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謹賀新年



新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

2014年は激動の1年になりそうな予感がありますが、揺るがぬ信念、鋼鉄の意思をモットーに頑張る所存でおります。

何卒、旧に倍するお引き立てを賜りますよう。
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[ 2014/01/01 00:41 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

暑くなりました

 急に暑くなってきましたが、皆様、お変わりありませんか? 被災地で、今尚、苦しい生活をなさっている方も多いことと思います。衷心より、お見舞い申し上げます。一刻も早く、普通の生活が取り戻せますように。

 さて、ここのところ、新刊書籍やテレビ出演の告知ばかりを記しており、私の肉声で、ご挨拶しておりませんでしたので、今日は、近況をお伝え方々、ご挨拶に代えたいと思います。

 矢島誠さんとの合作名義、松島京作名で「本所深川謎解き控え 一番手柄」(徳間文庫)を刊行して、3箇月が過ぎました。この作品が成功したかどうかは、読者諸賢の評価を待ちたいと思いますが、私にとっても、矢島さんにとっても、思い出深い作品になることは間違いないように思います。

 ある程度のキャリアを積んできますと、不思議なもので、自作の中でも、いつの間にか記憶から消えてしまう作品があるかと思えば、逆に、刊行後、何年経っても思い出に残っている作品もあります。「本所深川謎解き控え 一番手柄」は、後者に属する作品になるとことでしょう。<合作>という、普通の形式ではない作品だということもあり、とても楽しく執筆することができました。

 これからも、松島京作名義での作品を発表していくつもりです。今、新しい長篇を一本と、「本所深川謎解き控え 一番手柄」の主人公でもある<軽業為吉親分>を主人公とした短編小説を作っています。<捕物帖>という形式は、伝統的に、短編が似合っているように思います。矢島さんとともに、<江戸時代を舞台とした本格推理小説>を目指したいと考えています。

 さて、今日もまた、ひどい暑さでしたが、今年は、節電の影響もあって、熱中症が増えることが心配されますね。私自身、一昨年と一昨昨年、2年続けて熱中症に罹り、一度は冗談ではなく、命が危ない状態になりました。その時の経緯を、雑誌に書いたのですが、今年の8月、その文章が単行本に収録される予定になっています。

 告知してよい時期がきましたら、ここに詳細を発表したいと思いますので、今しばらくお待ちください。おそらく、熱中症に罹った経験のある作家が、それを文章化した例というのは、まだ、あまりないと思いますので(自慢になる話ではありませんが)、少しでも、読者諸賢の参考になれば、と思います。

 また、来月からは、私の旧作が何作か、順次、電子書籍としてリリースされる予定にもなっております。これも、時期が近づきましたら、ここに詳細を告知させていただきたく思います。拙著の電子書籍化は初めてのことですが、旧作が新たな生命を与えられることは、著書として嬉しい限りです。

 これからが暑さ本番で、私は7月生まれにしては、夏が苦手なものですから、今から気が重いのですが、読者諸賢も、体調を崩したりなどなさいませんように。くれぐれもご自愛くださいますよう、お願い申し上げます。
[ 2011/06/24 22:39 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

明けましておめでとうございます

正月

 新年明けましておめでとうございます。旧年中はご愛読を賜り、誠にありがとうございました。本年も、旧に倍するご支援を頂戴できれば、これに優る喜びはありません。

 昨年は、都の青少年保護条例問題、ウィキリークスによるアメリカ公文書の流出問題、海上保安官による尖閣ビディオのYuoTubeへの公開問題、警察の極秘資料の流出と、それに伴う同文書の出版問題等々、言論と表現に関るニュースが目立った一年だったと私は考えます。

 それは、ある意味では、<言論・表現の自由>が危機を迎えている時代だと言い換えることができるかもしれません。私は、作家として、表現者として、言論人として、<言論・表現の自由>は何にも増して、守られなければならないものだと考えております。

 特に、都の青少年保護条例の問題は深刻だと考えます。これは、明らかに<権力による言論への介入>であり、ほかの事件とは根本的に趣を異にしています。更に、この問題では、テレビメディアにおける石原都知事の暴言は目に余るものでしたし、ツイッターにおいての、猪瀬副知事の発言も、哀しくなるほど非論理的な暴言でありました。就中、<負け犬>などと、表現者や都民を<犬扱い>する発言に触れた時、都民として私は、情けなさ以外のどんな感情も持つことはできませんでした。

 今の東京は知事が作家=表現者であり、副知事の一人も同じく作家=表現者であるという、歴史上、極めて稀な体制の時代です。そんな時代に、<言論・表現>に権力が介入する条例が成立してしまったという事実は、まさに歴史の皮肉というほかありません。

 しかし、そうであって尚、私は状況を楽観してもいます。角川書店の宣言を出発点として、コミック10社の会が今年春の、「東京国際アニメフェスティバル」への参加を辞退し、漫画家の川崎のぼるさんも同フェスティバルにおける表彰を辞退なさいました。
 このように、言論・表現の立場からの激しい反発・直接行動がある限り、私はこのまま、<狂気の為政者>主導での言論統制社会がやってくることはないと考えています。そこが戦前とは違っているところで、それだけ、言論機関も表現者も成長しているのだと信じます。むろん、私も、言論・表現の自由のためであれば、徹底して戦うことを厭いません。

 以下、私事。私は、本年も小説とノンフィクションの2分野で活動するつもりですが、年明けにはまず、「土方歳三・北海の剣」(青樹社・1998年)以来13年ぶりとなる時代小説を発表する予定です。これにつきましては、近々、詳細を告知させていただきます。また、ここ数年、ずっと取材を続けてきたノンフィクション用のある材料も、今年は何とか形にできれば、と考えております。こちらのほうは、まだ少し、時間が必要かもしれませんが。

