からない。むろん、彼はデスクワークだった。ただ、それがあまり公社に歓迎されていなかったのだろうことは、少し後に分った。親父の学校の後輩が、電電公社に入社して、親父そっくりの恰好で出勤したところ、上司にひどく叱られたというのである。なんで親父はよかったのか、それは今もって分からない。不肖の倅が口にするようなことではないけれども、親父はかなりな変人だった。しかし、私は、そんな親父が大好きだった。いや、違う。彼がみまかった今でも、私は親父が大好きである。

 中学、高校の卒業式にもそれぞれ思い出がある。その頃も母は小学校教員であったけれども、というよりも、母は、死が訪れるそのときまで、現役の教員であったのだが、小学校とは卒業式の日が違うから、私の卒業式に出席してくれた。大学の卒業式は――今でもあるかどうか分からないけれども、卒業式会場になる体育館の前に、噴水のある大きな池があった。当時、うちの大学の学生は、学園祭や卒業式など、何かイベントがあるたびにその池に人を投げ込むのが伝統になっていて、私も、ゼミの仲間に投げ込まれた。池の水はまだ、冷たかったなあ。今では統率力やリーダーシップ、人徳なんぞというものとは全く無縁の生活を送っているが、当時の私はゼミ長だったのである。そういえば、小学校時代はずっと級長(死語!)だったし、中学の頃は、副生徒会長だった。まさに、隔世の感を覚えるのみ。

 袴姿の娘を見ながら、私はそんなことを思い出した。そして、延々と続く命の連環の中に、私と娘が存在していることを強く実感し、幸福な気分になった。

 卒業式の後は、家にいた倅も呼んで(卒業式には在校生は5年生しか参加できないのである。従って、2年生の倅は、一人で家で待っていたのだ)、一家4人で昼飯を食した。娘があまりにたくさん食べるから吃驚した。「朝からなんにも飲んでなーい」なんぞといいながら、オレンジジュースを一息で飲み、2人前のメニューをいっぺんに食べた。おそらく、彼女なりに、卒業式で緊張していたのだろう。娘にとって、素晴らしい経験になったろうと思う。

 食事の後、友達と集まる予定があるとのことで、娘は我々と別れ、一人で待ち合わせ場所に向かった。仲がよかった友達の何人かは、娘とは違う中学に進学する。彼女にとって、生まれて初めての別れ、というものになるのかも知れない。環境が変わっても、友情は続いて欲しい。いや、環境が変わるからこそ、より友情を深めて欲しいと思う。

 4月からは娘も中学生だ。小中一貫教育で、中学1年生とはいわずに、7年生と呼ばれるところが私には些か違和感があるけれども、まあ、中学に進学することに違いはない。娘にとって、今までとはまた違った、新しい春になることだろう。今よりももっともっと多感になるだろうし。娘よ、若い日々を、思いっきり生き生きと楽しんで欲しい。笑うことも、泣くこともあるだろう。嬉しいことや辛いこと、様々な感情を持つだろう。あるいは、それらを苦しく思うことがあるかも知れない。しかし娘よ、それが生きるということなのだ。人生の喜びというものなのだ。父は、君がその小さな体いっぱいに、人生を感じながら、生き生きと、溌剌と、日々を過ごしてくれることを祈っている。そして、今日という日のことを、いつまでも忘れずにいなさい。新しい旅立ち、そして、仲のよかった友達との、別れの日のことを。

 卒業、おめでとう。 
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[ 2010/03/25 02:07 ] 親ばか | TB(0) | CM(-)

メディアリテラシー

●先だって、小学5年生の娘が、
『パパは愛媛県の恥なの?』
と、唐突に聞いてきた。愛媛県は、私が小学校から高校までを過ごした場所である。
『なんだ、それ? パパは愛媛県にはもう20年以上行ってないよ』
『だって……』
聞いてみるとこういうことだった。娘がインターネットで、私の名前を検索してみたのだそうな。そしたら、ヒットした中に、美人作家だか熱血作家だかを名乗る人の日記があり、そこにそういう記述があったらしい。

●その作家は、私にとっては未知の名前で、どんな作品を書いているのかも知らなかった。知り合いの文芸編集者3人ほどに聞いてみても、
『知りませんね。名前を聞いたこともないです』
とのことだった。仕方がないから、娘が私に教えてくれた名前で検索してみると、その人のサイトはみつかったものの、日記のコーナーは見当たらず、私が『愛媛県の恥である』云々の記述も見つけられなかった。

●おそらくこの人はかつて、サイトに日記を公開していて、その中に私の悪口を書いたのだろう。で、どういう事情でかそれを削除した。娘が使った検索エンジンは、そのキャッシュを拾ったということだろう。私もキャッシュを探してみようかとも思ったが、馬鹿馬鹿しいからやめた。

●サイトを見るに、かなり前に東京の中小版元からノベルスを数冊刊行したことのある人のようである。現在は、地元の愛媛県で活動なさっているらしい。この人が東京の版元で仕事をしている頃に面識があり、何か無礼なことでもしたのだろうか? と記憶を手繰ってみたが、まるで身に覚えがない。第一、私と仕事先が共通していない。一切、面識はないと考えてよかろう。