 最後になりましたが、読者諸賢にとって、今年一年が、実りある一年になりますように!
[ 2011/01/01 00:00 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

ギャランティ

 我々、文筆家は、収入と労力が必ずしも一致しない。というのは、たとえば1冊の本を書き下ろすのに必要な労力は、どのような本であれ、ほぼ一定しているが、そこから発生する収入には、大きな開きがあるからである。仮に、定価が1500円の本で、初版が8千部だとする。この本が初版限りで重版できなければ、印税総額は税込みで120万円だが、これが版を重ね、10万部売れたとすると、1500万円の印税が発生する。ここには、実に10倍以上の収入差が存在するわけである。もちろん、同じ本だから、当然のことながら、初版どまりだった場合も、版を重ねた場合も、執筆に必要とした労力は変わらない。

 旧作が文庫に入る場合や、雑誌に発表済みのものを単行本に纏める場合などは、状況が少し違ってくるが、煩瑣になるので、詳述は避けることにする。この場合でも、刷り部数によって収入が変化することは同じだから、その点だけ理解していただければと思う。

 常にヒットを出しつづける作家なら、このように極端なことはありえまいが、私程度の実力だと、こういうことは頻繁に起こりうる。私の過去の実績でいえば、最も初版部数が少なかった本が5000部。これは、子供向けで、かつ高価格の本ということもあって、今のところ、初版限りで止まっている。逆に最も初版部数が多かったものが、4万部。幸にして、この本はその後、版を重ねることもできたから、最終的には、その数倍の部数が出た。こうなってくると、前者から発生する収入と、後者から発生する収入の間には、かなり大きな開きが出てくるわけである。

 しかし、我々文筆家にとって、これは当たり前のことであるから、ある種の<職業的特質>として折込済みで、このことを理不尽と考えることはないし、悩みの種になることもありえない。もっとも、現在は不況期なので、売れ行きが鈍かったり、初版部数が少なかったりして、不満に感じることはある。しかし、これはどの業界にもあることで、業種的構造に対する不平、不満ではない。

 ところが、実は、こういうことではなしに、最近、やや理不尽に感じることがある。それは、<対価の発生しない仕事>の依頼が、ここのところ、驚くほど重なっているのである。「原稿料は発生しないが、原稿を書いてくれ」「ギャランティはないけど、講演して欲しい。現地までの交通費も出せません」「チラシに名前を貸して欲しい。ギャランテイは発生しません」というような依頼である。もちろん、出版社、新聞社、放送局などの既存メディアから、このような依頼がくることは、絶対にない。それ以外の、まあ、私的な団体とか、業者さんからの依頼である。

 私は、職業としての文筆家であるから、媒体に載せる文章を草するのは、生計を立てるための仕事である。仕事には、とうぜん、対価が発生しないことには、私も、私の家族も口を糊することができないわけである。また、講演にしても同じで、何時間かの拘束を前提とする以上、とうぜん、そこにはギャランティが発生する。難しいのはチラシだが、なんらかの利益を得るために私の名前を使う(私程度の名前が、そういったことに貢献するとは、私には思えないのだけれど)のであるから、そこにもなんらかのギャランティは発生するわけである。これは営利目的のものに限らない。非営利の団体などでも、自分たちの活動を広く世間に知らしめる目的で私の名前を使いたい場合などは、ギャランティが発生する。利益とは何も、金銭的なものに限らないからである。

 このようなことは、今までは自明のことで、なんらかの媒体が対価の発生しない仕事をオファーしてくることなど、絶対にありえなかった。しかし、最近、こういうことが吃驚するほど多いのである。インターネットの発達以来、情報は無料、という考え方が浸透してしまったことと、何か関係があるのだろうか。困るのは、こういうオファーに対し、こちらがギャランティの話を持ち出すと、キレる相手がいる、ということである。
「そんなんなら頼みません!」
 と、電話口で怒鳴られたこともあった。これでは、私が理不尽なことを言っているようで、辛くなるばかりである。

 講演であれば、学生さんが主催するようなケースでは、予算に合わせて、かなり低額で引き受けることもあるし、チラシであれば、私の行きつけの店が、私の名前を使いたい、というような場合は、生ビールの1杯でも飲ませてくれれば、それ以上求めないこともある。しかし、私の私的利益以外の利益を発生させるために、私の原稿、講演、名前を使いたい場合には、とうぜん、そこに対価が発生する、ということを、ぜひとも理解していただきたいものである。私にとっては、それが職業であり、私や私の家族は、そこから発生する対価で生活しているのである。サラリーマンの方が、会社で仕事をすれば、給料が発生することや、魚屋さんが魚を売ると、代金をもらうのと、なんら変わりはないのである。
[ 2010/09/21 21:59 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

終戦記念日

 例年のことではあるが、終戦記念日が近づいて、各テレビ局が先の大戦を扱った番組を多く流している。全てに目を通せるわけではないが、中には、これはどうだろう? と疑問に思えるものがないでもない。しかし、12日の木曜日に、NHK総合テレビでOAされたNHKスペシャル『玉砕 隠された真実』のように優れたドキュメンタリも多い。テレビを見る側としてはむろん、優れた番組を見るのが楽しい。しかし、私は、玉石混交であってもいいから、より多くの戦争を扱った番組が流されることが大切だと思う。

 終戦後65年も経って、今や、実際に戦争を経験した人たちは、あるいは亡くなり、あるいは高齢になられて、次の世代に戦争について伝えていくのが難しい時代になったからだ。親の世代から、直接、戦地の話を聞くことができたのは、私たちが最後の世代かもしれない。私は昭和33年の生まれであるが、父は海軍飛行予科練習隊出身の戦闘機搭乗員であったし、父の姉の一人は、中尉で終戦を迎えた陸軍将校の元に嫁いでいる。もう一人の姉は、戦争未亡人であったし、父の兄弟の中にも戦死者がいる。

 これは何も、私の家庭だけが特別だったわけではない。私の子供の頃は、大半の家庭が、うちと似たようなものであったろう。従って、我々は、<家の中>で過去の戦争について聞く機会を持っていたわけである。しかし、終戦後65年も経ってしまうと、もうそういうわけにもいかない。実際、先ほど私が列挙した、実際に戦争を経験した私の親族は、もはや、全員がこの世の人ではない。

 そんな時代に大切なのが、メディアが戦争を語りつづけることと、教育がきちんと次の世代に戦争を伝えることの二つである。そして、その肝は、<戦争は悪いことである><よい戦争などというものはない>という、自明のことのはずである。これを次の世代に伝えなければ、戦争を語り継いだことにはならない。それが、今の、繁栄の時代を生きる我々の責任だろうと、私は考えている。

 実際――、この、自明のことであるはずの、<戦争は悪いこと>という感覚が、もしかしたら今の日本人から失われつつあるのではないかと、時折、私は恐ろしくなることがある。

 言い方を変えよう。<国民>にとって、<戦争は悪いこと>なのであり、<国民>にとって、<よい戦争などというものはない>のである。為政者、国家の統治機構にとっては、場合によっては、<戦争が悪いことではない>こともありうる。しかし、そうなってしまうと、国民にとっては、暗黒の時代であり、統治機構は国民の敵として機能するのである。

 例えばよく、<国を守るための戦争>という言葉が使われる。さて、この場合の<国>とは何か、である。ここには、むろん、<国民>という概念は含まれていない。ここでいう<国>とは、<国家の統治機構>を差すのである。従って、時の為政者、統治機構にとっては、戦争が必要な場合があるし、<よい戦争>もありうるわけだ。

 しかしそれは、国民の幸福とは、全く相反するものである。従って、国民は、常に、国家の統治機構が、<全ての戦争が悪いわけではない>という意志を持たないように監視すべきであり、その意志を持つ気配が現れたら、投票行動等をもって、これを阻止しなければならないのである。

 というようなことを、私が考えるのも、最近、特に若い人たちと話をしていると、右傾化というか反動というか、そういった傾向を感じることが多いからである。

 むろん、その背景も理解できないではない。安定成長期から、不況期に入った日本は、若者たちの自己実現が、極めて難しい時代を迎えている。自己の実現が不可能と知った時、人は自己よりも更に大きな、民族や国家というものに、自己実現を仮託してしまうのである。

 だから、若者の右傾化は、彼らの鬱屈した心境の発露、心の叫びと見るべきで、それならばそれで、私も含めた大人の世代が、彼らが自己実現可能で、希望を持てる社会を作る努力をしなければならない。大学卒業者の二割以上が、職に就けない時代など異常だ。

 さて、戦争を次の世代に伝える、という話であった。些か、私事に亘ることをお許し願うが、私には、中学1年生の娘と、小学校3年生の倅がいる。彼らは、ある程度ではあるが、先の大戦に興味を持っている。

 娘の場合は、小学校1年生の時に、学校で「はだしのゲン」の単行本を読んだことがきっかけである。倅の場合は、私の父が戦闘機搭乗員であったことを教えてやったところから、戦争に関心を持つようになった。一度、関心を持つと、自分で関係書物を探して読んだりもするから、知識も深まり、戦争についての、自分自身の考えもできてくる。

 私にとって幸いだったのは、かつて戦争物を書いていたこともあり、私に、まあまあきちんとした近現代史の知識があったことである。だから、あまり間違えずに、子どもたちに戦争と、それを取り巻く時代を教えてやることができた。

 また、私は非政治的人間であるから、ナントカ史観などと言われるような、政治的思惑を持った歴史認識をしない冷静さだけはあった。この辺りは、むろん、私が、実際に戦争を経験した世代から、<戦場の真実>を聞くことができていたからではあろうが。

 しかし、この<近現代史>を学ぶ、ということが、実はなかなか難しいのである。学校での歴史の授業では、ほとんど近現代史を扱わないのが通例である。これは、私の時代でも変わらない。高校時代の日本史も、明治時代辺りまでをやっただけだったと思う。そこで時間切れである。近現代史、特に昭和史は学校教育の中から、漏れてしまっている、といってよかろう。

 そこで私は思うのである。今、学校での歴史教育は、古代史から始まる。チグリス、ユーフラテスや、卑弥呼の時代である。興味のある人にとっては、面白いのだろうが、子供たちに教える歴史として、ここから興味を持て、というのはなかなかに難しい話である。自分たちの生活と、あまりにかけ離れているからだ。

 ならば、歴史を遡って教えればどうか。まず、バブル崩壊から現在までを、ひとつの時代として捉えて、ここから歴史教育を始める。これなら、子供たちにとって、自分がまさに今、生きている時代だから、関心も持ちやすい。

 この時代が終われば、次は高度成長時代。次に、敗戦の復興期。戦前戦中――と、歴史を遡っていく。そうすれば、現在と過去の歴史との繋がりも理解しやすいし、近現代史がスッポリと抜け落ちてしまう心配もない。また、戦争を語り継ぐという意味でも、効果が高いと思う。

 さて、よく、
「今の若者は、日本がアメリカと戦争をしたことも知らない」
 と嘆くバカな大人がいる。そう思うなら、まず、我が子に、戦争のことを教えてやればいいではないか。教わらないものを知れ、というのはムチャクチャな話である。誰もが我が子に戦争を伝える努力をすれば、やがてはすべての子供に、戦争についての知識が生まれ、<日本がアメリカと戦争をした>ことも知らない若者など、一人もいなくなる道理だ。