●インターネット時代は難しい。未知の人が書いたわけの分からない悪口が、既成事実として一人歩きしてしまう。私は大人だから、その無名の美人だか熱血だかの人に憐れみ以外の何の感情も持たない。が、娘はそうはいかない。

●『ほんとうにパパは愛媛県の恥なんだろうか』
と、小さな胸を傷めることになる。それは、娘にとって不幸なことである。そろそろ娘にも、メディアリテラシーについて教えなければならなくなったようだ。

●私は10年ほど前、大学でメディアリテラシーを教えていたことがある。あの頃は、高校や大学から始めれば十分だと思っていたが、もはやそうではないようだ。小学生からメディアリテラシー教育が必要な時代になったようである。なかなかに難しい時代だ。
[ 2008/12/16 20:43 ] 親ばか | TB(-) | CM(-)

野球、相撲その他

●先日、妻と娘が買い物をしている間、倅と2人でマックで待っていると、彼が急に、
『パパ、相撲見ようよ』
と言い出した。携帯のワンセグで相撲のテレビ中継を見たいというのである。時刻は5時半近くで、そろそろ『これより三役』の取り組みだった。

●テレビを点けてみて驚いた。あまりに倅が真剣に相撲を見るので。時に、おっ、などと奇声を発し、文字通り手に汗握って観戦している。決まり手を教えてやったり、簡単な解説を加えてやったりすると、
『パパ、詳しいね』
なんぞとにこにこする。

●これは昔ながらの父と息子の時間ではないか――そう思うと、奇妙に嬉しいから私も親バカである。私も、子供の頃は親父と一緒によく相撲を見たものだ。大鵬の全盛時代で、私はどちらかといえばライバルの柏戸のほうが好きだった。一番熱心に相撲を見たのは大学生の頃で、ちょうど隆の里と千代の富士が関脇で、どちらが先に大関になるか争っていた時代。関脇が強い場所は面白いというが、まさにその通りで、あの頃の相撲は面白かった。後に2人とも横綱になって一時代を築いたのは周知のとおり。

●結びの一番が終わると、倅、ふーっと息を吐き、
『ねえ、相撲はどこでやってるの?』
と訊く。
『今やってるのは九州だよ。福岡県だ』
『じゃ、見に行けないね』
『1月には初場所があって、これは両国国技館だから行けるよ』
いうと倅、
『ほんと? 行こうよ、ねえ連れてってよ』
と凄い勢い。いいよ、と応じると意外なほどの喜びようだった。

●それにしても意外だった。神宮に連れて行ってやるぞと言っても関心を示さず、サッカーには行きたいとは言ったものの、その後、全く積極的な姿勢を見せなかった倅が、相撲にはこれほど興味を持つとは。

●考えてみれば、一対一の戦いで勝負が早く、勝敗も分かりやすい相撲は、プロスポーツ観戦の入門編にはもってこいかも知れない。私は、子供たちには、相撲でも野球でも映画でも芝居でもいい、<出かけて実物を見る>文化により多く触れて欲しいと考えている。その意味でも、この日の倅の申し出は嬉しかった。

●プロ野球にせよ、相撲にせよ、あるいは映画や商業演劇、寄席などの文化は黄金時代を過ぎ、今や黄昏時を迎えているのやも知れぬ。しかし、それらの文化がきちんと存在しなければ都市の文化などありえない。私はこれから先、私の子供たちには少しでも多くそれらに触れさせてやりたいと考えている。
[ 2008/11/27 23:46 ] 親ばか | TB(-) | CM(-)

倅のことなど

●夕方から、倅が持病の喘息で入院中の病院へ行き、面会時間の最後まで彼に付き添う。倅の入院は今回で二度目。今日は体調もほとんど回復しており、明日の午後3時に無事、退院できる運びとなった。とりあえずは一安心。が、明日から寒さが厳しくなる由で、当面は気をつけてやらないといけないと思う。

●医者は、退院してもしばらく学校を休んだほうがいいかも知れないというのだが、倅は、どうしても月曜から登校したいという。彼は学校が大好きなのだ。できるだけ無理はさせたくないが、まずは明日の体調を見てからということになるだろう。とにかく、健康を回復することが一番だ。元気でありさえすれば何でもできる。倅よ、無理をせず、焦らず、病気を治そうな。

●世間を騒がせている田母神前航空幕僚長の論文を読む。なんじゃ、これは? よくこんな内容で最優秀賞を取れたものだ。政府見解に反する論文を、昔風の呼び方をすれば、空軍大将、参謀次長の地位にあるエリート軍人が書いたというから、どれほど危険な内容かと思っていたら、新橋辺りの、オヤジさん御用達の居酒屋へ行けばいつでも聞けるような内容で拍子抜け。特に、真珠湾奇襲作戦に関する陰謀史観など<論文>と呼ぶにすら値せぬ。こんなことで日本は大丈夫なんだろうか。

●近々、私にとって初めての対談本が出る。そのゲラが届いているので、今夜、朱を入れる予定でいたのだが、さすがに疲労がひどい。軽く寝酒を飲んでから横になり、ゲラ直しは明日に回すことにする。
[ 2008/11/09 04:03 ] 親ばか | TB(-) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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