 そう考えて、私はこれからも、我が子に戦争について伝え、<戦争は悪いこと><よい戦争などというものはない>ということを教えていきたいと考えている。
[ 2010/08/14 00:18 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

首都大学の事件

 なんとも厭な事件である。首都大学東京のシステムデザイン学部4年の学生が、「ドブスを守る会」の活動だと称して、一般の女性の動画を取り、動画投稿サイトで公開していた事件のことだ。学生に限らず、若者の愚行に対しては、私は寛容なほうである。何故なら、自分の若い頃を思い出してみても、それほどマトモな生き方をしていたとは思われないからだ。幸にして、私は、自分が<馬齢を重ねた>というだけの理由で、<過去の若者>である自分の愚かしさを忘れ、<現在の若者>を無意味に批判することを抑制する冷静さだけは与えられているようだ。

 そういう私ですら、今回の事件の報道を見たとき、<この国の若者は、これほど愚かになってしまったのか>と、憤りよりもむしろ、やり場のない哀しみ、諦観のようなものに苛まれた。首都大学東京といえば、かつての都立大であり、俗な言葉を使えば、まあ、名門である。そこの学生が、このような愚行を平気で犯すとは、若者全体が劣化してしまったのか、それとも、都立大――首都大が、教育機関としての能力を失ってしまったのか、そのどちらかだろう。

 何故、<教育機関としての能力>なんぞと大仰な言葉を使うかというと、学生はこういった行動を、芸術活動の一環だと見なしていた、と発言しているからである。
「不道徳なものから生じるおかしみを追求することで、何かしらの表現ができると思った」
 ということであるらしい。

 しかも、しかもである。なんとそれは、どうやら首都大のある教官の影響によるものらしいのだ。この教官は、ツイッターで、
「嫌われることをする人を僕は信頼している。嫌われることをするのは芸術家の役割」
「倫理性とか道徳性とか世の中一般の尺度と照合してダメとされるもの。ARTはそれを『美なるもの』としてすくい上げる」
 などと発言した上で、ほかの学生が撮った似たようなテーマの<ドッキリ動画>を、「素晴らしい」と誉めるなど、まあ、学生を煽るようなことをやっていたらしい。つまりは、そういう教育をする学部になってしまっているわけだ。

 愚か者。

 また、「ドブスを守る会」のバカ学生は、身体障害者の女性と健常者の女性の反応の比較や、低所得者への悪辣なインタビューも企画していたらしい。首都大学東京は、都立の大学である。すなわち、税金で運営されているわけである。こんなことを教育の一環みたいに考えているのなら、もう、税金は払わないぞ。考えてみれば、この教官の一見、高邁な芸術論も、結局は税金で生活と身分を保障されている人間の芸術論である。現実の創作の場とは無縁だ。仮に、彼が現実の創作を行っているとしても、税金で生活を安定させている事実は動かない。

 さて、私のブログを読んでくださっているような方は、「ドブスを守る会」の学生の行動が、芸術などとは全く無縁であることをご理解されていると思う。従って、本来は私が言葉を重ねる必要もないのだけれど、蛇足を承知の上で少し記しておくと、確かに、芸術などというものは、その内側に<悪徳>を抱えているものである。この教官が言うように、倫理性や道徳性から外れるとされるものの中から、<美>をすくい上げることもまた、芸術の大切な役割のひとつである。

 しかし、そのことと、学生が、彼らが言う<ドブス>であるとか、身体障害者であるとか、ビンボー人であるとかの<弱者>をからかう愚行とは、なんの関わりもないことを知るべきだ。こんなのは、単なる<上から目線>での<弱者>への侮蔑であって、彼ら学生の歪んだエリート意識のなせる業だとしか思えない。

 芸術活動に当たるかどうかは別として、もし、この企画をやるとしたら、嫌がる<弱者>にインタビューするのではなく、歌舞伎町辺りへ行って、カメラを向けたまま、ヤクザ者にインタビューすればよかった。
「刺青はあるんですか? 唐獅子牡丹? 昇り龍?」
「小指を見せてください、詰めてるんでしょう?」
「ムショには入ったこと、ありますか?」
 なんぞとインタビューするわけである。それをカメラに収める。そうすれば、むろん、ヤクザ者は怒るだろう。学生はヤキを入れられるかもしれない。そこをずっと撮影して、動画をアップすればよかった。

 この企画なら、動画を見た人は、
「なんと馬鹿な学生だろう」
 と、笑いながら見たはずだ。
 それであれば、この学生たちが言う、「不道徳なものから生じるおかしみを追求することで、何かしらの表現ができると思った」というテーマと、まさに合致するではないか。ヤクザ者にインタビューする学生も愚かで不道徳なら、それにヤキを入れるヤクザ者も不道徳の極み。ましてや、歌舞伎町は<不道徳>を具現したような街である。そこまでやる覚悟はなく、自分たちが手前勝手に、<自分たちより下>と判断している相手に対して強硬に接し、嘲笑うような態度は、<芸術>とは全く無縁である。

 芸術の不道徳性を語るなら、まずは自分の内側にある、暗くて深い穴――心の闇を凝視しなければならない。それは辛く苦しい、己との闘争である。そして、そこから生まれてくるものは、他者への愛であったり、思いやりであったり、共感であったりするわけである。自分が持つ暗い穴を見つめれば見つめるほど、そういう心境が生まれてくるから不思議だ。私は、芸術の役割とは、そんなものだと考えている。

 ただまあ、この学生たち、<芸術>だの<不道徳性>だのと小利口ぶったことを口にしているけれども、やっていることを見れば、これは明らかにテレビでよくやっている三流のバラエティ番組の影響ですよね。それならばそう言えばいいものを。まあ、その辺りが、若さということか。ま、4年生ということは、もう20歳は過ぎた大人だし、来年は社会人になるんだろうから、今度のことをいい経験にして、<自分の内側にある深くて暗い穴>を見つめ直してみてくださいな。
[ 2010/06/24 11:10 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

連続試合出場

 阪神タイガースの金本知憲外野手が今日の対横浜5回戦のスタメンを外れて、1999年7月から続けていた連続フルイニング出場の記録が、1492試合で途切れたとのことである。朝日新聞電子版の報道によると、これは、金本が自ら申し出てのことだという。

 私は、金本はいい決断をしたと思う。しかし、本来なら、金本から申し出がある前に、もっと早く、真弓明信監督が彼をスタメンから外すべきだった。今年の金本は、右肩の筋肉が部分断裂しているとかで、レフトを守っていても、返球ができない状態だった。プロを名乗り、お金をいただいて野球を見せる以上、ボールを投げられない選手に外野を守らせるなど、もってのほかである。

 真弓監督にその決断が下せなかったのは、むろん、金本が連続フルイニング出場の記録を続けていたからである。しかし、プロの鉄則である、<最高のプレーを見せる>という原則を放棄してまで、連続フルイニング出場の記録を続けることに、いったい、何の意味があるというのか。<記録のため>と称して、こういうことをやるから、プロ野球は娯楽の王者の座を滑り落ちたのである。

 プロ野球の記録に何故、意味があるかというと、そこに<作為性>が介在する余地がないからである。王貞治の868本塁打にせよ、張本勲の3085安打にせよ、それが<作為的>に作ることができない記録だからこそ、価値があるのだ。ところが、この<連続試合出場>という記録に関しては、作為が働く場合が多い。過去には、腕を骨折して、守備も打撃もできない選手が、代打で登場して連続試合出場記録を伸ばしたことがある。これは、野球の、プロの本質に外れる行為である。

 もっとひどいのになると、かつて、<連続四番打者出場>という、それに何か意味があるのかどうかも判然としない記録を続けている選手がいた。ところが、彼は<連続四番打者出場>の日本記録が近づいた頃に怪我をしてしまい、とてもではないが、試合に出られる状態ではなくなった。その時、球団はどうしたかというと、その選手を四番打者としてDHでスタメン出場させ、1打席だけバッターボックスに立たせたのである。

 それで、<連続四番打者出場>の記録は更新されたから、すぐにほかの<きちんと打撃ができる状態の選手>と交替させる、というなんとも馬鹿馬鹿しい方策を採ったのだ。そういう不毛というか、プロの矜持を放棄したというか、客をバカにしているというか、まあそういった試合が何試合か続いた。そしてめでたく、<連続四番打者出場>の日本記録を作ったところで、その選手は試合に出なくなったのである。こんなことに、いったい、何の意味があるのだろうか。そういうことをやったせいかどうかは知らないが、その球団は、今は消滅してしまった。

 <記録>という野球に付随する一つのファクターのために、野球の本質をかなぐり捨てるなど、愚行の最たるものというほかない。その意味で、私は、今日、金本の無意味とも思える連続フルイニング出場記録が途絶えたのは、とてもいいことだと思っている。多少、遅きに失した感がないでもないが、それは金本の責任ではない。真弓監督の責任である。記録が途切れたからといって、金本が今まで築き上げてきた記録の価値が薄らぐわけでもないし、ましてや、金本の選手としての評価が下がるわけでもない。

 今日の試合では、金本は8回に代打で出場して、単純な連続試合出場記録のほうは1638試合に延びたとのことである。こちらのほうの記録も、ムリに継続させるために、試合の必然性や金本のコンディションに関らず、何が何でも毎試合、代打で出場させる、などというバカな采配を振らないことを、真弓監督には期待したい。そんな行為は、金本の価値を下げるだけだ。と同時に、プロ野球の価値を下げるだけである。

 ところで、今日もまた、もはや恒例となった感があり、<東京名物>とすらいいたくなる石原慎太郎都知事の暴言があった。最初に報道に接した時には、あまりのことに驚き呆れた。で、私なりの意見もあるし、石原発言の論理的誤謬を指摘することも、まったくもって容易である。実は、このブログでそのことを書こうかと思っていた。

 しかし、それは止めることにした。というのは、石原さんがそういう暴言を吐くのは、先にも記したように、<恒例>であり、<東京名物>なのだ。だから、彼がどんな馬鹿げたこと、ひどいことを口にしようが、もはや論評の対象にするべきではないと悟った。軽く舌打ちをし、
「あ、またですか。了解です。お疲れでした」
 と呟くのが正しい対応というものである。東京都民として、極めて哀しいことだが、我々都民が選んだ知事だから仕方がない。

 ただ、私は、まだ小さい子を持つ父親であるから、多少の防御はしないといけない。彼の「太陽の季節」なら、今7年生の娘や、3年生の倅に読ませても、何の害もないと思う。子供には読ませないほうがよい作品だとも思わない。むろん、彼らが作品を理解できるかどうかは別としてだが。いくら過激な性表現があろうと、それよりも<文学史的価値>のほうが大きいからである。

 しかし、MXテレビでオンエアしている都知事の定例会見の模様は、絶対に子供たちには見せたくない。あれは、子供にとっては<有害番組>である。大の大人が、しかも社会的地位の高い人物が、理屈にならないことである種の人々を誹謗し、記者を恫喝し、非論理的な暴言を吐く姿を見せることが、子供にいいことだとはどうしても思えない。だから、私は最小限の防衛策として、知事の会見は子供たちには見せないのである。石原さんふうの<暴言>を採用させてもらえば、知事の記者会見は、都条例で、18歳未視聴覧禁止の番組に指定して欲しいくらいだ。
 
[ 2010/04/18 23:15 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

肩書き

 少し前の話になるが、雑誌に原稿を発表したとき、校了の直前に編集者から電話がかかってきた。
「松井さんの肩書きですが、作家だけでいいですか?」
 と相手がいう。私は、一瞬、意味が飲み込めなかったので、
「えーと、それはどういうことですかね? イケメン作家とか、男前作家とかにするということ?」
 携帯電話の向うで、明らかに溜息を吐く気配があった。
「違いますよ! 肩書きにウソは書けないでしょう、ウソは……。松井さん、取材してルポなんかも書いてるじゃないですか。だから、作家、なかぐろ、ジャーナリストみたいにしたいのかなと思って」
 <なかぐろ>というのは<・>のことである。だから、相手がいうのは、<作家・ジャーナリスト>という肩書きにしましょうか? という提案だった。

 まあ、<イケメン作家>とすれば、ウソになる、という意見には同意する。哀しいけど。私だって、たまには鏡を見ますからね。しかし、<ジャーナリスト>という提案は意外だった。私は確かに、雑誌に何本かルポルタージュを発表しているし、そのジャンルの著書もある。しかし、それはあくまでも小説家の立場として、小説家的感性から興味を覚えたことを取材して纏めたものである。その意味で、私はジャーナリストではないし、そういう肩書きで呼んでもらうべき資格もない。そこで、肩書きは<作家>だけにしてもらった。

 我々自由業者にとって、肩書きというのはなかなかに難しい。私の場合だと、確定申告の用紙には<文筆業>。これは、最初から、税務署が<文筆業用>という申告用紙を送ってくるから、ほかに記しようがない。今、手元にある『文藝年鑑』を捲ってみたら、「文化各界名簿」の私の肩書きは<作家>となっている。ほかのデータベースの類も、ほとんどは<作家>である。私の名刺には、肩書きは刷っていない。所属している団体の名前と、事務所の住所、電話番号、それから携帯の番号とメールアドレスだけを記してある。考えてみれば、肩書きのない名刺というのも、自由業者ならではだろう。まあ、私は、そのまんまなんとかから肩書きと名前しかない名刺をもらって、辟易したことはあるけれども。

 では、自称するときはどうかというと、仕事先などに電話して名乗る場合は、「作家の松井計ですが」ということが多い。編集者の携帯など、出る相手がわかっている場合は、「松井です」のみ。これが親しくなってくると、「俺だ、俺だ」なんぞと詐欺犯みたいなことになる。私を知らない人に、「お仕事は何をされてるんですか?」と訊かれるような場合は、「モノカキです」と答えることが多い。

 ここまでお読みになった方の中には、
「おい、違うじゃないか。このブログのタイトルには、<小説家・松井計>となってるぞ」
 と仰る向きもあると思う。そのとおりである。このブログでは、<小説家・松井計>としてある。ところが、ご記憶の方もあるかも知れないが、以前は、ブログのタイトルでも<作家・松井計>となっていたのである。それを昨年だったかに、<小説家・松井計>に変えたのだ。

 何故、そうしたかというと、私の感覚の中には、<作家=小説家>という基本概念があったのだが、最近、どうもそれが通用しなくなっているように思えたからである。

 三省堂の大辞林第二版で<さっか>を引くと、次のように出ている。

さっか さく― 【作家】
(1)詩や文章を書くことを職業とする人。特に、小説家。
「放送―」「流行―」
(2)美術・工芸など、個人の表現としての芸術作品の制作者。
「映像―」「陶芸―」

 つまり、私は、<作家>の意味を、(1)、しかも、付記してある<特に、小説家>という部分で捉えていたわけである。この用法は、おそらく、出版界で共通のものだったと思う。だからこそ、ノンフィクションの人などは、わざわざ作家の前にノンフィクションという言葉を入れ、<ノンフィクション作家>と称することが多かったわけである。<小説作家>という表現はない。辞書の定義にある詩を書く人は<詩人>、文章を書く人については、その仕事の範囲によって、<評論家>とか<ライター>と呼ばれていた。

 ところが、最近はどうも、そうではなくなっているようなのである。そう気づいたきっかけは、あるパーティでもらった名刺だった。その中の3枚ほどに、<作家>という肩書きが記してあった。申し訳ないが、私はその方たちの作品を知らなかったので、帰宅後、ネットで調べてみた。そうすると、小説を書いている人は皆無で、3人とも実用書などを刊行している方だった。

 実は、私はパーティがあまり好きではない。招待状をいただいて、お断りの返事を送るのは非常に心苦しいし、申し訳なく思いもするのだが、よほど義理のあるもの意外は失礼させていただいている。なので、上記のパーティも、かなり久々のパーティ出席だったのである。昔はパーティなどで名刺をもらっても、<作家>という肩書きが刷ってあることは、ほとんどなかった。

 そのときに、
「なるほど。今は、作家=小説家ではないのだな。本を出している人を、作家と呼ぶ傾向になったのだな」
 と気づいた。そこで、一般にも私が何を書いているのかよく分かるように、このブログだけ<作家>を<小説家>に変更したのだ。ただ、ブログ以外は、肩書きは変えていない。それは、私が仕事をする範囲では、まだまだ作家=小説家という概念が生きていると思うからである。

 私がデビューしてすぐの頃だから、もう15年以上昔の話になるけれども、ある版元で著名な作家とお会いした。たまたま、来社しておられたその方に、担当編集者が私を紹介してくれたのである。もう高齢の、大先輩だった。そのときに、これから頑張るように励ましてもらった後、
「でもね、松井さん、我々はね、小説家なんですよ。作家なんてエラソーなものじゃありません。そういう気持ちを忘れずに、仕事をしてください」
 といわれた。その言葉の真の意味をお尋ねする前に、その方は身まかってしまわれたので、私がその意図をきちんと理解できているかどうかは疑わしい。

 そうするうちに、小説家のことをそのまま、作家と称する出版界の傾向もあって、私もいつの間にか作家と呼ばれるようになり、この大先輩の言葉の真の意味を考える機会も減ってしまった。今にして思えば、おそらく、<小説家>という言葉には、<小説を書くことを生業としている者>という意味以上のものは含まれないが、<作家>にはそれ以上の社会的意味が含まれている――というようなことだったのかも知れない。既にご本人は亡く、推測の域を越えないけれども。こんなことなら、もっと早く、ご本人にお尋ねしていればよかった。

 さて、<モノカキ>という言葉である。この言葉には、ある種の臭みを感じる人も多いようだ。些か、気取って聞こえる、という人もいる。しかし、私が、未知の人に職業を訊かれてこう応じるとき、全くそんな意識はない。別段、筆一本で生きてるんだ、みたいな覚悟をその言葉に込めているつもりもない。むしろ逆で、
「いやあ、マトモに勤めもせずに、モノを書いて暮してるんですよ……」
 という卑下とまではいわないまでも、そういう、ま、思いを込めているわけである。

 私は、これに似た表現に、<ブン屋>という言葉があると思う。新聞記者が、こう自称するとき、少しへりくだった意味が発生する。私は、「新聞記者でござい」といわれるよりは、こっちのほうが好きである。「プランナーですよ」「アドマンですよ」よりは、「広告屋ですよ」のほうが好きだ。また、弁護士さんなんかも、ご自身のことを「社会正義と人権を守る弁護士だ」と考えているより、「俺は三百代言だ」と考えているほうが世の中は平和なように思える。

 あまり杓子定規に考えるのもおかしなものだが、我々自由業者は、勤務先とそこでの役職――といったような分かりやすい肩書きがないゆえ、ついつい色々と考えてしまうのかもしれない。
 
[ 2010/04/11 23:06 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

カラオケ

 たまに妻子と4人でカラオケに行くことがある。そういった時に、子供たちが歌うのは、最近のヒットナンバーで、私が知っているのは半分くらいだ。AKB48とか、嵐とかいわれても、メンバーの半数くらいの顔を見分けるのがやっと。思わず「エーケービーよんじゅうはち」とか、「アキバフォーティエイト」なんぞと口走って、子供たちに笑われるのもこんなときである。

 妻は、昔から松田聖子のファンなので、彼女のものを中心に、中森明菜など、当時のアイドル歌手のナンバーをよく歌う。年齢相応の選曲ということになるのだろうが、実は、彼女はかなり歌が上手い。子供たちが生まれる前のことになるけれども、後輩の作家のI君と3人でカラオケに行ったら、妻は採点機で99点を取り、でっかい縫ぐるみの賞品をもらったことがある。聞いてみると、10代の頃、何かのオーディションの地方予選だかに合格したことがあるらしい。むろん、私と出会う前の話なので、私は詳しいことは知らない。

 妻がそれらのナンバーを歌うと、娘がよく、
「昭和の匂いがする」
 と口にする。私にはこれが不思議で、平成も10年になってから生まれた彼女が昭和の匂いを知っているはずもなく、何故、そう感じるのかがよく分からない。ナンバーそのものに、どこかしら郷愁を誘う雰囲気があるのかもしれないが、まあ、この辺りはテレビなどの影響と考えたほうがいいだろう。

 私は英語のナンバーを歌うことが多いのだけれど、娘にはこれが少し不思議に思えるようだ。
「なんで外国の歌ばかり歌うの?」
 などと聞いてくる。実は、これは娘の間違いで、私は英語のナンバーは歌っているけれども、必ずしも、それが海外のナンバーとは限らないのだ。

 最近はカラオケの収録曲も飛躍的に充実してきて、紫の「Double Dealing Woman」や「Devil Woman」まで入っている。むろん、海外のアーティストのナンバーも歌うけれど、私はこういった、日本人による英語のナンバーもよく歌うのだ。沢田研二の「Mon Amour Je Viens Du Bout Du Monde(邦題・巴里に一人)」もよく歌う。これはフランス語だけれども、私のいい加減な発音では、娘には英語との区別はつくまい。

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 で、娘への返事である。
「パパはさ、昔からロックが好きだったんだよ」
 娘、私のいいたいことがよく分からないらしい。また親爺は何を妙なことをいい出すんだ、といいたそうな顔をしている。
「昔はね、日本語のきちんとしたロックがなかったんだよ」
 こう説明しても、彼女には理解できないようである。当たり前の話だ。今の日本では、テレビのスイッチを入れさえすれば、日本人のアーティストが、日本語できちんとしたロックを歌っている。

 些か余談だけれども、今の若いアイドルバンドですら、演奏テクニックはかつての『ミュージックライフ』誌の人気投票でトップ3に入るくらいのプレイヤーに勝るとも劣らない。いい時代である。それだけ、日本にロックカルチュアが定着したということだから。

 そこで私は説明するのである。かつての日本では、日本語ではロックは成立しない、と思われていたこと。ロックのリズムにきちんと日本語を乗せられるアーティストはほとんどいなかったことなどを。娘、不思議な顔をするばかり。

 私は年齢的に、ロック世代の尻尾に属する。ビートルズ世代にはほぼ10年遅れている。若い頃に中心的に聴いたのは、そろそろミック・テイラーが辞める頃のストーンズや、ヴォーカルがデイビッド・カヴァーディルに、ベースがグレン・フューズに代わったばかりのディープ・パープル、奥さんが日本人だったとかで、ヴォーカルのポール・ロジャースがおかしな日本語でテレビドラマの挿入歌まで歌ったバッド・カンパニーなどのブリティッシュロックである。ザ・フーはあまり好きではなかったが、ギタリストのピート・タウンゼンドは好きだった。晶文社から出た彼の小説集の翻訳も読んでいる。

 逆に、イーグルスやシカゴ、ちょっと毛色は違うけれどエアロスミスなどのアメリカンロック勢は好みじゃなかった。少しだけ気に入っていたのは、ニューヨーク・ドールズくらいか。イギリスのバンドでもイエスとかピンク・フロイドとかのプログレッシブ系は苦手だった。私は、<難しい>ロックは性に合わないのだ。やはり、ギターのリフがよくて、ついつい体がリズムを刻み始めてしまうようなナンバーがいい。

 ところで、では、日本のバンドが今のように日本語でのロックをきちんと成立させたのは、いつのことだろうと考えてみる。はちみつぱいだとか、はっぴいえんどだとかいう声もあるだろう。あるいは、村八分、頭脳警察といったところを上げる人も多いかもしれない。しかし、私は、もう少し時代を上って、サザン・オールスターズではないかと考えている。

 サザンの「勝手にシンドバッド」が出た時の衝撃は忘れられない。当時、私は大学生だったけれども、これが日本語か? と驚いた。あの歌詞は、間違いなく日本語だけれども、彼らは完全に、日本語というものを解体していた。その少し前に、村上春樹さんが「風の歌を聴け」で『群像』の新人賞を受賞してデビューしている。私は、この作品を熱狂的に読んだ。新しい日本語が生まれた、と感じた。<新しい日本語の登場>という意味で、当時の私にとっては、村上春樹とサザン・オールスターズは等価だった。

 サザンの後に続く日本人アーティストたちは、サザンほど日本語を解体せずに、日本語でのロックを成立させている。これは、サザンが行った<日本語の解体>というプロセスを経てこそ成立したことなのではないかと私は考えている。

 とまあ、ここまでのことを娘に説明すると、うるさがられるのがオチなので、簡単に、昔は日本語ではロックは成立しないと思われていたけれど、ロックが日本に定着したから、今では、きちんとした日本語のロックがあるんだよ。パパは昔からのロックファンだから、昔好きだった歌を歌うと、どうしても英語のナンバーが多くなるんだよ、と説明するに留めている。

 で、また、私は英語のナンバーを歌う。そして、妻や娘、倅が採点機で90点台を取るのに、私だけ81点の成績を残して、カラオケボックスの夜は更けていくのである。 
 

[ 2010/04/01 13:19 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)

東京大空襲

 今日は3月10日。65年前――1945年の今日、東京大空襲が行われている。下町一帯は一夜のうちに焦土と化し、10万を越える都民が犠牲になった。加えて、多くの戦災孤児を生み、戦後の彼らの人生に大きな影を落としてもいる。

 元々、当時の日本では3月10日は陸軍記念日であった。1905年のこの日、日露戦争を闘っていた帝国陸軍は奉天会戦に勝利し、奉天(現在の瀋陽)に入城を果たしたている。これを記念して、帝国政府は、翌1906年から3月10日を陸軍記念日としたのである。

 米軍がこの日を東京大空襲決行日に選んだのは、戦勝を記念する日に大打撃を与えることで、日本人の士気を挫き、厭戦気分を醸成するためだったとも言われている。

 東京大空襲作戦を立案したのは米陸軍のカーティス・ルメイ少将(当時)だったが、彼は同作戦を発動するに当たり、
『東京を地図上から消滅させる』。
 と発言している。彼はどうも残忍なレトリシャンであったらしく、後に米空軍参謀総長に就任して、ベトナム戦争での北爆を計画したときには、
『北ベトナムを石器時代に戻してやる』
 と発言したともされている。まあ、実にアメリカ人らしい軍人だというべきか。ジョン・ウエインが西部劇で口にしそうな台詞である。

 いずれにしても、近代国家になったばかりの日本が、大国ロシアとの戦争に勝ち、世界の5大国に名乗りを上げるきっかけとなった日を祝った3月10日は、そのときから数十年を経て、国民が等しく哀しむべき忌日となったわけである。まさしくこれは、歴史の皮肉と言うべきであろう。

 さて、東京大空襲を巡る歴史的皮肉は、実はもう一つある。同作戦の立案者であり責任者であるルメイは、1964年、日本政府から勲一等旭日大綬賞を受けているのである。自衛隊の育成・指導に貢献した功績が大きい――という理由である。

 つまりはカーティス・ルメイは日本政府にとっては、首都を瓦礫と死骸と、悲哀と慟哭の都に変えた張本人であるとともに、戦後日本の安全保障に大きく貢献し、国を守った人物でもあるということだ。

 これは歴史の、民族の皮肉である。しかし、戦争とはそんなものだ。その程度の愚なるものである。従って私は、徹頭徹尾、反戦の立場を貫きたい。広島・長崎の原爆に比べて、東京大空襲は語られる機会が少ないように、私は感じる。首都の悲劇を次の世代に伝えていくのは、今の時代を生きる我々の義務だと思うのだが
[ 2010/03/10 16:10 ] 日常生活 | TB(0) | CM(-)
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松井計のプロフィール

松井 計

1958年7月5日生まれ。大学卒業後、英語講師、古書店店主などの職を経験。1995年7月短編戦記小説集「血戦! 帝国艦隊進撃ス――零戦隊激闘記」を松井永人名義で刊行、文筆生活に入る。2001年幻冬舎より刊行した「ホームレス作家」から筆名を本名に戻し、以降は松井計の名前で活動、現在に至る。趣味は野球、酒、猫。社団法人・日本文藝家協会会員。

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